ノルマもこなして報告にも行く、けれど

 それでも、だ。

 ……その日も、どうにか、ノルマを達成した。

 ほんとうに、どうにか、だ。どうにか、こうにか――お昼のあとはずっと無言でふたりで歩き続けて、……でも、さりげなく沼地のほうを多く通るルートに変更したことを、南美川さんが、……勘のよくて賢明なこのひとが、気づいていないとは思えない。

 そして、出口も、いつもの表のあの巨大なアーチではなく……西口に、変更したことも。



 ……とても歩いて行く気力はなかった。

 そもそも、ネネさんと話すのさえ、今日は、いや、今日もかもしれないけど、今日はとりわけ――しんどかった。


 だから、すこしでも疲れたくなくて、タクシーを拾った。

 もちろん、相変わらずぐったりとした南美川さんのことは――抱きかかえてあげたけれども。


 国立公園から高柱第二研究所まで。それくらいのタクシー料金なら、簡単に支払える。どこからどう見ても社会人――に見えるんであろう僕に対して、運転手さんは、……底抜けに、親切で、だから僕は――やっぱりいますぐ帰りたくなった。



 南美川さんを膝に乗せて、頭をひと撫でした。わかっている。僕よりもずっと、このひとのほうが疲れている、って。僕の疲れなんて、そんな、たいしたことない、って。わかっている、わかっているんだ、わかっている……でも僕はその金色の前髪をひとふさ撫でただけで、……耐えることだってできただろうに、ただ、もう、……すべてをシャットアウトしたくて目を深く閉じてタクシーのやわらかくも適度な硬さの背もたれに、もたれた。





 首都の中心の地下街にある、……高柱第二研究所。

 慣れてきたはずなのに、馴染みもあるはずなのに、……冬樹さんから住所を聞いて杉田先輩からその存在を教わったときには、いや、そのあとのネネさんの対応だって、僕たちにとってのそれは希望で唯一すがれるところであったはずなのに、……あんなに楽しくみんなでスイーツだって食べたのに、それなのに――僕は、ほんとうに駄目なやつだ、薄情、いや、……そんな格好いい言葉で形容することはできない、僕は単なる恩知らずで、人間に値しない心をもっているだけなんだ、



 そう、思う。



 地下街にどでんとそびえる半球体型の高柱第二研究所が、いまこんなにも、……まるで南美川さんから教えてもらったおとぎの話の魔王城みたいに見えるなんて。

 行ったら、食われてしまうかもしれない。

 行ったら、……責められてしまうかもしれない、だなんて――。




 入口、入って、すぐ。

 ……すっかり馴染みとなった受付の女の子に軽く会釈をしたら、そのひとはいつもの不器用そうな笑顔で、でもちゃんと手を伸ばしてネネさんの部屋のほうをさしてくれた。

 僕は、なおもうつむき加減に会釈をした――やっぱり僕の髪の毛はこれくらいの長さでなくちゃ駄目だ、……外界を、かかわるものを、ほんのちょっとでも遠ざけたい、見ないで済ませたい、人間の顔なんて見るのは嫌だ、かかわるのも、話をするのもほんとうはもう嫌だ、




 ……歩きながらふと下を見てみたら南美川さんが唇を引き締めて僕を見上げていたもんだから、僕は、どうしようもなくてその顔を直視さえできなくて、ただただ、目を逸らした――ああ、南美川さんの心配さえ、……僕はじょうずに受け取れない。





 ……スマホデバイスの着信音が鳴った。

 これは、オープンネットの人間からの連絡用の音だから、……それは、つまり、そういうことで。




 だれかが、僕に連絡を取ろうとしてきたってことで――耐えられない。もう。どうして。僕は。僕なんかに。……みんな、かまうんだよ。みんな、知らないくせに。僕のことを。なにも、……なにも知らないんだよ、ほんとうの僕を知っているのは南美川さん――




 南美川、幸奈だけ。




 ……僕は心のなかでそう吐き捨てて、もう下は見ずに、僕の足もとについてくる姿も感触も見ずに、ただ、目の前のどこでもない場所だけ見つめ続けて、……惰性で、リードをクイと引いた。

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