おはなししましょ(7)知りたい
わたしは、のみこんで、
……たとえのみこみきれないものでも、いまはせめてのみくだすフリをするのよ、って、心のなかで自分にそう言い聞かせて……。
……おはなしの、続きを、しよう。
「……ねえ。あなたのお父さんとお母さんって、どんなひとなの?」
「父さんと母さん……ですか?」
「うん。……違うわ、シュン、そんな困った顔しないでよ、あなたのことをからかうとか、馬鹿にしたいとかじゃない。あなたのこと、知りたいだけ、……あなたをこうやって育てたのだもの、きっとすばらしいご両親なのだわ……」
シュンはあまりにもあんぐりと口を開けて、わたしを見ていた。
「……それ、どういう意味ですか?
あ、そっか、……僕、みたいな、……失敗作でも、育ててくれるから、すばらしい親に決まってるって……ことですかね……」
「ううん、違う、違うわシュン、」
そう言いながらわたしは痛みとして感じていた、ああ、――このひとは十七歳の冬の時点ですでに自分自身を失敗作だなんて言葉でみなしていたのだと、
そして、そう思うようになった理由、原因、背景、どの表現を使うかなんてどうでもいいけど、たぶん、このひとの、すべてのもつれてからまった糸の先をたどるのなら――わたし、あのときの、……わたし。
けどもいまはそういうことじゃないから、わたしはすぐに言葉の先を続けるの、
「あなたが、そうやってほんとは、ずっと、……すばらしい人間だった、そしてあなたがそうなったのには、背景があって、きっと、ご両親だって、……すばらしいひとなんだって、思うから……」
「え? ……ちょ、っと、待ってください。え。……逆なら、わかるんですけど。
すばらしい、って、そっか、――皮肉かなにかですか」
ほんとうは全身を抱きとめたかった、
でもそうできないからわたしは前も後ろも両方の、四肢で、きゅっとこのひとの背中のブレザーに――抱きついた。
「違うわ」
いつまでもどこまでも、納得してくれない。でも、当然だ。……だってこのひとのそういった自信を根こそぎ奪ったのは、ほかでもないわたし。覚えている。……わたしがどんなにかこのひとに、つらくしたのか、って。
人間なのに、……わたしよりずっとずうっと人間だったのに、自分が人間だということさえ疑わせてしまったのは、わたし、なのだ――。
「そうよね、あなたの知ってる南美川幸奈は、……そういう意地悪なもの言いを、した。
けど、いまのわたしは、違う。夢じゃない、ほんとは、……夢じゃない、けど、……わたしは、あなたのことをほんとうに知った、南美川幸奈なの。
……あなたに飼ってもらった、人犬の南美川幸奈なの……。
……あなたがすばらしいって言うのは、皮肉でも罠でもなんでもないわ。……ほんとうのこと、よ。
あなたは、人間だから。
わたしと違って、……人間にふさわしい、心、持ってたから。
……家族のせい、だけじゃないわよね。それは。もちろん……。
けど、けど、……なんだろう、なんでだろうね、わたし、」
……あなたの家族はきっとすばらしいっていう気持ちも、なんだか、こんなにほんとうなんだけど、
「……知りたい」
ああ、そっか、……こっちなんだ、本音はきっと。
「わたしの、知らない、あなたを、もっと知りたい」
それはわがままにも思えるわたしの本音だったと思った――でもそんなわたしの発言で、シュンはなにか心打たれたかのように鮮明な驚きの表情で、わたしを、見てくれた。
そしてゆっくりとその口がひらく、
「……そんな、はなし、しても。つまらないと……思いますけど」
けど、とか言っていたけれどもわたしにはわかった、その語り口は、このひとが、……じつはけっこう頑固なそのひとが、あくまでも自分の意思で、語りはじめる――そうするときの、それであるのだと。
「父さんは、五十一歳で。母さんは、四十七歳で。
……父さんも、母さんも、旧時代のいちばん最後って言われてたらしい、時代の、生まれです」
ちょっとややこしいけど、このひとはいま十七歳のつもりでしゃべっているだろうから、わたしのほうが頭のなかで年齢とかは直さなければいけない。人犬にされてから、時間の流れはずっと曖昧だったけど――このひとが、わたしにまた時間の感覚を取り戻させてくれた、から。
……わたしは人間のままいけばもう二十五歳になっていたはずなのだ、そう知ることは苦しく切なくもあった、けども、もうだいじょうぶ、わたしはもう――時間や年代を、このひとに、……教えてもらった。
高校、二年。十六歳から十七歳になる、年……。
そして、このひとのなかで、季節はいま冬、……十二月。
と、いうことは、逆算して暦換算での年もわかる、けど、
……ついさいきんのように思えるその年は、
そっか、もう八年前のことなんだ――。
わたしは小さくふるふると首を横に振った。シュンがふしぎそうに見てくる。
だから、だからわたしいけない、……いまはわたしのひとり反省会の時間じゃないって、わたし、なんどもゆってるでしょ……わたし、自身に、そうよ――そうなのよ。
このひとに悟られてはいけないの、いまが、いまであることを。
だからわたしは、うーん……とわざとらしく言って時間を稼ぐ、それだってきっと、いまのこのひとを充分不安にさせうることだけどそれでも、
……そして頭のなかで計算する。
暗算するなんてそういえばずいぶん、ひさしぶりだ――四ケタから四ケタの計算で二ケタの答えを差し出すことは、わたしは、……けっして苦手ではなかった、そのくらいのケタなら、国立学府の大学生時代によくおこなっていたことだけど、だってわたし、理系だったし、
ああ、そういえば、……理系なんてことカンケーねーよなんて、人間、に、……ひどいことされたこともあった、っけ、なんて……。
……感傷に……負けない……。
わたしは、おもむろに口を開く。
「……そっか、じゃあ、わたしのパパとママより、シュンのお父さんとお母さんのほうが、年上なのね。
わたしのパパは、」
……うん。マイナス八年、
「……四十歳。だから、シュンのお父さんの、十一個下なのね。
それでね、ママは、」
……そう。マイナス八年よ、いいじゃない、犬になって長いはずなのにできるじゃないわたし、
「三十八歳。だから、シュンのお母さんの、……ここのつ下、か……」
「……うちの、父さんと母さん、子どもできるの遅かったから。
なんでかは、知らないんですけど、なんか……事情が、あったみたいで……。
姉ちゃんが、……待望の子どもだったんだそうです、それで、父さんはもう、姉ちゃんが来てくれたから子どもはこれでいいじゃないかと言ったらしいんですけど、母さんがですね、父さんのその発言にムキになったそうです。
詳しく、知らないですけど、そのときにはもう子どもを迎えることのできる環境、だったから、そりゃ結果的に子どもが姉ちゃんひとりでも、それならそれで受け入れるけど、
これでいいじゃないかとか、これで、ってなによ、って、……母さん、父さんにキレたらしいんですよ。……母さんのキレるすがたなんて想像できないな、よく言えば優しくて、甘い、ひとですから……って、あっ」
「いいのよ。続けて」
わたしはシュンに覆いかぶさるかのような格好になっていた。
わたしのいまのきっとらんらんと輝いているこの目を見れば――いまのシュンだって、わかるだろう、
「そう。そうなのよ。――わたしはあなたのそういうはなしを、とっても聴きたかったのよ!」
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