真ちゃん(3)言いたいけれど、もう言えないこと

 殴られて、殴られて、

 身体もいまもずきずき全身痛いけれどももう痛すぎて麻痺してきたようだ、

 それよりは、それよりは、ふしぎなの、――なんだかこころのほうがずっと痛いと感じるの。



 あなたにしてあげられなかったことが、たくさんある。

 姉として、そしてお互いひととして、わたしはたしかにあなたのことを、ずっと、ずっと、……損なっていたのかもしれない。



 ……だけど真ちゃん、

 わたしはもうなにもあなたにしてあげられない。

 人犬になってしまった、いまでは。


 ううん。ペットとして、あなたを癒すこととかは、もしかしたらできるのかもしれないね。

 そもそもいまこうやってサンドバッグにしていることが、わたしがいまそういう役目なんだってことを端的に示しているよね。


 けど、けど、それは、――犬の役目でしょう?

 犬は、ペットは、動物は、――人間未満に堕ちた元人間はもう、人間ではない。

 人間未満は、人間よりも弱くて。かわいくて。なんにもできない、存在だから。


 ひとに媚びることはできても。

 ひとに甘えることはできても。


 ひとに、ゆるしを乞うことは、できてもね、



 真ちゃん。当たり前だけどね。犬は――ひとを、ゆるすということはできない。

 わたしなんかにゆるされたくもないんだろうけど、……そういうことじゃ、なくってね。



 真がわたしをゆるさない限り、

 真はわたしをこうやって殴り続けるのだろう。

 汚い言葉でののしり続けて、バカにし続けて、

 それでこうやって大きすぎる声でうるさく笑い続けるのだろう。




 ……それを、わたしが止めることは、もうできないのよ。真ちゃん。

 気づいて。気づいてよ。――わたしはさっきからずっと言ってる。




「……ごめ、ん、ごめんね、真ちゃん……」




 謝ってゆるされるだなんて思っていないわ。

 わたしはもう、あのころの能天気だった南美川家のお嬢さまの姉のほうではないのだから。



 いろんなひとを傷つけた。やっと、わかってきた。人犬になって、……シュンと再会してから、やっとのことで。




 ……わたしは意識的にも無意識的にも、また自覚的にも無自覚的にも、

 数えきれないほどのひとたちのことを、おそらく傷つけてきた。

 人犬にされるときだって狩理くんがそのことを言ってた。

 だから、これがわたしのやってきたことの結論だというなら、……惨めな身体も、境遇だって、納得なのだ。




 そのなかでも、きっといちばんひどかったのではないかと思えるほどひどく当たったのが、だって、――来栖春。

 シュン、なのよ。


 わたしが調教施設に行っても自分より下を求めて空想するほどだった。

 再会して買われたときには、間違いなく調教施設よりもひどい地獄が待っていると覚悟をした相手だった。……わたしだってわかって買ったなら、だって、なおさらそう思うでしょう? そう思うことが――あくまでもあくまでも自然、でしょう?


 それほどのことを南美川幸奈はしたのだ、シュンに、……来栖春というひとりの人間に。




 ゆるせなくて当然よ。

 ゆるせないでしょう? と問えばシュンは、すべてがゆるしきれるわけがない、なんて曖昧な表現をした。




 でも、わたしは、じっさいシュンに飼ってもらって――このひとはわたしをゆるしているのだと、

 すくなくとも、――ゆるそうとしていてくれると感じた。なんでだかは、……知らないけれど。




 加害したって、知ったこと。重ねきれないほどの罪をおかして、きっと悲劇も連鎖させ続けた。そう気づいたら、――全身が素肌も毛皮も粟立って、それはなんどもなんども、繰り返されて。

 それは、あまりにも遅かった。


 けど、遅すぎなかった、――だってシュンはわたしのことをゆるしてくれていると、感じたから。




 ……ゆるそう、だなんて。真ちゃん。世界でいちばん、わたしがあなたに言えないね。





 でも。







「――殺したいっ、ああもうなんべん殺したってスッキリしないわあ、なんかい、……あとなんかいこの馬鹿姉ばかねえの残骸を殴れば、蹴れば、辱めればもっと愉しいのよおっ、あたし、あたし、――コイツのせいで人生ぜえええんぶうまくいかなくなったのっ、おまえがいたから、おまえがいたから、――上にバカ能天気なおまえがいたから!」




 ……わたしの、髪を、つかむけど、真の髪も、振り乱れている。




「あたしのほうが優秀なのにっ! あたしのほうが優れてるのにっ!

 ……化はまだいいよっ。毎日、楽しそうにしてたってさあ。化は……ちょー優秀、なんだから……。


 ――でもおっ!」




 がん、がん、ごっ、ごっ、……がしっ、がくん、どんどどどん、がしんっ。




「どうして劣等者のくせに毎日楽しそうに姉面あねヅラしてきたのよおっ――!」




 真は、泣いてた。




 ……ああ。真ちゃん。

 そういう、ことなのね。


 わからなくも、ないよ。……わたしも、おんなじこと思ってたもん。





 優秀者はすごくてえらい。希少価値もあるし、社会貢献もできる。

 だから毎日が楽しくてハッピーな権利がある。


 けど、劣等者はいるだけで社会の負債。

 殺さないだけ、感謝してほしい。

 日陰で生きろ。つねに生きていることを申し訳なく思い世のなかに謝罪を繰り返せ。優秀者のみなさまのおかげさまでわれわれ劣等者は生きられてます、という気持ちをつねに忘れずに、せめて社会のリソースとして世のなかの底辺仕事を繰り返せ。

 

 もちろん、日々を楽しく生きるなんてぜいたくは、もってのほかだと――





 ……思っていたよ。

 優秀者の子どもは、みんなそんな感じのことをだれともなしに教えられて。

 そして、それが常識となってゆくもんね。法律もだけど、……学校システムの基盤である校則でさえ、優秀者が優遇されているように、できている。





 ……だから、気持ちはわかるよ。でも――。





「あたしよりもじゅうも偏差値が低かったくせにっ! いつつも歳違って、アンタあたしに総合偏差検査そうごうへんさけんさで勝てたこと、あった!?

 ないよねえ!? なのに、……なのにっ、あたしは毎日ちょーつまんないってえええのに、アンタは毎日どうしてあんなにあんなにもおおおっ――!」





 耳が、ひしゃげた。

 いま、頭をつかまれて、床に押しつけられたこととは、関係ない。






 ……真ちゃん。

 姉として、思ったことがひとつあったよ。

 わたしはもう、あなたの姉ではないのだろうから、……あなたに向けて言葉にすることはできないけれど、






 真ちゃん、真ちゃん、……かわいそう。

 すくわれないね。すくわれてほしい。けど、――いまのわたしにはもう無理なんだってば、だから、だから……。




 ……言えないわ。そんなこと。

 ゆるそうだなんて、――そんなことは、やっぱり、……ね……。



 ごめんね。

 謝ることしか、できないね。

 けっきょくおなじだ、繰り返しなんだ、





 ……ごめんね……。


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