編集済
更新お疲れ様です。
さずかりものではなく、つくりもの。
真と化を知った時点で気付けることだったのかもしれませんね。
この世界は社会の要請により際限無く理想化される「人間のイデア」と、自然発生的に生まれる不足だらけの「ヒト」との間にある乖離に耐えられなかった。
故に、造った。
「人間のイデア」の具現化。
それはもう、「ヒト」の生態を離れた全く異種の生命への突然変異と言える。
「ヒト」はいずれ淘汰され、「イデア具現体」に取って代わられる。
彼達も、いずれは社会に与えられたイデアの自重に押し潰される。
終わりの始まりが、既に始まってしまっている。
ペットショップでの出会いから、随分遠いところまで来てしまった。
いや、同じところを違う道で巡り続けた結果として、今立っている場所を認識したと表現すべきか。
今やっと、この世界がどうしようもなく終わりを迎えつつあることを認識できるようになった。
……あまりの壮大さに言葉もない。
この世界の行く末を、最後まで見届けたく切望しております。
(めっちゃ長くなった……申し訳ないです……)
作者からの返信
いつもありがとうございます。
謝っていただくなんて、とんでもないです。むしろいつも感謝しております。すたーげいざーさんの感想、いつも楽しみにしております。
そうなんですよね……おっしゃる通りで。
「人間」というものを人間が定義すれば、それはどこまでも天高く、無限のイデアになっていくのは、ある意味自明なことだと私は思っています。
だから、人間は人間を定義するのではなく、人間として生きねば社会はひいて世界は崩壊すると私は長らく感じていたのですが――そのあたりがこの作品に現時点でも込めることができて、読みとって感じとっていただけてるのであれば、そんなに嬉しいことはないです。
彼らの旅路はまだまだ続きますが、だいぶ遠いところにも来ました。
ゆくすえ、全力で描かせていただきますので、今後とも応援していただければ幸いに尽きます。
編集済
もうすでに、人類と言う種の終わりの始まりですか。
振り替えれば南美川幸奈がしゅんを虐めた理由がクラスの平均値によるポイント減少でしたね。
一人娘を見限ってヒューマンアニマルにし、理想の子供を創った娘夫婦の末路が見えるようです。
――――
子遊孝を問ふ。子曰く、
「今の孝は、是(こ)れ能(よ)く養(やしな)ふことを謂(い)ふ。
犬馬(けんば)に至るまで、皆能く養ふこと有り。
敬せずんば、何を以て別(わか)たんや」と。
――――
この言葉を嫌な感じで思い出します。
娘夫婦が老いて働けなくなり、それまでに稼いだ貢献値を消費して行くだけの存在になった時。いずれ彼らは家族の平均値を下げる存在になってしまいます。
そうなると今度は、彼らが子供に見捨てられて人間未満にされるオチが見えてしまいました。肉親の情がわずかでもあれば、親をペットのように養いはするでしょうが。
ミサキさんだけに限って言えば、娘夫婦と無理やりにでも絶縁して孫を引き取れば、生きている間は孫の人間未満化は防げるかも知れません。
そして稼いだモラトリアムの間に、膝に抱いて本の読み聞かせして、算数だけ重点的に最初から教えればなんとかなるかも知れません。
小学生段階では、算数が出来るようになると格段に他の教科の成績も上がります。なので算数を例にとります。
例えば算数なら途中経過も全て、補助計算も検算も、一切の省略なく書かれた超模範解答をまんま丁寧に書き写させるだけでも違って来ます。
一年生の分野まで怪しいと言う事は、繰り上がりと繰り下がり辺りでおかしくなっているのでしょう。
フラッシュカードで補数を条件反射で出てくるようにさせ、定規を使って桁を揃えさせるだけでも、点数が上がる子が居ます。
九九は日露戦争の最中に小学2年で教えるとなってから、2019年4月現在の今日に至るまで教える時期が変更されておりません。百年以上の経験則的に8歳は九九の暗唱をするのに最適の年齢です。
割り算が出来ない子は何が出来ないかと言う問いに、とある先生はこう答えました。
「何ページを開いて下さいと言ってそのページを開けない。問1を指してと言って指差しできない」。
割り算のシーケンスである「立てる・掛ける・引く・降ろす」以前の、本当に些細なことが根本原因なのだと。
実際、まだいくらでもやりようはありそうです。
しかしその前にミサキさんの心が折れてしまっているのですね。
そして。めちゃくちゃ必死になってる自分に気が付き唖然。
あと。ダックスフントって、事実上の達磨状態だから、犬のトイレを使用するのも難渋し、あるいはおむつ使用で赤ちゃん状態かも。(大人になれないから発想)
作者からの返信
全体的に非常に鋭いご考察であると感じます。
そして、こちらとしましてもこれからこの小説において向き合わねばいけないような事柄ばかりで、考える機会をあらためていただきました。まずはそのこと、ありがとうございます。
夫婦の末路にかんして、その通りだと思います。この時代の、ナチュラルに発生した人間がメインであるという最後の世代は悲惨ですね。将来への不安、というのは、もちろん現代の私たちもすごいものがあると思いますが、もういち段階人権的にシリアスな意味で、この世界のひとたちは非常に脅えていると思います。
私もいやしくも教育に携わっている人間ですので、おっしゃることはとてもよくわかります。本来、そこで見限るなどはけっしてあってはいけず、ちょっとしたきっかけや理由さえ解消できれば子どもはどんどん伸びていったりしますね。
そういう可能性を、「人間未満見込み」みたいにしてさっさと処分してしまうのが、この社会のかなり深刻な現状ですよね……。
ミサキさんは歳をとりすぎました。それまで猫という存在を基準にして生きてきたのに、平和な晩年とばかり思っていたこの段階でこんなこととなってしまい、身動きがとれていない状況にあるのだと思います。すくなくとも、見知らぬ若者たちにふらふらっと話しかけにいってしまうくらいには……。
口減らしを厳密な評価方法で行えるなんて実に進歩的な社会ですね。
この分だと姥捨もできるようになるのでしょうね。
子を畜生に落とすのであれば、子に畜生に落とされる親も増えていくことでしょう。
これから生まれてくる完璧な子ども達に比べれば、親世代は明らかに劣等なのですから。
未来は「人」の笑顔の絶えない社会になるでしょう。
作者からの返信
鋭いご考察だなと感じます……。
そして最後のひと文。とてもピリッと効いてらっしゃいますね……おっしゃる通りです、ほんとうに。