こんなときにも自己嫌悪

 どうして吐いてしまったのかは、正直よくわからない。自分がグロテスクなものに弱いという認識はなかった。いじめられていた時代やひきこもっていた時代には、なにかの鬱憤を晴らしたかったのだろう、真夜中電気を消した自室で布団にくるまってクローズドネットでその手の画像を漁りまくっていたことだって、ひとには言えないけれど、あったのだ。だから変な話だけど、そういうものに対する、耐性――そういうのは人並みにあったつもりだったのだ。

 実物の画像を見ても、想像してみても、耐えられないということはなかった。むしろ気持ちが沈んでいるときには一種の慰めになったくらいだ、もちろんそんな僕自身ははてしなく醜いとわかっていても。でも、だから、まさか――こんな言いかたもなんだけど、目の前にしてこんなふうにくず折れて地面に向かって胃液を吐くだなんて、……そんな反応、自分がするとは思ってなかった。


 目の前の補食とでもいえばいいんだろうかそういう光景をじっさいに、目の前にして。

 残酷だ、とは思った。抗いがたい、とも。

 しかし頭で考えればそれだけのはずだった。クローズドネットで見つけたさまざまなものにはもっともっとグロテスクな条件やシチュエーションや現実、というものが当たり前にあったし、僕だってそういった残酷な空想にふけったことがゼロだとは言わない。その点においては僕がとくべつなにか変わっているとか、そういうことはないと思う。社会的弱者、劣等者が、グロテスクな空想にふけるのはごく当たり前のことだと思うから。


 だから、理屈ではなかったんだと思う。自分自身でも思う、頭の中身だけはこんなに冷静に、たとえ鈍くともあくまで冷静に回っているのだから。おそらく僕は、残酷だとか抗いがたいとかいう判断によって吐いたのではないのだった。目の前に、すぐ目の前にそこにある、人の、……死、という言葉を使わざるをえない、生々しい、肉の中身も内臓の切れ端さえもすべてクリアなその過程を、……すくなくとも知り合いではあった人間が単なる肉塊として破壊されていくところを、見て、……その赤色、茶色、肌色、よくわからないぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃしたもの、服の切れ端、一瞬目を背けたくなるくらいにそれ単体ではまるでアダルト専用画像のような、でっぷりとした尻、噛まれ、弾け、ぷちんと信じられないほどあまりにあっけない音がして、跡形もなく、……しかし妙な臭気と液体の残滓がある、そんな、……そんなものを近くにすると、目のあたりにすると、



 まずこんなにも身体的に気持ち悪さを覚えるのだと、僕は、はじめて知った。



 高校時代にいじめられたことでこの世のひととおりのグロテスクなことは済ませたつもりでいた。思い出すだけで全身をかきむしりたくなる衝動に支配される、そんなことを、なんどもいくつもされたから。ひとに言えるわけもない、かと言って僕自身がひとりで充分に抱えきれるわけもない。人間だと思っていたのだ。自分自身は。すくなくとも、人間であるとは思っていたのだ。そう優秀でなくとも、そう役に立たずとも。人間として、人間らしく、とりあえずはひとりの人間として生きていけると、すくなくとも高校二年のはじめまでは僕は愚かしく素朴に純朴に、信じていたのだ。それがぜんぶ間違いだとわかった。僕はたまたま人間の皮をかぶって生まれてきてしまっただけのちぐはぐで滑稽な存在で、だから傷つけられるべきだし、責められるべきだし、辱しめを受けるべきだし、笑われ、馬鹿にされて、人間のひとびとの慰みものになるしかないと、そう思った過程においてはグロテスクといえることがたくさん、たくさんあった。いや、違う。その言いかたでさえ僕は僕はごまかしている。もっと正確に言うならば、僕は、



 自分自身が劣等のグロテスクな存在であるがゆえに、あんな何種類何十種類ものグロテスクな目に遭わされたのだと、……そのことがずっと耐えがたくて、でも僕はそれだからといって自分で自分を殺処分することすらできないほどのどうしようもない劣等だったから、ああやって、クローズドネットでなにかを確認するように夜な夜なその手の画像を探っていた、わけだけど――。



 ……地面に両手をついて、とことん汚い液体を汚い口の端から吸い上げることさえできず、垂らしながら。

 僕は、ちょっと、……小さく、笑った。




 人生っていうのは。

 わからない。とことん。どこまでも。おもしろい。……ある意味では。



 僕は、人の死を目の前にして吐く人間だったのだ。

 グロテスクなことなどすべて経験し尽くしたなんて思っていて。



 それでも、吐くのだ。こんなにも。あまりにも、まっとうな反応のごとく。――生まれてはじめて人の死を具体的にリアルに目の前にして、僕のとった反応は、笑うことでも、ましてや泣くことでもなく、……となりにいるひとをとっさにかばうでもなく、膝をついて、吐くことだった。

 そんな自分に嫌気がさす。

 自分自身を嫌いきったつもりだったのにまだまだ嫌いになる余地があるのか。

 わからない。ところん。どこまでも。おもしろい。僕は、僕のことを、いったいどこまで嫌っていけるのだろうか。




 人の死、というほんらい人間ならいちばん倫理的態度をとるべきだとされているシチュエーションで、ほら、また、自己嫌悪のことばっかり考えている僕は、僕のことを――いったいどこまで嫌いになったらその天井がきてくれるのだろうか、それとも、これは、……こんなどうしようもないことは、永遠に――続くのか。

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