人間樹木
「その女の言う通りだよ!」
社会人とは到底思えない言葉遣いの、だみ声が響きわたった。
「――もう、御免だよ! なんだってこんなクソ公園でこんなぼうっとして待たされなきゃなんねえんだよ!」
広場のひとたちは、そちらを見た。
僕も、振り返った。
騒いでいたのは――ああ、僕は知っていた、
……人権制限者の、ひとりだ。体操が嫌だと喚いては、カル青年はじめ管理者たちに取り押さえられていた、枷でよく木につながれていた――。
……あのときには、純粋な目をしていると思ったけれど。
いま見ると、……どうしてそんな印象を抱いたのかとわれながら不思議だ。
地団太を、踏んでいる。
踏んで、踏んで、踏んで。苛立ちをすべて、放出するかのように。でも、苛立ちの溜まる速度のほうが、きっと速くて。
地団太を踏んで、踏んで、踏んで。彼は、なにかを表そうとして、表したくて、でもたぶん表せていない――
僕は、知っているんだ。……その場において人間未満とみなされてる者の言葉も、意思も、だれひとり、……満足に聞きやしないんだ、って。
「おうっ、その専門家とやらなんやらよお!」
びくっと肩が自然に震えた。
「ほんとに、テメ仕事やってんのか? どうにかしろよ! もう、オレ、帰りてえんだよ、わかんだろ、毎日毎日無意味な体操やらされてよお、そんで帰れねえとかさあ、勘弁してくれよ、ナメてんのかコラ――」
――なかよくしてねって、いったよね。
一瞬、空耳かと思った。でも、違った。僕だけではない。ここにいる多くのひとたちが、あたりをきょろきょろと見回しているからだ。
――ここは、エデンなんだよ。みんなのために、ぼくたちが用意してあげた、えいえんのところなんだ。
だから、なかよくできるでしょう。
だから、なかよくしてくれるでしょう?
「――どこからだ! どこから、響いている!」
「なんてこと。なにが起こっているのかしら、ねえ、なにが」
「少年みたいな声ですね。若い男の子なんでしょうかっ」
人権制限者の管理者たちが、一斉に叫んだ。……そこは、さすが、公務員のひとたち――という的外れな感想を、僕はぼんやりと抱いた。……たぶん、ついていけてないのだ。なにひとつ。ほんとうは、なにひとつとして――。
「はあっ? どこにいんだテメ! コソコソしやがって、卑怯だぞ! 出てこいよ、オラ、タイマンだったら張ってやる――」
……ざんねん、でした。
ほんとうに、ざんねんだよ。
そして、ほんとうにうれしいことだね。
だって、ふふ、……あなたは……
声が、中途半端なところで途切れた。
直後、男の野太い悲鳴があたり一帯を支配した。
「――はあっ?」
なかば、間抜けな声。
僕はそのすがたを認めた瞬間硬直した。……現実ではないと瞬時に思おうとした。
でも、違った。たぶん。現実だ。いや。現実? この公園じたいが、そもそももう現実なのかどうかわからない――だからもしかしたらほんとうに、現実ではないのかもしれなくて。でも、現実みたいな、……まるで現実みたいなリアルさをもってしてそこに彼は、いるわけで!
数人の悲鳴があがった。そしてその悲鳴は数秒もしないうちに増幅した。
悲鳴をあげない者もあきらかに顔色を変えていた。どうにも反応していないように見えるのは、……皮肉なことに、一部の人権制限者たちだけ。
僕は、立ち上がった。
思わず、そうせざるをえなかったのだ。
それは、とてもゆっくりな動作だったけど。
ここにいるほかのひとたちに比べれば、あまりに不自然な
「……シュン……!」
南美川さんは、僕の脚にすがりついてきた。
僕のふくらはぎに頬を寄せるそのひとを、……せめて、振り落としてしまわないように。
しっかりと。
「――どうなってんだよコレはよお!」
まるで木のうろに埋め込まれてしまった、呑み込まれてしまった、いや、
木と、一体化してしまった、いや、……というよりは木みたいに身体を変質させてしまったのか、
……たとえばとても幼い時代のお遊戯会の木の役のように、ひょいと顔だけ出してるみたいに、
いや、いいや、……それよりももっと、際どい、グロテスクだ、
なにせ木というのは通常は茶色の幹や枝に緑の葉のはずなのに、
いま、僕が見ているのは、――肌色の幹、木ならば葉のあるべきところにもさっと生えた黒い髪の毛。
人の身体の色をしているのにあきらかに人の質感ではないごわごわした幹。
そのてっぺんには顔がある。
丸い頭が、肌色の幹のもっとも上部にちょこんと据えられている。
両手を持ち上げる格好の枝からは不自然に人としての手が生え、
肌色のままなのに、その質感はもうヒトのそれではなくて、……木の、それで、
――手のひらと顔の表情だけは動かせるみたいで、さきほどから目はきょろきょろとあたりを見回し、ふたつの手のひらもひょいひょいと動く。
しかし、それ以外のことはまったくなにもできないらしく――木のかたちに据えつけられた身体は微動だにしない、――おそらくは体操も怠けていたのだろう腹や、下腹部が、……つまりはそこにあるモノというのはすべて、そのまま、剥き出しになっていて、……露出どころではない露出だ、しかも、……たぶん自分で隠すこともできない、
……背後で悲鳴が聞こえた甲高い女性の悲鳴は、……そのことと、なにか関係があるのだろうか。
じっさい、わかる――失礼極まりない話ではあるが、……男の僕さえ、目をそむけたくなるから。そんな、グロテスクさがあったから――。
顔や、身体つきはさっきのまま、……人間のままなのに、万歳をした格好のまま木の質感で固められてしまった、
到底理解できないほど不自然な、
――樹木人間、としか現状言いようのない、その、男を、見て、僕は、
……僕は、立っているしかなかった。
まるでただ立ち尽くすみたいに。
バランスを崩して倒れてしまって、
相変わらず僕の脚にすがりついてくる南美川さんまでも、巻き込んでしまわないように――。
立っていよう。
しっかりと。
「身体、どっこも動かせねえんだけど……!」
――絶望に染まるその顔を見ても僕は、
しっかりと、立とう。
倒れてしまえば、……たぶんほんとうにおしまいの世界だ。
……気を抜いてしまえば、転んでしまうし。
倒れてしまうし。
それどころか――樹木と一体にさえ、されてしまう、
人間では、……いられなくなる。こんどこそ、決定的に――。
この世界は、たぶんそういうふうにできている。
この世界の、支配者は――僕のことさえ人犬にしようとした、あのふたご。
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