そして、彼の取った行動は

 ――気分が、一気に変わってきた。

 そして僕はそうしてやっと、塞ぎ込みきっていた自分自身に気づいたのだった。


 Necoが、応答しないことが。

 当たり前にいつだって世のなかに偏在してくれていた存在が、

 いなくなる、感じられなくなる、遠くなる――



 たったそれだけのことで、いや、……だけではないけれど、でも、でも僕は、そのことによって、こんなにも心にダメージを受けていたのだと――やっと、気づいた。




 エンターキーを、ほとんど垂直に叩いて。

 もういちどおなじコマンドを、繰り返してみた。

 ――ネコはやはり応答する。

 おんなじボイスで、おんなじワードではあるけれど。

 そんなことは、いまこの僕の一種はやる気持ちに、なんの関係もない。

 なんも。

 なんにもだ。




 Necoとは――ここでも、つながれる!




 南美川さんと、カル青年と、カルちゃんさんと、そして葉隠雪乃と。

 この場に居合わせた、全員が――僕に注目しているのを、感じる。




「……葉隠、さん」




 たどたどしく、名前を呼んだ、……葉隠、さんは、訝し気に首を傾げた。




「だから、お願いしたいことがあるんです。あなたに。……あなたにしか、たぶんお願いできない」

「なんや、まどろっこしいなあ。しかも、えらう丁寧にお願いしはるんですなあ。それで? ……なんのことです?」



 僕は、生唾を飲み込んだ。

 南美川さんが、どんぐりみたいな目をこれ以上ないほど見開いて、僕を、……僕だけをその瞳に映してる。


 僕の背景にはきっとあの青空が映っている。このひとの弟と妹からのメッセージの、稚拙な伝言板としての役目も果たす、青い空。

 しかし、たぶんいまこのひとの瞳には、それは――虚ろに映って、いるのかもしれない。



 南美川さんが、なにかを、不安に思っていることはあきらかだった。やはり、このひとは、……そういうところの感覚が、とても鋭敏なんだ。



 だから、言いづらかった――でも、言わねばいけないこともわかっていた。

  Necoは、生きてるんだ、……この次元空間でも生きているんだとわかったいまでは。

 それを――僕から、お願いしなくてはならなかった。

 ……ならなかったのだ。






「南美川さんを、散歩に、連れて行ってくれませんか」

「シュン!」




 南美川さんが悲鳴みたいに僕を呼んだ。とっさに、僕はその口を右の手のひらで塞いでしまったけれど、ああ、……カル青年とカルちゃんさんが、揃って変な顔をしている。




「……南美川さん納得できない顔してるえ」



 葉隠雪乃は、目を細めて南美川さんがじたばたするのを見下ろしていた。……涼しすぎる、ゆえに、冷たい印象。



「おしどり夫婦のあいだに私なんか入ってしもうたら、来栖さんにぞっこんな南美川さんかわいそうやろ」

「……すみませんと、思っています。南美川さん。ごめん」



 しかし僕は手を離しはしない。

 南美川さんがなにかを言っては呻くのが、手のひらの吐息の生々しさで伝わってくる。


 南美川さんは、納得してない。

 たぶん、納得してと頼んでも、できることではないだろう。


 ……それはこのひとに地獄を強いることだ。

 地獄を、納得しろなんて。

 そう、簡単には。――僕だって、すこしは時間がかかったというのに。



 いくら、全体のためと言い聞かせても――理屈で納得できるものではないのだ、地獄は。



「でも、僕は……」



 深呼吸を、ひとつした。……このくらいのポーズを決めることくらい、見逃してくれよな、あとでやたら僕を笑わないでおいてくれ――Neco。



「南美川さんには、ほんとうに申し訳ないし。自分でも、図々しいと思っています。でも。……でも」



 続く言葉は、自分自身でも思った以上にはっきり言えた。





 ――僕は、Necoを相手にしなくてはならないんです。








 言ってしまったあとのほうが、むしろ後悔が強かった。どっと、強烈に、押し寄せてきた、だから僕は南美川さんの口を、言語を意思を、手のひらで無理やり塞ぎ続ける代わりにその身体のぜんぶをすべてを抱きしめて、自分自身の胸に押し当てたのだ――南美川さんは、もっと強く声を上げた。まるで、……手負いのケモノが呻くみたいに。

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