かみさま

 水晶をぶつけ合わせるような硬質な音が、響いて。

 雑木林に、光が満ちて。

 それらを追うかのように来てみれば、雑木林の奥のほう、――その光の中心では、影さんがいた。



 虹色の垂れ幕がかかった、小さなほこらの前で。虹色の帽子を、かぶって。



 ……硬質な音は、鳴り続けている。

 間隔を空けて、カーン、カーンと、だから先ほどよりゆっくり……でも確実に、鳴り続けている。




 あまりに非現実的な光景に、僕は、目の前に影さんがいるのだということしか、まともに認識できていないように思う。

 右手に握ったリードが、すこし震えた。南美川さんも、すこし震えたのかもしれない。




 光のなかに、たたずむ影さん。

 音と光を、浴びながら。ただ直立しているかのようなその人間は――。




「影は、嘆いていました。表は、いなくなってしまったと」



 伏せ目がちに。どこかもの静かに、影さんは言う。



「わけもわからず、あのような異形となり、影の前から永遠に去ってしまったのだと」



 でも、違ったのですよね、と。やはりひとりごとめいて、影さんは、言う。

 ……静かな雰囲気と、その虹色の尖った帽子は、やたらに不釣り合いで。



「……影が突拍子もないことを言っても、社会人のかたは、信じてくれるのでしょうか?」

「そもそも、もう、突拍子もないことだらけなんです……突拍子なんか、あるか、ないか、そんなのを考えることじたいが無意味な気がします」

「そして、無価値だと。……なるほど」



 無価値とは、言っていないが――影さんはそこで妙になにかを納得したようだった。僕はそれがちょっと気になる、なんだ、なんなのだ、……どうして他人のそんな些細な仕草が、いま、僕は気になった?



「では、社会人のかたには、お話をしましょう。……影はこの世界の真理をぜんぶ、掴んだと」

「……この世界の、真理?」



 突拍子もないことでも聞くという態度を、いま表明したばかりだ――だがたしかにあまりにも突拍子がなかった。影さんははにかむようにそう言うから、……冗談を言っているのではないことも、存分にわかってしまったのだし。



 ……ためらっては、いけない。もはや常識では計り知れない、もろもろのことが起こっているのだ。ここで常識に、普段の感覚に、日常的な考えかたに、身を委ねてしまったら――すべてが、崩壊する。強く、……そんな予感がした。



「この世界っていうのは、……この、公園のなかの世界でしょうか」

「いまは」

「いまは、というのは?」

「この世界は、いまはこの時空間、次元、座標のピンポイントなるここに限られていますが、やがては、世界そのものとなるからです……」

「この公園は、……切り離されているということですか」

「いまは」



 影さんは、やはりはにかんでいる。

 ……もともと説明があまりに端的なひとであるという印象は、あったが。いや、ひとのことは言えないけれど、……影さんは、影さんとして。


 情報を、……情報を、聞き出すんだ、いま。すくなくともミサキさんや三人組よりは、この人は、やりやすい気がする――。



「影さんはどうして、そのことを知ったんですか」

「さっきも、言いました。でも、社会人のかたのために、もういちど言おうと思います。お告げが、あったからです。支配者は影を選んだのです。影ゆえに」

「……ちょっと、整理させてください。まず、支配者というのは、いったい」

「この世界をつくった、だれか。つかさどった、だれか。絶対者。圧倒的に、上位の存在。……かみさま、と呼んでもいいのでしょう。そう呼ぶことが、支配者にゆるされるのならば」

「その支配者というのは、もしかして、ふたりいますか」

「……いいえ? 支配者は、ひとりです。ただ、おひとり」



 影さんが言っているのが、この世界をつくった、すなわち化と真のことなんだとすれば。

 ほんらいは、ふたりのはずだ――この時点で、もうずれている。



「……なるほど。その、支配者という存在は、あなたになにを語りかけたのですか」

「語る、というと、ちょっと足りません……支配者は影の存在じたいに直接、語りかけてきたのだから」

「それは、頭のなかに声が響いてくるとか、そういうたぐいの」

「とっても弱く、表現すれば、そうなるでしょう。……でももっと強いものです。もっと、もっと、目の前にあって、すぐそこにあって、全身を浸すようなものなのです。……ここには音と光が、ありますね? 影は、それとおんなじに、いまや支配者のメッセージを受け取れます。そのメッセージは絶対なのです」

「……抗えない感じの」

「抗うことなど、どうしてできましょう!」



 カッ、と影さんは表情を変えた。

 一見すれば、笑顔に似ていた。

 でも、それは、ぜんぜん笑顔ではなかった。

 目が見開かれ、口は裂いたようになって。異常なほどに顔の器官を押し開いて、この人間は、なにか感極まったようすでいる――。




「経験すれば、ああ、あなたもわかるのに。支配者が、絶対であることを。コントロールされることが幸せなんだということを!」

「……なにが、あなたを、そこまで思わせるのですか」

「だから、メッセージです。それに!」



 影さんは、勢い込んで続けた。



「メッセージに従うことばかりが、幸せなのではない。影は、選ばれたのです。影がこの場で司祭の役目をつかさどるならば――表は、そのまま返ってくる。影の知っている、よく知る、いつものまんまの、表として」




 ……司祭。




 ここでは、まだずっと、水晶のような音ととろとろした光が、存在している。心なしかそれらはほんのすこし、……強くなったかのように、思えるのだけど。

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