編集済
更新ありがとうございます!!
狩理君は、これまで常に薄氷を踏む様に、選択、発言、行動全てにおいて何かひとつでも間違えれば人間でなくなる……そんな生き方を強いられてきた訳で。
能天気に、当たり前の様に生きている幸奈に対して、嫉妬、憎しみ、羨望、理不尽など色々な思いがごちゃ混ぜになっていた事と思います。
ですが、恐らくこの後行うであろう店員さんに対する暴挙も、私は「 鬱憤晴らし」と捉えると思います。
自分の考えが偏っているという自覚も少なからずありますし、この考えを他人様に押しつける気は毛頭有りませんが、やっぱり私から見れば『自分の保身の為に、幸奈を差し出した』事は許せないと思ってしまうんですよ。
本当にいつも思う事ですが、すたーげいざーさんのコメントは【深い】ですね。考えさせられる事が多いです。
何か本文に対するコメントではないですね。すみません。
作者からの返信
こちらこそいつもありがとうございます!
狩理の生きかた、まさしくその表現の通りですね。薄氷を踏むように。
となりにいた幸奈への想いは、割り切れず、はかりしれないものがあります。
ですが、だからといって他者を引きずりこんで、巻き込んでもいいのか。
狩理は幸奈はじめ、すでにいろんなひとたちを傷つけ、ひいては不幸にさえしているはずです。
そこを「許せない」というのは、とてもまっとうな感覚だと思いますし、私もその感覚は個人的にはすごくもっております。
アゲインにいままでいただいた感想は、例外なくすべてありがたく嬉しいものでしたが、そのなかですたーげいざーさんのコメントもいつも嬉しく思っております。かなり鋭い視点で、深い考察をいただけるので……!
BCNR33さんのお気持ちのこもったコメントも、日々の大変な励みとなっております。いつもほんとうにありがとうございます。
狩理の露悪的な態度も、最初は理不尽な世界への当てつけで。
それがいつしか、彼にとって自然なものになってしまったのかなと。
そのように感じております。
彼の隠した傷も、犯した罪も決して消えたりはしない。
何かしらの咎を受け、人間でなくなるのもやむを得ないだろう。
「それでも」の部分を承知の上で、私には狩理はかわいそうだと思えてしまうのです。
彼を取り巻くものには、愛が欠けて悪意に満ちていた。
幸奈はある種の救いになり得たのかもしれないが、自分を誤魔化して彼女に縋れるほど彼は器用じゃなかった。
どこまでも、彼は心から救われないのだろう。
既に己から徹底して罰せられている。
「だから」彼を憎みきれないのかなと、考えております。
なんとも甘い考えだなぁ、と我ながら思いますが。
作者からの返信
狩理もほんとはまっすぐ育ちたかったのだと思います。状況や環境が許すのであれば。
となりでまっすぐすくすくと育つ幸奈は、彼にとって眩しいと同時に、どこまでも目をくらましてくる厄介なものでもあったでしょう。
もし、彼にありきたりな愛があれば。
あるいは、幸奈のことをそれでもとまっすぐ愛せたら。
そうしたら彼は幸奈を人犬にすることには賛成しなかったかもしれません。
ただ、彼はもうおっしゃる通りに自罰が生きるデフォルトになってしまっていました。そんな狩理がおそらくほとんどはじめてとなりのひとを罰する機会ができたとき、彼はもう罪も罰も疲弊するほど経験して、麻痺してしまっていたのかなと思います。
彼の救いはきっとどこかべつのところにあるのかも、しれません……。
編集済
高柱猫という人物について考えてしまいました
そもそも、なぜこんなディストピアを築いたのか?
社会貢献ポイントというシステムを導入することで、誰が劣悪で誰が優正かをハッキリ区別しようとした
表向きは社会を効率的に運営するための仕組みだと主張してそうですが、
その意図の裏側には、人間への恐怖と安心して生きていきたいという切実な願いがあったのではないでしょうか?
作中では、現実の日本では考えられない特権階級が存在しています
彼らは殺人さえも「若気の至り」あるいは「多少の羽目外し」だとして免罪されてしまう
現実の日本の倫理観に照らし合わせると、許されることではありませんが、
現実の日本にも問題点があります
それは、どんなに優れた人物でも下らない相手に足を引っ張られかねないという点
最近、話題の痴漢えん罪などがそれに該当するでしょうか。ごく一部のクズ女のせいで人生設計を狂わされた方がいらっしゃいます
他にも、クズみたいな連中の無責任で遊び半分の行為に苦しまれた方もいらっしゃいます。ネットでの中傷、身元特定、通り魔の襲撃などなど
そういう連中にとって、順風満帆な人生を送る「持てる者」は格好の標的です。隙をさらせば食らいつかれる
優秀で勤勉な高柱猫は無能で怠惰な「持たざる者」に積み上げてきたモノを崩されるのが我慢ならなかったのではないでしょうか? 落雷のように突然降りかかる理不尽に怯えて生きるのが堪らなかったのでは?
だから、誰もに等しく人権を与えたくなかった。あらかじめ不安の種を除去できるようにしておきたかった。そういう社会にする事で罪なき弱者が犠牲になると分かっていても、「それでも」断行せずにはいられなかった
人間は社会的動物です。価値観や善悪など時代で変わってしまう
ゆえに高柱猫は自分自身ではなく、社会の常識や空気の方を変えて、自分が生きやすくした
要するに、スクールカーストの頂点に立ってふんぞり返るガキ大将と同じ
そもそも愚かで醜い「人のあるがまま」を認められず、駄々をこねていた。そしてタチの悪いことにワガママを社会相手に通すだけの能力を持っていた
高柱猫の気持ちも分かりますよ。僕だって「人のあるがまま」を受け入れられません。社会改革を成し遂げた高柱猫の才能と努力に敬意は払いますが、高柱猫個人は大嫌いですし
これは持論なのですが、社会制度には一定以上のゆとりと遊び、甘さ、寛容さが必要ではないかと。効率だけを目指して落伍者を切り捨てていったら最後には誰も残りません。たとえ、法で裁けない悪党(少年法に守られた重犯罪者など)がのさばる結果になろうとも
どんなご高説を垂れようとも、僕の目には高柱猫が頭でっかちの子供に映ります
守りたいのは人間らしさではなく、自分らしさ。社会はガキの遊び場じゃない。好き勝手にいじくり回した功罪は大きいと言ってやりたいかな
まあ、作中未登場(存命かも不明)なので、僕の考察が当たっているかは分かりませんが。外してたらハズいな(笑)
たびたび長文を書いてしまい、申し訳ありません
鬱陶しく思われたのでしたらスルーしていただいて構いません
作者からの返信
いえいえ、うっとうしく思うだなんてとんでもございません。
アゲインをウェブで書いていることの大きな喜びというのは、読者さまより感想をいただけることだと思っております。
とりわけこのように長めの文章でのご感想は、いつもほんとうに嬉しいものなのです。アゲインについてお互いに語れるということが。
そして、高柱猫についてのご考察があまりにも鋭くてびっくりしました。
そうなのです。本作でも、また別作品「ヘルパス 高柱猫の演説『人間の再定義の提案』」でも、まだどこにもはっきりと書けてはないところなのですが、
おっしゃる通りに、猫はとても怖がりだったのです。
猫は怖がりでしたが、それと同時に頭もよかったですから、社会からゆとりや遊びや甘さや寛容さなどの「余白」を取り除いたら、社会が理論上どうなっていくかはわかっていたはずです。
それでも彼は改革を成し遂げました。きっとたくさん叫んで喚いて、自身の傷をますます自分で抉っていったことでしょう。たくさんのひとの恨みと憎しみを買い、死ね殺してやると思われたこともいくどあったことか。
しかし、猫はきっと救いたかったのだと思います。ほんとうは。
そして、それ以上に、やっぱりひとが怖かったんだと、思うのですね。
ひとが怖いなら、ひとではなくしてしまえばいい。そんなふうに考えてしまって、かつ成し遂げてしまったと思うのですね……。
彼の経緯については、別作品の「ヘルパス 高柱猫の演説『人間の再定義の提案』」でもっとしっかり書いてゆけるかと思います。
猫の事情がたとえなんであれ彼のしたことがすべてよいとはなりませんが、猫も猫でなかなか理不尽な目にあって傷ついていますので、よろしければそちらもお読みいただけるとよりいっそう高柱猫という「現象」がおわかりになっていただけるかな、と思います!