むかしばなし、そして。

 ――そこからのネコさんの活躍も、そして進化も、まるで一瞬だった。

 ええ、まるで一瞬……私はそのあいだに子どもを産み育て、中年になって、やがて、子どもたちが巣立ちさえした、そんな年月だったけど――でもまるで一瞬だったの。



 そう、あれはまさに進化というほかなかったわ。

 進化……アイドルとして私の惚れ込んだネコさんの、社会的、そして生物学的進化、




 ネコさんは、社会を、いえ、……世界を、変えた。

 ほんとうに。そう、ほんとうに――。



 ……私からいくら説明したってわかってもらえるとは思えない。

 いまの、ひとたちに。……あのときネコさんといっしょに時代をお隣で走った私たちではない、ひとたちに。



 ネコさんは、この国を社会的に乗っ取って……変えただけではない。

 進化したのよ。




 そして、いまも、インフラAIとして私たちを見守ってくれてるの――。





「……めでたし、めでたしというわけ」


 どうやら、おばあさんは、語り終えたようだった。……いったん。



 語っているときのおばあさんは、一種異様な雰囲気をまとっていた。

 ああ、長いなあこの話、ずっと自分のしゃべりたいようにしゃべってるなあ、と僕は思っても――それを不用意に表したらいますぐ刺されてしまうんじゃないか、そんな怖さがあった。


 ……でも、話の内容は、おもしろくない、わけでも……なかった。

 なにせ、ネコの……高柱猫の、……僕のよく知ってる、Necoの話だ。

 僕もだし、――抱いている南美川さんの動きで、南美川さんは大層その話に耳を傾けているのだということが、わかった。


「そういうことなのよ」

「……そういうこと、なんですね」



 そして、そのあと、ネコはどうなったんだろう――とは、思ったけれど。

 社会的な活躍、生物学的な進化――おばあさんは、そこを意図的に端折ったのだろうか?



 ……たしかに。

 ネコの、高柱猫のことにかんしては、わかってないことが、あまりにも、多すぎる――社会的にもだし、僕、個人としても。



 お昼は、終わりつつある。

 時間帯は、気怠い午後に突入するのだ。


 おばあさんは、はにかむように笑っていた。

 銀髪が、陽の光にちょっと染まっている――。


「ごめんなさいね、長い話を、若いひとに……いまね、私のおうちもごたごたなの。ろくに話を聴いてくれるひともいないから、ついついしゃべりすぎちゃった。でもね、若いひとに聴いてほしかったお話だから、ネコさんのこと、……忘れないでちょうだいね。私みたいな人間がね、……語り継いでいくんだから、こういうのは。

 おお、冷えてきたわね。帰らないと。ああ。――ところでね?」


 僕はまた身構えた。……今度は、なんだ。



 おばあさんは、今日一番の笑顔じゃないかと思うくらいにっこりと笑った。



「私、さっき、ペットを飼っているってお話をしたじゃない?」

「あっ、はい……ダックスフンド、でしたっけ」

「そうそう。あなたはひとの話をよく聴いてくれるのね、お若いひと。ダックスフンドの女の子よ」


 普通に……聴いてる、だけだけど。

 それに。……高校時代に。ひとの話をよく聴かないと、とんでもない目に遭うこともあるということは、いま僕の膝にコンパクトになって収まっているこのひとが、教えてくれたから――殴ったり、蹴ったり、泣きたくなったり、ほんとうにいろんな目に遭わせることによって。


「それでねえ、その仔のお世話をしに、帰らなくちゃいけないということなんだけど」

「あ……はあ。そうなんですか」

「そうなのよお。人犬だから賢くて飼いやすいかと思ったら、いろいろ手間がかかって、やっぱけっこう大変だったわあ。エサとか、トイレ、お散歩ねえ……。でも、……家の者たちはいまそれどころじゃなくてだれも面倒を見てくれないし、私があの仔の面倒を見るしかないのよね」


 おばあさんは、肩をすくめながら。

 自分が世話するしかない、と言うときに、――やたらと瞳をぎらつかせていた。


「家の者は、ダックスフントモデルの仔犬なんて脚も短いし不格好だって言うし、あの仔が臆病でかわいげがないと言うけれど、だからね、私が、……私だけが、守ってあげるのよ、あの仔を。毎日、毎日、……お世話をするの」



 その表情に、ぞっ、とした――なんだ。なんだ、この感じは。



「……ねえ。若いひと?」

「はい」

「ネコさんは間違ってなんかなかった。ネコさんは正しかった。ネコさんは私たちを救ってくれた。

 私は、ずっとそう思っていたし、いいえ、……これからもそう思い続けたいわ。

 生涯をかけて、なによりもだれよりも愛したネコさん――」




 愛した――。




「……でもねえ、あのねえ、なんでかしらねえ、この歳になってはじめて、……ネコさんのつくった社会のすべてを愛すことが、できない。ネコさんのつくりあげたこの社会、それは、……報われない私たちへの大きなプレゼントのはずだったのに」




 あのねえ、とおばあさんは無邪気に言った。

 白髪がきらきらと昼下がりの光にきれいにきらめき、表情は……なんとも言えない、いまからでも襲いかかってきそうな、それでいていますぐ泣き出してしまいそうな、そんな、感情の深そうな顔をしている。





「あのねえ。私の孫、たぶんこのままだと、……遅かれ早かれ、ヒューマン・アニマルにされてしまうの」

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