昨日の延長線上のような店員さん


 今日が昨日の延長線上とわかる――というよりは、昨日も今日も、区別のつかないこのケーキショップと、……この店員さん。



「今日もいらしてくださったんですね! あっ、私のこと覚えてます? ほら、昨日も接客させていただいて!」

「……はい、覚えてます」


 僕は、ひとのことはよく覚えている。

 覚えたくもないのに、覚えてしまうのだ。


 ……それは、自分自身に他人から向けられる目というのが、とんでもなくどうしようもないものだと知っているから。

 劣等な僕のことは――たいていのひとが、見下し、よくて哀れむ。

 この店員さんだって例には漏れない――ほんとうは劣等的な雰囲気のある僕を、……それでも社会にいるのだからと、社会人対応を――してくれているのだ。

 それだけの、ことだ。……それだけのこと。

 それだけのことが、今日は、こんなにも重たい。



 南美川さんには、伏せてもらっている。……公園からここまでは、抱っこして歩いてきた。

 ほんとうはいまも抱っこしてあげたいけど、ケーキを買うときだけだ。買ったら……また、抱っこする。

 すこしでも、楽であるように。

 四つん這いで立っていることさえつらいのだ……だから事前に決めたシグナル通りリードをクイと引くと、南美川さんは、素直に伏せをしてくれた。

 そのまま、じっとこちらを見上げている。……まるで、もの言わぬ犬のように。



「よかったー、ほら私おしゃべりじゃないですか? もう来ていただけないかなと思ったので来ていただけて嬉しいですー」



 ぺろり、とこのひとは舌を出した。その仕草は、……やはり、わざとらしく。



 この手のひとのこの手の発言を聞くたび僕はいつも不思議だ、ああ、……どうしてそこまで自分に自信がもてるのだろう。

 ひとが自分のことを覚えているとか、個性を認識してくれるとか。

 それに、そう思うなら、いまもうおしゃべりという個性を弱めればいいのにとか――。




 ……どれも、きっと僕だったらそうするだろうということばかりだ。

 そして、それは、……僕だから、そうせねばいけないだけなのだ。




 奔放にふるまうひとが悪いわけでは、けっしてない。けっして。

 奔放にふるまっては、ほんとうは人間相当の価値がないとバレてしまう僕のほうがいけないのだと――頭では、わかってはいるのだけど。



 ……どうやって生きてくれば、そして、……どこまで自分に優しくすれば。

 たかだか客のひとり相手にここまで自分の個性を主張し、会話をして、好きなものの話をして、鼻歌まで歌ってみせる――そんな自由奔放さを、……そこまで露出させることができるのだろうか。



 店員さんはそのまま、大層、嬉しそうな笑顔で。


 淡いベージュ色の三角帽子、朗らかな笑顔。

 ……昨日会ったときとまったくおんなじ調子で、あれこれケーキをおすすめしてくる。


「今日はなんのケーキにいたしましょうかー? 今日はですねー、昨日とはまた一風違って、キウイフルーツがフレッシュなケーキがあるんですよー」


 あっ、となにかを思い出したように声を上げると、ぱん、と手を叩いた。……それはちょっとだけだけど、なんだか演技がかったかのようにわざとらしい動作にも、見えなくもなかった。


「昨日のショートケーキ、いかがでしたか? お客さま。彼女さんには、喜んでいただけましたか?」

「ええ、それはもう、……甘くておいしかったみたいで……」


 僕はちらり、と南美川さんを見下ろした。

 南美川さんも、僕を見上げてきた。……気づかわしげだが、なにも言わない。

 言えないのだ。わかっている。社会では、犬は人間の言葉をしゃべらない――。


「そうなんですね! よかったですー。いろいろとおいしかったり新しかったりするケーキもいいですけど、やっぱり、伝統的なスタイルのケーキも見逃せませんよねっ」

「ああ、はい、それで……今日も、ショートケーキを」

「ええっ、今日もですか? だいじょうぶなんですか、そんな毎日毎日ショートケーキで!」



 だいじょうぶって、……なにがだろう。

 うるさいな――そううっとうしく感じてしまう自分の気持ちを必死に抑えて、なんだかんだこの店員さんのすすめにも従って、……僕は、今日は一風違う、ベリー系のショートケーキをワンピース、買った。



「ありがとうございますー。今日も、彼女さんと、よい時を!」



 ケーキの包みを渡して、最後は手まで振ってきてみせた――会釈をするだけが精いっぱいの僕は思う、……このひとは、この世界で、なんの疑問もなく、ただ、ただただケーキたちと笑顔とおしゃべりと……そんな世界に、シンプルすぎる世界に、……僕とおなじ社会に生きながら、満足して、納得して、……いやあるいはそんなこと考える間もないくらい、ただ、ただただ、――ありふれていても幸福な毎日を送っていたりとか、するのだろうか?




 ケーキショップに背を向けると、僕は南美川さんを抱きかかえた。

 南美川さんは小さく僕の名前を呼んだ。僕の頬を舐めてこようとするから、……いいよ、と僕は南美川さんの頬のそばで、つぶやいた。

 ……こうして顔どうしが接近するとこのひとの人間としての耳は除去されてしまっている、ということを、触感として、感じる。

 人間ならほんらいそこに耳があるべきその場所が、不自然に、つるつるだ――。





 ……Neco。




 タクシー乗り場に向けて歩き出して、月を見上げて。

 僕は周囲に歩くひとにバレない程度にその名をそっとつぶやいてみたけれど、……正規の手続きを踏まなければ、こんな街中でそんなつぶやきだけでNecoシステムが応答するわけもなかったのだった。訊きたいことなら、知りたいことなら、……話したいことなら、――いくらでもあるけど。

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