ネネさんの説明(7)怒り
「……七日間って……え?」
僕は、思わず口もとを歪めてしまった。もちろん、ここまでしてくれるネネさんを馬鹿にしたいなんて気持ちはない。あるわけがない。
けれども、――じっさい僕の表情は、まるでネネさんを馬鹿にするがごとくのモノに、なってしまっていたはずだ。
「だって……そんな痛み、七日間も、って……」
そんなのは、
「……南美川さん、壊れちゃうじゃないですか……」
いまの話が、ほんとうなら。
たかだか五分とか、十分とか、――それでもひととしての心が、壊れてしまうほどの痛みを。
……七日間、だって?
単位は、間違いじゃないのか? 分とか、せめて時間とかの間違いじゃ、ないのか?
いや、そうだよな? きっと、そうだよな?
「……ほんとに、七日間も続くんですか」
「ああ。ほんとだよ。マトモな科学者は、こういうとこにはウソ言わない」
「狂うこともあるほどの、痛みが? ――どういう痛みなんですか?」
「……人間に戻すってことは、細胞をいじるんだ。
人間の身体をヒューマン・アニマルにするさいには、細胞を溶かせばいい。そちらの技術は、……発達している。だって、ヒューマン・アニマルにする技術は、社会に必要だったからな。ヒューマン・アニマル制度は、……猫さん論理で言えば、資源のリサイクルでもある。いちいち発狂されて廃棄になっては、堪らない――だから一瞬で、……痛みで狂わないような技術が、すでに、確立されていて。
けども、反対のプロセスを辿る場合には――そんな上等な技術は、ない。……ごく一部の、政治家などの相対的上位者のためのソレを除いては――。
……オリビタは、ヒューマン・アニマル化された部分の細胞を、こう、な。……再構成するんだ。
そのさいに、……手足と、あとは耳だよな、そこの細胞の動きが、オリビタ使用者にとっては激痛につながるらしいんだ――らしい、というのはな、……ぶじ健全なこころをもって人間に戻れた者たちの証言と、……七日間、転げまわって叫び続ける彼らの声から、推測するしかないからさ。
……生きながら、燃やされている。
身体と、……心が人間のままでいられた、幸運なオリビタ使用者たちは、あとになって振り返って、そういうふうに、みんな言うね――」
……転げまわる? 叫び続ける?
……生きながら燃やされている、だって?
……そんな。そんなの。
無理じゃ、ないのか。
南美川さんには、……あまりにも、酷なことじゃないのか。
だって――南美川さんは僕の前で泣きじゃくっていたのだ、
うちに来てから、……あんなにも、あんなふうに、あんなに、……あんなに、
「南美川さん、痛いの、嫌いですよ……」
そりゃだれしもそうだって言われてしまうかもしれない、痛いのが好きなひとなんていないよって、
けれども違う、……南美川さんの場合には事情が、ぜんぜん、違うんだ。
……電気、だっけ。あと、鞭とか。
南美川さんは、……人犬だから、調教施設でなんどもなんども、そういう痛みを受けたという。
もっとも――南美川さんの口から、わたし痛みを受けたのなんて理性的に説明があったわけでは、ない。もちろん。
いっしょに過ごすにつれ、減ってきた――けれども南美川さんはうちに来てからずっと、……混乱してしまうとき、やめて、やめてと泣きじゃくって、泣き叫んで、
いいこにするから、痛いのやめて、と、かならず口走るのだから――高熱の、うわごとのように。
……まるでそう叫んで、肉球で僕の服のすそや膝頭にすがりつけば、ゆるしてもらえるとでもいうかのように――悲惨に。
「……そんな痛みなんて……」
「ああ。だから申しわけなく思ってるんだ、春」
「……だから、って……なんですか……」
違う。僕。――怒りを、理不尽にまみれた悲しみを向けるのは、……ネネさんじゃない。
それにまだ、……人間の体に戻るときにはとんでもない痛みが生じるということを聞いただけで、詳細もなにも、聞いていない。
理性的に。もっと、理性的に。――衝動的に行動するから、悲劇が起こる。そう。上へ向かうことの憧れだけで研究者志望クラスに入ったことだって、数か月のことではあったけど、……あれは、僕はいま衝動だと思っているのだから。
ネネさんじゃない。ネネさんに向けるべきじゃない。わかっていた。頭では――わかっていたんだ、
「……これ以上、南美川さんにつらい思いをさせると……?」
言った僕の言葉はあまりにも呆然として、……責める響きを帯びていた、
「そんな、痛いの、無理ですよ、あのひとは、」
痛いの、やめて。
いいこに、するから。
痛いのは、痛いのだけは、やめてください。
いいこにするの。いいこになる。どうすれば、どうすればいいの、
なんでもするから、
――痛いの、やめて。
「……もう、にどと、痛いのなんて……」
「――では春。先発品を買うだけの、金はあるのか?」
カッ、と頭に血が上った感覚があった。怒るときって、ああ、そうだな、……こんなにも鮮明だったなと僕はひさびさに感じていた、……南美川さんたちにいじめられていた最初のころだけは、僕も、こういう膨大な質量の怒りを覚えてたことだって、あったんだよ、ほんとだよ、……そこから諦めて奴隷根性を養っただけなんだ、そう、それだけのこと、――僕にも怒りというものは、ある。ただふつうに、平凡に、ありきたりに、……こんなにも……。
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