深海の目線で、見られていることも気づかずに
『あっ、なんだあ』
と、心底ほっとしたような声を上げたのは、黒鋼里子だった。
はー、となんだかわざとらしすぎるような長いため息を、でも、どこまで素なのか、……テーブルに突っ伏してこれまたわざとらしく目を閉じなんてしながら、
『葉隠さんて、なんかこう、もっと近づきがたいお嬢系かなー、とか勝手に思ってたわー。
はー、なんだー、なんか無駄に安心したー。あっ、とか言ってごめーん、私いま無神経なこと言ってる? 葉隠さん的にはめっちゃ切実な事情なのにさー、えっ、私、失礼すぎない?』
『ええよ、ええよー。私がお嬢さんでもなんでもあらへんの事実やもん』
『はー、よかったー、てかお嬢系でそんな美人で、そんででもじつはわけありで、そんででも捻くれてなくてさー、性格もいいとか、完璧すぎー』
『そんな……』
そんなことあらへんよ、と言って葉隠雪乃はうつむいた。
はにかんでいる。照れている。……どこまで演技なのかな、と思ってたけど、もしかしてほんとうに――純朴なのかな。
だとしたら、女の子として、……珍しいくらい。
そうやって。
わたしはこの場のようすをただただうかがっている。
イメージとしては深海にいる魚。
深海魚。
目立たないように、静かに、目だけを――動かすの。
もちろん、奇妙ではない程度にね。
黒鋼里子は起き上がり、さりげなく短髪を整えた。
『うらやましー。うらやましすぎるわー。私なんかさー、もう捻くれちゃってるからさー』
『えっ、そんな感じせえへんよ?』
『ありがとー、マジ葉隠さん気遣い半端なさすぎー。なんでそんな大変な過去とか事情とか背負って、そんなまっすぐでいれるかなー』
『……黒鋼さんもなにかあったの? あっ、過去形じゃないかしら、いまもなにかを背負っているのかしら』
わたしは、言葉で参戦した。
ちょっとぎょっとしたように黒鋼里子はわたしを見た、……まるでわたしがしゃべらないお人形みたいに、思っていた視線よねこれは。
……しかしすぐに目を逸らして、またしても、テーブルに突っ伏す体勢になる。
『あー、そのー、なにかあった、ってゆーかー。んー、けっこーいろいろあったんだけどー、なんかさー、葉隠さんだってわけありだしそんで私の重ったい話をするのとかさー、私空気読んでなくなくなーい?』
……あ、もうあなたのなかでは話すの前提なのねとは、心の底では思ったけれど。
『……でも、これからみんなでずうっと仲間なんだから、聴いときたいわよね。ねっ。葉隠さんと、守那さんだって、そうでしょう?』
相変わらずの微笑みで、ゆったりとうなずく葉隠雪乃。
自分に話題が振られると思ってなかったのだろう、それまでなんだか呑気に無防備にドリンクに夢中みたいな
『うん。私、聴いてくれたんやから、お話逆に聴いたげたい』
『えっ、あっ、うんっ、もちろんっ。話してくれるなら、めっちゃ聴く、聴くよー』
『えー、ほんとー? 言っとくけど、私の話とか、めちゃ、重いよー』
黒鋼里子は、嬉しそう、……とっても、とっても、嬉しそうね。
『だからこそ、よね。いま、話してくれたら、わたしたちとっても嬉しい……そうよね?』
『うん、いま話せることなら、いくらでも話してよ』
『そうやよお。私ら、これからあのえらい先生の研究室でな、同期、四人組になるんやから――』
『えー、んー、そんな言うんだったら、まあー、じゃあー……けっこー、自分でも、思えば思うほどしんどい話なんだけどー……』
嬉しそう。ほんとうに。嬉しそうね。どこまでも。黒鋼里子、……黒鋼さん。
わたしの、深海の目線から――こんな温度の目線で見られていることすら、気がつかないで。まったく、優秀者なんでしょう、いちおうは、……しゃんとしてほしいわ、なんて言葉が、ほんとうのところ――伝わる相手なのかしらね、ねえ、あなたは、あなたたちは、……わたしの言葉が伝わるほどには、ちゃんと優秀なのかしら。
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