化けものの言うこと
ゾンビのようなそれらを、パパ、ママと呼び続ける赤子。
僕は背筋がぞっとした。一気に。鳥肌も立った。
……たぶんそういうことだと想像できることがあった。
「……あの子、なに間違えとうねん……パパママって……似ても、似つかんやろう……」
「もしかしたら……」
僕は言うのを躊躇して、でもけっきょく、……言うことにする。
「似ても似つかなくても、――あの化けものたち。あの子の、親なのかも、しれません」
「え……? どういうことよ……」
「だから、つまり」
――末路。
「赤ちゃんの両親がああいう姿にされたのかも」
「……もっと上手な冗談にしてくれへん? 笑えへんわ。こないなときにふざけんといて?」
いいえ、と僕はつぶやいた。そして言葉を続けようとした。だがやめておいた。これ以上、その可能性で、……ここで言い合いをしたって、なんになる。
それこそ――不毛だ。
南美川さんは四つ足で立ってそちらを凝視している。いまは左手に握っているリードがぴんとこれ以上引っ張れないところまで伸び、このひとの動ける範囲でこのひとはもっともあの赤子に近づいている。
人間の素肌のままの背中が、この距離で見下ろしてもわかるくらい鳥肌が立っている。尻尾は逆立ち、耳も立っている。このうえなく堅くなっている。緊張が、……伝わってくる。
広場にいるひとたちも動けないようだ。あきらかに小さい子どもや、もはや判断しようとする気力も失いつつある人、それかそもそも判断力をもたない人などを除いて、だいたいの人々は、ただ注視している。僕たちと、おなじところを。おそらくは僕たちとおなじような感情を、なすすべのない気持ちを、抱えながら。
駆け出してでも近づこうとしたのは葉隠さんくらいのものらしい。
ふたり以上でいるひとたちは、とにかく抱きあったり、覆いかぶさるようにかばったりして。ひとりのひとは、自分のことを自分自身で抱き締めてでも。守ろうと、していた。それは存在そのものを、ということでもあるだろう。もちろん生命を守るということでもある。
そして正気を、ということでもあると思う。正気を、保つ。いますぐ叫び出してなどしまわないように。いますぐ逃げ出したり、なにか固いバットみたいなものを持って殴りかかったりなど、しないように。
そうしたらたぶん死ぬ。
文字通り、死ぬ。
ほんとうに死ぬ。
いまできるのは、息を潜めていることだけ――おそらくはいまこの状況で多くのひとたちがそう判断し、……その点は、僕もおなじに、そう判断し、ほとんど微動だにせず、というよりそうすることさえ、できず、この状況を――ただただ結果的に遠巻きに見ているのだ。
みんなで、なにもできずに、でも死ぬわけにもいかず、だから、ただ、……見ているのだ。
おそらくは、家族。あるいはその末路と思われる、存在たちを――親ふたりと、子の、惨状を。まさしく、悲劇を――。
紫色の粘液みたいなもので、芝生をボトボト汚しながら。
ついに、その親ふたりは、子どものもとにたどり着いた。
子どもはきゃっきゃとはしゃぐ。
ぱぱ、まま、と呼ぶ。覚えたての、言葉なのだろう。ようやく、覚えたばかりなのだろう。まだ世界のなにもわからない年齢段階で、でもその存在だけは無邪気に――覚えたのだろう。
母親の末路と思われるほうが、叫んだ。
「わたしはそのきんきんあたまにひびくこえがいつもいやだったのよしねばいいのにって!」
それは化け物の台詞だった。
言っている意味内容だけのことを言っているのではない。
発音が、発声が、すでに人間のそれとは乖離してしまったことをも含めてそう言えるのだ。
声そのものが、ガラガラであることに加えて。
抑揚やイントネーションや込められた感情。……なにひとつとったって、人間のそれではない。
もっとも原始的な機械読み上げより、ひどい。もっと一本調子で、続いていて、途切れなくて、もにょもにょ、ぐちゃぐちゃとした発音で、奇妙なところで壊れたジェットコースターみたいに、前ぶれもなく急激に上がっては、下がり、また上がり、そしてぶつりと途切れる。
……化けものの、しゃべりだ。
それは、まさしく、化けものの――しゃべりだ。
「ずっとしねばいいのにっておもってたのよそれでもそだてなくちゃでないふたべてもわたしはそだてて!」
でもその感情は。
その感情の、おおもとは。
言っていることの。……台詞の意味内容の、おおもとは。
むろん、化けものが言ったって。
納得はできる。
……そうやって他者を認識すること。
いなければいい、死ねばいいのに、そのように堂々と、言えてしまうこと。
化けものの、台詞ともいえる。……でも。
その化けものの、おおもととなった。
その人間の。――あるいは本音とも、いえるだろうと思うのだ。
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