「季節外れの、アジテーター」(上)

 ネネさんは相変わらずしれっとして、マイペースそのものって感じだ。

「邪魔するぞ」と言っているときにはもう、部屋の隅のパイプ椅子を勝手に組み立てて、面談室の四角いテーブルの、僕と橘さんのあいだによっこいしょとこれまた勝手に居座った、いやまあ勝手だとは思うけど、――とりわけ嫌というわけでも、ないけど。



「なあ春、亜音斗はなあ、すごいんだぞお、おまえ知ってるのか? なにせいくら巨大規模のキャンパスだったとはいえ、私が名前を聞けば覚えていたほどの――」

「わっ、わあっ、そんな話はどうでもいいです、きょうは私はプライベートな話をしに来たわけじゃなくて――」

「そうかあ? でもさあ、春だって堅っ苦しい話題ばっかじゃ、疲れるだろうよ。休憩だ、休憩時間だこれは。それともなんだ亜音斗、おまえもしや急いでいたりするのか?」

「……いいえ、午前いっぱいは来栖くんの応対業務に当てたから、会社に戻るのは午後でいいけど――」

「だったら、いいじゃないか。おまえまだあれだぞ、朝の七時半だぞ?」



 僕はびっくりする、……そんなに早い時間だったのか。

 そういえばどうしてそんな早い時間に橘さんは来てくれたのだろう――そう思ったら、ネネさんが僕を見て頬杖をついてニヤニヤしていた。



「春、おまえほんと顔に出やすいなあ。おもしろっ」

「……え、なにがですか」

「亜音斗ならな、毎朝見舞いに来てくれてたの。おまえが、ぶっ倒れてるときな。そんででも、昨晩いちど目を覚ましただろう? 医療生物学的に言えば、あのときのおまえの身体のデータからして十二時間以内には本覚醒する可能性が高いと思った。だからちょうど、いつも通りに来た亜音斗にそのことを説明してたらな――さすがは私、みごとに予想を的中させたというわけだ」

「え、橘さん、そんな、……毎朝……? ……社内規定とかでそういうふうに決まっていたんですか、ね、あの、だとしたらそんな手間を僕のせいでかけてごめんなさい――」



「……いいえ。私の、あくまでもプライベート的な判断です」



 橘さんは、いつにもまして硬い表情で言い切った――あれ?

 そしてちょっとだけ目をつむって、



「……ちょうど、通り道なのよ。この病院。私の自宅と、会社のね。

 だから、まあ、……ついでに寄ってるだけ。深い意味はないけど、……来栖くんは、後輩だし。いい子だから」



 僕はほっと胸をなでおろした――そもそも僕なんかのために手間をかけてることからまず申しわけないけれど、ついでということならまだ、なんというか、……ちょっとは僕の申しわけなさも、マシになるっていうか……。



「亜音斗も素直じゃないんだなあ」

「ネネさんに言われます? それ」

「うんうん、もっとも国大こくだいの女子なんて、みんなそんなもんだろう。旧時代体制の、学名が変わる前からの伝統だからな、ウチの女子はなあ、みんなサバサバとか言われちゃって、素直じゃなくて、かわいげがなくて……」

「ふふ、……懐かしいですね、そういうくだらない風潮」

「なあ。ほんとになあ」



 どうやらふたりがおなじ大学出身ということは、間違いないみたいだ。

 しかし、僕でさえも知ってる、国大、……国志私学連盟大学こくざししがくれんめいだいがく出身だったとは。

 あんなに相対的優秀層が集まる大学――いや、もちろん、このふたりであれば納得ではあるんだけど。あらためて、すごいなあって……。



 ……ほんらい、僕なんかとは、住む世界が違うはずのひとたち。




「そんでなあ、春」

「あ、はい」




 住む世界の違うふたりを外から見つめている気分だったから、……こっちに振られて、ちょっとびっくりした。




「話の続きだがな」

「え? 話の続き……?」

「だからほら、亜音斗がすごかったって話。……話していいか亜音斗、それとも嫌か?」

「……嫌か嫌じゃないかで言ったら、嫌ですけどね、そんなの。私は当時の面影はないし、……途中で脱落したんだし」

「いま、コイツにそのことを話すのは、いまの亜音斗は嫌なのか?」

「嫌です。でも、……来栖くんになら、まあいいかな。くるちゃん。……聞いても、秘密にしてくれる?」



 おとなの女性ふたりで盛り上がっている、べつに僕が聞きたいってお願いをしたわけでもないのに、ただ、とくに否定する理由も見当たらなかったから――僕は、はい、とうなずいた。

 うむ、とネネさんが、呼応した。





「亜音斗はな、それはそれは学内で有名な役者だったんだぞ」




 えっ、と僕は声を上げて橘さんを見た。

 橘さんは、あー、言っちゃったー……とつぶやいて、またしてもファイルで顔を覆った。……癖なのかもしれない、それ。




「なにせ三年で学内に居ついてなくて、たまにふらっと学校に行っても生物課研究室に引きこもってるだけの私の耳にさえ、亜音斗のウワサは届いたんだ。まあな、ウチの大学ほら、……学府とかと違って、世界立せかいりつや国立ではないだろ。いわゆる、私学なんだ。だからいまどきでも、芸術やら表現ならなんやらに打ち込む輩ももともとが多い。私には、さっぱりの世界だがな。

 ……そんな私の耳にさえ、亜音斗のウワサは届いたんだ」

「……間違いじゃないけど、ちょっと誇張しすぎです。私だけじゃなくて、……話題になってたのは、私たちのサークルのほうで……」

「ああ、その通りだな。過激なサークルだった。演劇サークルと名乗りそれもほんとうである一方、いわば、――アジテーターりょくでも恐れられていたから。そのときに役立ったのが、……男優を名乗っていた亜音斗だったろ」



 男優、と僕は驚きのあまり復唱してしまった。

 声を立てて、ネネさんが笑う。



「そう。男優だ。……古来よりこの地域にはな、性別が反対の役を演じるという文化も、あるらしいんだよ。

 亜音斗は典型的な女性男優だった。……髪の毛だって、あんなに短くってさあ。


 よく覚えてる。……よく覚えてるよ、アンタら、陰気だった私には眩しかったから。

 私だって、なんどもすれ違ってたさ。たまには大学に行ってやってもいいかってとき、アンタらは、……いつだって正門で演技とデモを融合させてた。ありゃ、もう芸術っていうかさ、祭だったね。それも、毎日恒例の。頭おかしいのではと思いながら通り過ぎる私のような陰気な学生のほうが、多かったか。でも、……熱狂してたヤツらも、多かったよねえ」





 もうやめてください、と橘さんが言った。

 本気で嫌そうな声でもなかった。でも、……嬉しくて照れてるってわけでも、なさそうだった。





「……眩しかったよ。ほんとに。季節外れの、アジテーター」




 パサリ、と音がした。……橘さんが、ファイルをテーブルの上に落としたあとだった。

 いままで見たことのない表情をしていた。僕にはよくわからないけれど、まるで、……ほんとにひとりの少女みたいな。




 ……アジテーター、って。そもそも、なんだっけ。

 デモとか、騒ぎとか……そういうのに、関係のある言葉なんだっけ。




 ……あとで、南美川さんに訊いてみよう。そういえば、南美川さん、ネネさんもここにいるってことは部屋でおとなしくお留守番してくれているのかな――。

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