ちょっとだけ勉強の遅れている女の子

 えっ――とは思ったが、それは声にはならなかった。

 たぶん、結果的には、……僕は絶句していたのだろう。



 どうにもちょっと距離感や様子が変なひとだから、もしかしたら冗談でも言っているのかと思ったけど、それにしては、このひとの表情は――清々しいほど、哀しそうだった。

 南美川さんも意味を理解したのか、びくんと肩を大きく動かした。だから、僕は、……ベンチに並んでこうしておばあさんの話を聴きはじめて、もうなんどめなのか、南美川さんの身体を、強く抱きしめなおした。



「……孫が、ヒューマン・アニマルにされる未来が来るなんて、思ってもみなかった」



 はあー、と、微笑むように、それでいて完全に自嘲するかのように――おばあさんは、息を大きく、長く吐いた。――生温そうな吐息。

 僕は、僕たちは――どうしていいのか、わからない。

 簡単な相槌の、答えかたさえわからない。


「あのねえ、ヒューマン・アニマルにされるったってねえ、孫はねえ、けっしてねえ、人間未満に値するような子じゃないんですからね」



 今度は奇妙に鼻歌を歌うような調子で。



「だって、かわいい女の子なのよ。そりゃね、ちょっとばっかし、……頭は足りなかったかもしれないけれど。でもねえ、とっても、……とってもかわいい、女の子なの。

 いまね、小学三年生。八歳よ。かわいい、かわいい、盛りなの……私なんかにもね、おばあちゃんおばあちゃんって言って、懐いてくれてね。

 長女の、ひとり娘なの。私にとっても、初孫だったから……もう、かわいくて、……かわいくて、仕方なくてね」



 人並みの幸せってこんなにとろけるみたいなんだ、って思った。

 おばあさんは、吐息とも呟きともつかぬ調子で――そう、漏らした。



「……一緒に、暮らしてるの。長女もね、すごく、いい子だったから。……旦那に先立たれてひとりぼっちだった私を、かわいそうだって言って、お婿さんを説得して、いっしょに……暮らしてくれてるの。……ああ、もちろん、生活スペースは別よ、――いまどきらしく厳密に区切られているけど、でも、だとしても、……室内自動扉を開ければ、すぐに娘一家のおうちなの。ごはんだって、……一緒に食べることも珍しくないわ。ねえ、とっても、いい老後でしょう……だから、私は孫とも過ごす時間が長いの。ほかの、老いたひとたちよりね」



 ……孫の、おもりを、任されるときだってあるんだから。

 そう続けたおばあさんは、その歳に似つかわしくない少女のようで、たぶん、それは――その言葉に潜んでいる感情に、役割を任せてもらえるという優越感と、……その程度の役割しか果たせない劣等感が、あるから。

 僕は、そういう人間の感情に対してだけは、……無駄に、相変わらず、敏感だ。



「……まあ、そのせいなのかしらね? 孫の、その、……そういうのに気づけなかったのは、……お義母さんのせいだとか、お婿さんに言われてしまったのも」



 ふふっ、と、きれいに、……おばあさんは、笑った。



「……でも、気づくもなにも、あの子は、そういうのじゃ、ないじゃない」



 ないじゃない。

 いや、僕には、知らないけれど、おばあさんは、すくなくとも――そう繰り返すんだ。



「……そりゃ、ちょっとは頭が足りてないわ。学校の勉強なんか、……つまんなくって、ぜんぜんわかんないみたいだし」



 それは、僕にも覚えがあるけれど――たぶん、それは、逆だ。……とくに、人間未満のボーダーラインに立たされてしまうようなひとにとっては。

 つまらないから、わからないのではなく、……わからないから、つまらない。



「たしかに、たしかにね、……いまは三年生の冬だけど一年生の範囲もちょっとおぼつかないところがあって」



 ああ、たしかに、――それは。

 その女の子には、けっして、なにも罪はなくとも――とくに幼少期なら、そういった相対的な遅れを、……この社会は、許容も容赦もしない。



「でも、それだけで、人間未満になっちゃうなんてことがある?」




 おばあさんは、両手で顔を覆った。





「ここは、ネコさんのつくった社会なのに、それなのに、ううん、だから、――だから私の孫が人間未満にそんな幼い年齢でされてしまうなんてこと、ありえて、いいわけ?」

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