Necoの心がいじられたというよりは
南美川さんが、質問してくる。
「でもそれならやっぱり、だれかがNecoのその、内心、……心といえる部分が人工知能にあればだけど、そこを攻撃して破壊して、欠損させている――と考えるほうが、自然じゃないかしら?」
「たしかに、その可能性もゼロとは言えないんだ。可能性はかなり低いとはいえ、Necoの心――意識の部分にまで介入することは不可能ではないとされているから」
「されている?」
「ただ、ほんとうに難しいよ。……なにせそのためにはNecoを説得せねばいけないから。この世界を変えた天才の高柱猫をベースとする、あんなに合理的な考えをするみっつのペルソナたちの、そのすべてと完璧な対話を果たし、かつ彼らにその内面を破壊させることを納得させる――そんなことができる人間がいたらそいつは高柱猫と同等かそれ以上の天才だよ」
「まだそういう人間はいないのね。ひとりも」
「それもまたややこしい答えになってしまうんだけど、いない、とは言いきれない。ただ、……おそらく、いないはずなんだ」
「それは、どうしてそう言えるの?」
……僕にとって、その答えは明確だ。
胸のうちに、いつでもある。
だがそれは、……南美川さんに対してさえ、まだ言うことをためらわれた。
だから僕は、あくまで無難な答えを選ぶ。
「だってさ。そんな論理がつくれる人間がいたら、それだけでひとつの新しい宇宙でもつくれてしまうんじゃないかな。わざわざNecoの内面を壊すだなんて地味なことをする必要がない」
「単独で宇宙神になることはまだ人類には難しい、ってことね……」
単独で宇宙神になる。
それは近年、一部の科学者たちが本気で目指ししはじめたことだ。……だから大学では生物学をやってたという南美川さんの口からも、すらっとそのフレーズが出てくるのだろう。
科学の研究は深まり、技術の発展は目覚ましい。
それなら生物の種を宇宙バッグに背負って適当な惑星にばら蒔いてそこで生命を発生させて進化させて彼らをその思考に染めれば理屈上はひとつの惑星生態系ができあがるし。
もっとでかいスケールでいえば、現代物理学をもっと極めてひとつの宇宙座標さえも産み出せる技術ができあがれば、これまた宇宙というのは理屈上無限個生成できる。
もっとも、どちらもまだ理屈段階だ。人間の技術はまだ新世界をつくるにはおぼつかないというのが常識だし、……そもそもどの人工知能もそのことに対してゴーサインを出してはいない。すべての人工知能が、現時点では問答無用で、だ。
もちろん、Necoもその例外ではない。人類による新世界の設立じたいにはどちらかというと肯定的な見方をしているが、同時に人類にはまだ早すぎる――というのがNecoの一貫した見解。
とはいえ、僕の思う根拠はほんとうはそれではないけれど、……とはいえ。
もちろん、こうやって話をするときにほかのひとがいてほしくなかったというのがまずいちばんの理由だけれど。
僕はふらふらと勝手に歩いて南美川さんをつきあわせているかのようで、じつのところ、目的地があった。
雑木林はもうすぐ終わる。そうすれば、公園のほんらい西門があったところ――。
「うん。だいたい、そんなところだ。……それにそれ以外に、決定的なことがある。わかるよね、南美川さん、僕たちは……」
「わかるわ。わかるもの、シュン。……世界は、区切られているんだわ」
雑木林が終わる。
視界が、ひらける。
南美川さんがうずく気配が右手から伝わる。ほかにここにはひともいなさそうだし、……僕は腕からリードをほどいて、南美川さんを自由にした、――南美川さんがそこに駆けていって首輪の鈴がリンリンリンとけたたましく鳴る。疲れているはずなのに、……弾丸のようにそこにめがけて駆けていった、その後ろ姿。人間のころとまったくおなじの素肌と、そこにちょこんと取りつけられた柴犬としての尻尾。
「区切られているんだもの……!」
西門の向こうはほんらいはオフィス街が広がっているはずだった。
でもそんな気配は、ない。微塵も。それどころか、西門の、公園に出入りする人がたっぷり十人は並んで通れるはずの、背の高さも人間三人ぶん以上はたっぷりとある、そんなひろびろとした四角いスペースの向こうにはなにも、なにも見えない――しいてそこにあるものを言うとするならば、それはただ虚無のごとし水色がかった青色。
西門で囲われたところだけが、そんな色合いをしている。……それ以外のところはこんなにもいまもあっけなく、のどかな午後の公園の風景のままなのに。空も、森も、草も、機械鳥も。……ここはまだたいしていじくられていないようで、ほとんど変質せずにまるで現実世界となんら変わらない質感で、存在している。西門のそのブルーだけが、……沈黙して、不自然にただそこに佇んでいる。
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