そして、混乱の公園は

 そのあとの公園は、パニックだったとしか言いようがなかった。




 人間が樹木になるなんて。

 人間未満が動物になるならまだ、理解できるが。



 彼は人間未満ではなく、人権制限者だった。

 制限されているだけで、人権が失われたわけではない。


 それに、樹木だ。

 植物に、されたのだ。

 人間未満を植物として活用しようという動きなら、たしかにまことしやかにクローズドネットで語られ続けていた――しかしまだ実装化はされていないはずだ。



 なにより、いくら人権制限者であっても、人は人だ。

 彼は、僕なんかよりずっと年上ではあるけれど、……成人というのは単純に年齢で捉えることは、できないから、

 成人できなかったのか、成人したあとに制限がかかったのか、どちらであるのかはわからない――しかし、どちらにせよ問題だ。


 あくまで建前として、だが。

 人権制限者は人権を回復することを前提にしている。

 まだいちども成人していなかった存在にとっては、人権を達成するという表現をする。


 つまり、人間であることを期待されている存在なのだ。

 すくなくとも、加工の対象では――ないのだ。



 人を人ではなくするときには、公的でシビアな手続きのもと、おこなわれるはずなのに。

 僕たちの社会はそうやって成り立っているはずなのに。



 彼は、ただ、ふいに、――気がついたら樹木にされていた、としか、言いようがなくて。





 ……それは、パニックも生むだろうというものだ。

 なにか普通ではないことが起こっている。普通、社会では起こりえないはずのことが。




 人権制限者が樹木にされた。




 子どもをもつ親らしきひとたちは、青ざめて彼らの子どもを抱きしめていた。


 僕はそれを、たぶんうつろな横目で見ていた――子どもというのは典型的な人権制限者の括りに入る。だから、親たちはぞっとして心配する。そういう仕組みの気持ちになっていることは、理屈としてはもちろん理解できるのだが、僕は、……そういうことに対して、どういう立場でどういう立ち位置でどのようにかかわっていけばいいのか、いまだに、わからない、そんなことはわかった試しが、ない――高校時代から、一貫してずっと。



 人権制限者の管理者たちはいちばん騒々しかったかもしれない。


 あの上司さまと呼ばれていた中年女性は、なんどもスマホ型デバイスに耳を当てては、うまくいかず、やがてスマホ型デバイスを芝生に向けて思い切り投げつけた。ぽすっと芝生の上に落ちた――かと思えば、きゃらきゃら、きゃらきゃらと、……芝生のひとつひとつに丸い笑顔マークが浮かんで、そのスマホ型デバイスを、……地面に溶かしていくかのように飲み込んでしまった、女性はふらっと倒れてしまって――カンちゃんさんが、慌てて駆け寄って介抱した。


 カル青年は、樹木に取り込まれてしまった、あるいは樹木そのものになってしまった彼に話しかけ続けていた。

 大きな声で、怒鳴り声にも似た雰囲気で。

 だいじょうぶですか、痛くないですか、苦しくないですか、と――病院のナースのように、なんかいもなんかいも繰り返して語りかけていた。






 男性の返事といえば、動かせない、動かせないんだよおと、――そんな呻き声ばっかりが、連続して繰り返されて。






 すごい騒動。

 人々の、感情。

 ……普通、社会なら、感じるはずもない。

 人間の、剥き出し――。



 そんな世界の真ん中で僕はただ立っている。

 でくの坊みたいに、突っ立っている。




 僕は、いま、だれも自分に注目していないことを、いいことに。




「……ひとが剥き出しだと感じるのは、」




 ひとりごとを、言ってみた。




「高校のとき、以来だな」




 ――ひとびとは、自分の感情や都合や理屈を呑み込むことを忘れはじめて。




 樹木人間の、真っ赤になった顔。

 ……同様の、剥き出しの身体。



 ――助けてくれよ。

 彼は、そう、怒鳴った。




 体操をしていたときのように、じたばたと暴れることさえできないのだろう。

 枝から、ちょこんと生えた人間としての手のひらだけが――じたばたと、彼の感情をあらわしているように思えた。

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