なすべきことを、なすしかなく

 ……なさなければ、いけないのだ。

 この状況で、ひとがたくさんいて、ひとに見られていて、……期待をされている状態で、

 こんな状況、南美川化と南美川真がどうにかしてしまって、それで、Necoとコミュニケートさえできない――そんな状態で、僕は。



 自分のなすべきことを、なさなければならないのだ。

 それが、いくら自分にとって嫌なことでも。

 ……いますぐに、布団を被って丸くなってしまいたいことでも。




 それは、許されないのだ、僕は、この社会において社会人だから――。






「……わかりました」



 そうつぶやいたのは、いったい、僕の意思によってだったろうか。




「試して、みます。できるかぎりの、ことは。……解決しなければ、いけませんから」




 こんな、状況。

 現実から切り離されてしまっただなんて状況――聞いたことが、ないけれど。




 僕はしゃがみ込んで、借りたノートパソコンを開いた。

 そういえば、このノートパソコンを貸してくれたひとは、もうこの広場に来ているのだろうか――わからないが、このノートパソコンはオールディでありながらトラディショナリィなキーボード機能をきちんと備えていて、入力デバイスとしてはかなり優秀だ。なにも、言ってこないなら……すくなくともいまは、借り続けるしかない。

 あとで、お礼は言いたいけれど。いまは。すくなくともいまは。――やってくことが、優先だから。だから、いま名乗り出てこないということによって――無言の承認だと、僕はそういうふうに、……すくなくともいまは解釈せざるを得ないんだと、思う。





 いろんなひとたちが戸惑っていて僕を見ているはずの広場で。




 ふたたび、起動。

 念のため、もういちど起動プロセスを試す。――失敗。

 管理者権限が、通用すらしない。Necoは、――急に言語を忘れてしまったみたいだった。




 ……しかし。

 それで、あっても。

 いや。だからこそ――。



「……試さなければいけないことは、けっこう、あります」

「それはどのくらいあるんです。社会人のかた」

「……細かいところや、厳密な定義まで言えばキリがないですが、とりあえず、……三十三通りほどは」

「せっかくやっていただくところ、恐縮ではありますが、しかし――時間は、どのくらいかかりますか。ここにいるみなさんの安全確保のためにも、……ある程度の時間が、算出できるとよいのですが」


 さすが、公に働く立場だ。――確認することが、いちいち社会的だ。

 まるで、仕事みたいだな。いや。準ずるものではあるのか、これは社会人の義務だから……そう思えば、ノートパソコンのブラックなモニターを眺めたまま、妙な苦笑が自分自身の口から漏れた。


「……逆に時間を指定してもらえれば。その時間内で、優先順位の高いものからやっていて、……どのくらいの見当効果まで生めるかということくらいなら、説明できます」

「おっ、やりますねえ、――社会人のかた」


 それはそうだ、これはいつも業務でやっているようなことだから。

 だから僕は、……社会に、社会人であることを許されているのだから。かろうじて、だとしても――。


「そうですね、カンちゃん、どのくらいだろうか」

「……上司さまにおうかがいを立てたほうがよろしいのではないのですか、カルさん」


 いつのまにか、人権制限者の管理者としておそろいの服を着た彼らは、広場に集まっていたらしい。

 カルと呼ばれる青年がひとさし指を高く掲げた。その視線の先には、例の中年の女性。

 例の中年の女性は頷いた。……それで、すべてはきちんと決まったようだった。


「とりあえず、一時間ではどのくらいまで見積もれますか」

「……それだと、十パターンくらいまでは。もっとも可能性のありそうなベーシックな手段を試すのに二十分、それで分岐してしまえば重大な欠陥がないか試すのに十分、それでさらに分岐してしまえばそのあとの時間で脆弱性へのアクセスを試みます――」

「分岐して、ってどういうことです?」


 ああ、いけない。……専門用語か。


「……つまり、試してみて、その段階に試すことがうまくいかなければ、という意味です。一種の、……業界用語というか、そんな深い意味はないです。プロセスをフローチャートしたときに、どんどんノーのほうに進んでいく、というくらいのイメージで――」

「それは、ノーを前提としているということですかね?」


 青年が顔をしかめたので、僕は慌てて言葉を中断した。……適切な言葉を、なるべく短い間隔で、絞り出すよう努めるのだ。


「ああ、いえ、えっと、……そうではなくて」


 そういえば、この手の苦労をしたことはない。僕がいつもやる仕事は、杉田先輩がいつも顧客や上に説明してくれていたから。

 ……杉田先輩。そういえばもう、長らく会っていない気がする。ただうざったいだけと思っていた先輩に、いまなら、すごく会ってみたいと思った。杉田先輩は対Neco企業の営業だから、Neco専門用語を噛み砕いてそれでいて正確に翻訳するのが、とてもうまい。いま、先輩がいてくれれば、僕はこんな苦労はせずに済むのに――。


「……もちろん、成功を前提としますが、いろんなことを試してみなければならない、ということです。なにせ、……いままでにないことですので」

「未曽有ですよね。こんなの。聞いたこともない」


 青年は、顔をしかめた――もしかしたら、彼の癖なのかもしれない。……公園を散歩していたときは、人懐っこいというイメージしかなかったのだけれども。





 南美川さんは、終始心配そうに、僕を、僕だけを見つめていた。その瞳はどんぐりのように大きく、いつでも意思で爛漫と輝いていて、そこだけ見れば高校時代と変わらなかった。――このひとの弟と妹が、この事態を、引き起こしている。いままでになかったことを、未曽有のことを。この超優秀な南美川さんをも超えるという――デザインキッズの、あのふたごたちが。

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