単なる、希望の朝

 どれくらい考え込んだのだろうか。僕は、おそるおそる顔を上げてみた。

 もう、とっくに夜は明けていて――その景色は、あの巨大な山があるということを除けば、僕もよく知る朝だった。

 単なる、朝だった。出社時間が遅いことも含めて会社を選んだし、寝ているときにはブラインドカーテンを閉めてしまうので、僕はふだんそう遭遇しない早い時間帯なんだろうけど――でも、それは、やっぱり単なる朝だったのだ。


 僕も、知っているものだ。

 僕が知らなかったのは――あくまでも、夜明けというものだったのだから。



 ……黒い影の鳥が、飛んでいる。カア、カア、と朝の鳥らしく高らかに鳴いている。

 旧時代にも、朝に黒い鳥が飛んで鳴くという光景は当たり前のものだったようだ。


 けど、決定的に異なることは、あの鳥たちは人工物であるということ。

 時間になれば、繊細なマテリアルでつくられた黒い翼で空を飛んで、響きわたるけれども耳障りではない音で、カア、カア、と朝を告げる。じっさいに社会で用いられている時刻通知機能のひとつでもあるのだから、つまりしてあの鳥型ロボットたちも立派に社会の一部といえるのだ。Necoが管理し、――高柱猫が築き上げたこの世界の、一部。



 こんなにも、ゆきわたっている。

 朝の空に、至るまで。



 ……もう、街中で、管理されていない動物なんか見ることはできない。

 景観や機能という人間の都合によって、街中に生息する動植物は厳密に管理されている――ヒューマン・アニマルや、ヒューマン・プラントも含めて。




 でも、僕は思うんだ。

 管理されているのなんて、いまどき、人間だっておんなじだから。

 ……Necoが、そうしているのだから。




 だから。

 僕は、この空を見たって、一部の識者みたいに不自然だなんて思わない。




 ……でも。




「……南美川さん、どうかな、この空って、朝って、山って、……南美川さんから見ると、どうなのかな……」



 僕は、声を出すとまでいかないかすれ声で、ただ思うがままに語りかけながら。

 すやすやと眠っている南美川さんの、朝の光にも映える金色の髪を、ぺたりぺたりと、すこし遠慮しながらも撫で続けて。

 いまは穏やかなようすだけれど、その目もとに光る涙のあとを見つけて、そっと指の腹でぬぐった。んん、と南美川さんは目をつむったままさらにしかめて抗議めいた声を上げた、僕はいまになって驚く、このひとはこんなにも、……おとなの女性の顔をしていたんだっけ。




 ガチャ、とドアが開いた。

 ネネさんが、大あくびを手で隠しもしないで入ってくる。服装は研究所で会ったときとおなじで、よれよれの白衣だ。



「はー、ねっむーい、なぜ朝というのは眠いんだ、というか朝というのが眩しいのが悪いよな、そうだ、眩しいから朝は眠いんだ、ほんとは私はいつだって寝ているべきなんだ、おふとんと仲よしなんだ、まったくなー、私はもうずっと朝も夜も光なんて自由に調節しちゃえと提言してるというのに、まったく、社会運営のうえのヤツらは細かくってかなわん、……ふわー、眠いー、仕方ないんだけどねっむいよ――」



 そこでネネさんはやっと、僕がベッドの上で上半身を起こしてネネさんを気まずく見上げていることに気がついたようだった。



「……なっ、なんだよ春。起きてたなら、起きてたと言っておくれよ。寝たり起きたり忙しないヤツだな」

「はあ……人間ですから……」

「人間じゃなくたって睡眠は取るぞ」


 ネネさんはそう言いながら、部屋の隅にカーテンをまとめていく。そういえば、……僕のベッドの付近はカーテンが開けっ放しだったけど、いちおうほかの窓には薄手のレースカーテンと厚めのオレンジのカーテンがついているようだ。


「寝てると思ったヤツが起きてたら、びっくりするだろう。まったく」

「……起きたらいけないみたいな言いかた……」

「おい、曲解するな、そんなわけないだろう! いけなくだなんて――いや、まあ、その。……まったく、もう、おまえが寝ているあいだ幸奈がどれだけめんどくさかったと思うんだ」


 どうにもとんちんかんなやりとりが、でも、……けっして不快ではない。

 それに、……南美川さんの面倒臭さなら、若干想像がつくようになってきた。


「……それで、あの、そんなに眠たいのにどうして来てくれたんですか?」

「なっ。聞いてたなら聞いてたって言っておくれな!」

「……ええ?」


 ……そんな、当たり前のこと……。やっぱり学者って、ちょっと変わってるのだろうか。そんなことも、いまさらだけど……。


「……まあ、ほら、その。おまえの部屋の面倒くらい、助手ちゃんズに任せてもいいのだがな、うん」

「助手ちゃんズ?」


 アイドルグループみたいだ……。


「でも、その、ほら、幸奈もめんどいしさあ。いつもここで寝てるだろ? いくら懇意の病院施設だとは言ってもさ、その、幸奈には人権がないし。ほっとくのも、心配だしさ。なのに毎晩、春といっしょに寝るって言って聞かない。かならず身体に覆いかぶさって、そのままがっつり眠っているんだ。なあ、幸奈はほんとまったくもうの駄々っ子だろう?」

「……まあ、そうかもしれないですね……」


 でも、……ひとりでちゃんと眠れていたのだとしたら、それだけで南美川さんにとっては大きな進歩、なのだ。

 最初は、あんなにも夜な夜な泣き叫んでいた南美川さん――。


「それにさあ、いちおう私にも責任ってもんがあるんだよ。高柱に背いて研究して細胞採取なんてキワどいことしてるとさあ、やっぱりサンプルの様子ってさ、ああ、サンプルっておまえな春、定期的に見たくなるもんなの。だから、私は朝こんなに眠たいのにわざわざ――」

「……あの、ネネさん。もしかして、間違っていたらすみません。その……」

「なんだよ。まどろっこしいのはやめておくれな。スパッと要点を言えスパッと」




「……ネネさん、もしかして、僕のこと心配してくれたり――だったり、します?

 ……あ、あの、そのっ、あ、えっと、……間違ってたらごめんなさい、僕、自意識過剰で、こんなときでさえも、」




 ネネさんは僕の言葉を遮って叫んだ。やたら、しかめっ面で――。




「ああ! もうやだおまえ! 澄ましたようでいて、じつはそういう人間なんだからな! 幸奈が心配するのもわかっちゃうもんな! はい! もうすぐ朝食! なにが食べたい! リクエストを言え!」

「え、じゃあ、……ゼリーとかってあります? なんか、フルーツ系の……」

「了解! もう朝食持ってくるまでは来てやらないからな! あと三十分は来てやらないからな! あっ、なにかあったらそこのボタンで押すように。私に直結するほうがそっち、病棟管理者につながるほうがそっち。荷物は知らんがスマホデバイスは回収しておいたぞ、ほれそこに充電してあるから。あとはもう知らん。これから相談するんだ。とにかくいまは休め。これが、」




 ネネさんは、一瞬言葉を詰まらせた。




「……これが、心配じゃなくて、なんなんだよ」




 それだけ言うと、僕をやたら鋭い眼光で睨んで、そのまま部屋を出て行ってしまった。まるで路地裏で会った黒猫のように。ああ、そういえば、ネネさんの研究所もあったあの地下新興街だけは、Neco治外法権というか、生態系も通常の管理社会とは異なるんだっけとか、研究所に行く前にさらりとオープンネットで調べたことを、どうしてだろう、いまさらのようにこんなときに思い出して――。





 ……なんか、ネネさんにはいま、それこそ黒猫が威嚇してくるがごとく怒られたかのようで。

 でも。






 ……悪い気持ちがするどころか、突き上げるほど、申しわけなくて、恥ずかして、でも、嬉しくて……。子どもっぽい。ああ。こんなの。――僕はこんなにも子どもっぽいところがあったのかってくらい、子どもっぽいんだけど。





「……だから、どうして、僕なんかのこと」





 そこまで心配してくれるのかは――やっぱり、よくわかんないんだけど。いまだに、いまも……。

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