だから、ケーキを食べよう
僕がそれこそ幼い子どものように、黙りこくったままミサキさんの渡してきたアナログ貨幣を受け取ったのを見ると――うん、とミサキさんは腰に両手を当てて、どこか満足そうにうなずいた。
そして、ミサキさんはそのままよっこいしょと歩き出そうとする――。
「それじゃあね。ありがとう、お若いひととね、そのワンちゃん――」
「――待ってください、これ、やっぱりっ」
「……いらないのだったら、寄付でも、なんでもしてちょうだい。……社会評価ポイントにだって換金できるのだから、お金は、よいことしか起こさないでしょう?」
ミサキさんは振り返ってそれだけ言うと、……眩しい昼下がりの光のなか、真っ白なワンピース風のTシャツをぴかぴかに太陽光で光らせたその背中をこちらに見せて、ゆっくり、ゆっくり、……あとはいちども振り返らず、昼間でもちょっと湿っぽくて薄暗い雑木林のなかに、……姿を、消していった。
僕は、ふう、と深く息を吐いた。
南美川さんが目をいっぱいに見開いて、心配そうにこちらを見上げている。
「……シュン、だいじょうぶ?」
「ああ、べつに、だいじょうぶだよ……話をしただけだし」
「でも、顔色が悪いわ」
「……ひととしゃべるだなんて慣れないことをしたせいじゃないかな。それより、南美川さん。……ごはん、途中になっちゃったよね」
おばあさんの、……ミサキさんのお話は、時代をさかのぼってきたという感じもあって、……とても長いものに感じられたけど、でもスマホデバイスで確認をすれば――時間としては、まだ一時間も、経過してはいないのだった。
さあ。――ごはんを食べきってもらって、また歩き出さないと。
つらい身体を……南美川さんには、また動かしてもらわないと。どうして、こんなことを、そんなにつらいことを、……このひとが強いられなければならなかったのか、その理由も事情も納得できないまま考えながら――午後も、散歩を、……いまの僕たちにとっての絶対的な義務を、続けるのだ。
僕は、自分では食事もできない南美川さんの口もとにサンドイッチを運び続けて、自分でもちょっとだけ食べて、そうして……食事を済ませながら。
僕たちのあいだに会話は少なかったけど、僕は、……ぽつりと南美川さんに尋ねた。
「……ねえ、南美川さん」
「なあに? シュン」
「……さっきもらったお金、どうすればいいかな」
南美川さんはくりっとした目で僕を見上げた。
「あんなにもらってしまって、……やっぱり断ったほうがよかったのかな」
「いいんじゃない、くれるものは、素直にもらっておけば……」
「でも、なんだか悪いことをしてしまったみたいで」
「……シュンはそういうところだわ」
南美川さんは、苦笑していた。
「いいじゃない。あのおばあさんは、お話をしたことに、それだけの価値を見出したということなのよ。……正当な価値を、あなたに渡したかったのよ。
気になるならば、……あのひとの言う通りだわ。お金なんて、余ったらとりあえずどこか
「じゃあ、寄付、しようか、……でもなあ……」
これ以上南美川さんに愚痴をこぼすのも、……みっともない気がしたので。僕は、そこで口をつぐんだけれど。
でも、気持ちではそのあともずっと思っていた。寄付しようか、でもなあ、そんな、……正当ではないやりかたで社会評価ポイントを稼いでしまって、いいのか……。
「……ねえシュン、だったらひとつだけお願いがあるのよ」
「……なに?」
「もらったお金で、今日も、ケーキ食べたい。今日もこれからがんばれたら、甘い甘いケーキを買ってほしい……」
南美川さんが肉球を僕の膝に乗せながらまっすぐこっちを見上げて尻尾をふりふりするから、僕は、……思わず気持ちが緩んで笑ってしまった。
「ああ、いいよ、……そういうことならそれにとりあえずお金を使おう……」
「シュン、やっと笑ったわ」
南美川さんは、きれいに、でもどこか無理をした感じに、微笑んでいた。
「あなたは無理をしていると、こわばる。ひとと話をしていると、こわばるわね。
……でもね、それって、それは高校のときのわたしのせいなんでしょう?
……わたしがあなたをいじめていたころを思い出すから、だから――ケーキを食べよう」
僕は笑うのをやめて、黙って南美川さんを見下ろしていた。
そして無言で――その頭を、いちどにど、撫でた。
金髪の頭に、金色の耳が、……いつも通りなんだけど、つらかった。やっぱり。慣れきりはしない。いつまでも――。
……だから、ケーキを食べよう。
どこに、だから――と言うような、論理的な因果関係があるというのか。
……まったく、といった感じだ。
女の子の、いや、……南美川さんの言うことはわからない。でも。……あのまま、どうしようもない感情の沼の底に沈むくらいだったら、そんな女の子らしい南美川さんのノリに乗っかるのだって、……悪くはない、すくなくとも、……最悪、ではない……。
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