おはなししましょ(6)親のこと

 ……シュンがいま、高校二年生の十二月の壊れる直前の心なんだってこと、聞いて、もういっかい自分のなかで噛みしめるみたいに、確かめて、

 わたしは、おはなしを続ける。



「あなた、なんで……シュン、って名前なの?

 やっぱり……はる生まれだから?」

「……はい、ええと、はい、……そうですけど」


 シュンの誕生日を、わたしはよく覚えている。

 それは――わたしがこのひとを最初に気にくわなかった理由の、ひとつでもあるから。

 理不尽よね……誕生日さえ、いじめる理由にするだなんて――。


 わたしはこのひとのとなりに、ごろん、とする。そして、見上げてみる。その顔を。表情を。


「でも、あなただけ、空さんと海ちゃんとは、なんだか読みかたの雰囲気が違うのね」


 そう、思ったのだ。そらさん、うみちゃん……だったら、春と書いて、はる、という名前となっても統一性としてはまったくおかしくないはずだ。

 けど、このひとは、その名前の響きとしては、はるではない、しゅん、――シュン。そう、読むのだ。


「……ね。どうしてなの?

 そういう理由って、お父さんやお母さんから、聞いた?」

「……え。なんで、そんなこと訊くん、ですか?」


 シュンは訝しげにほんのすこしだけ眉間にしわを寄せた。

 だから、わたしは思わず、ほんのちょっとだけ笑ってしまうのだ。


「深い意味は、ないけど。でも、気になったから。

 あなたのことが、知りたいの。

 いろんなこと……あなたの、いろんなこと、わたし……」


 ……あなたのことが、もっと知りたいから。

 いろんなこと。

 名前のこととか、家族のこととか、

 ひとつひとつは些細なようなそんなことは、

 けれどもほんとうは些細ではない、たしかにあなたという、来栖春くるすしゅんという人間を、かたちづくっているのだから――。



 知りたい。……知りたい。

 あなたは、これから、……わたしのせいで、人間でなくされてしまうのかも、しれない。


 それでもわたしは、そばにいる。

 もうすでに人間じゃないわたしがいるから、だいじょうぶ、……だいじょうぶ。



 ……つがい、とか言って。

 ひどい、話よね。でも。



 ……あなたと、いっしょならって……。

 それだったとしたら、

 ずっとこうやっておしゃべりしてるの、……あなたとわたしが人間だったころのこと、

 そうやって……ずっと、過ごせたら、まだ――まし、かな。

 おしゃべりして……、

 もしそうなったらこれからのわたしたちに、人間的な未来など、ないから、

 おしゃべりする内容はいつも決まって一貫して、――過去の想い出話、ってことになってしまうだろうけれど。



 もちろん、思う。

 わたしたちをこんな目に遭わせた、……たしかにかつてはわたしの家族でもあった、あのひとたちの、ことだから。

 わたしたちのことを引き離すなんて、きっと、容易だし、……やりかねない……。



 ……けど。

 そんなことは、もう、……しょうがない。捕らえられた、ときから。

 現実を直視ったって、直視してみたところで、……縛られて転がされてて心を十七歳に戻されてるひとと、ただの一匹の人犬で、……なにができるっていうのよ。

 逃げることなんて、ぜったいできない。抵抗したって、かなうわけない。もう、もういっそと死にたくなったって――ねえ知ってる? 人間未満は、自殺の権利さえ、ないんだから。生殺与奪は握られている――。


 ……だから。

 すくなくとも。いまこのときは。

 あなたが、そばに、いるんだから。



 だからまるでなんてことない雑談みたいに続けよう、ね――



「……ねえシュン。どうして、あなただけ、シュンって音読みで名前を読むの? ……あ、話すの嫌じゃなければでいいわ。もちろんね」

「……や。べつに。嫌とかじゃ、ないですけど……そんなこと、僕が話しても、きっと、つまんないですよ?」

「いいの。げらげら笑うみたいなおもしろさを求めてるわけじゃ、ないの。……あなたのことを知りたいの」

「僕のこと……どうしてですか……」

「いいから」


 わたしはきゅっ、とその制服のネクタイにすがりつくかのように両方の前足の肉球を、乗せた。


「……教えて、くれないの? あなたの、こと」

「え――や、いや、……うん。そう言ってくれるなら、べつに、うん……話したりするのは、うん、べつに……いいですけど……」


 シュンはそう言うと、はあ、とひとつ息を吐いた。……あ、相変わらず、つらそうにはつらそうだけど、でも――すこしだけつらそうな感じが和らいできたような気がするのは、気のせいだろうか、……気のせいじゃないといいな。


「……名前。ですよね。僕の……。

 ……うん。もとは、僕も、おなじこの漢字でも、……はる、って読む名前になる予定だった、そうです」

「あ、そうなんだ」

「はい。……姉ちゃんが、空でしょう? やっぱ、そういう感じに、……合わせたかったっていうか」

「そうよね。妹さんも海ちゃんだし。統一性はわかるわよ。

 ……けど、読みかたは統一するわけじゃなかったんだ」

「……ふたりで、悩んだ、そうです。父さんと、母さん……。

 なんか、僕がもし女の子なら迷わず、はる、にしたらしいんですけど、

 僕、男だったから……はるって読みかたはちょっと女の子っぽくないかと、父さんが、言い出したみたいで。

 母さんいまだに言うんですよ、べつに女の子っぽくてもいいじゃないイマドキ、って母さん反論したのよ、父さんと激しい口論をして夫婦の危機だったんだから、なんて、とか、はは、……母さんいまだにときどきそう、言います。恨みが深いんだ……」


 口論……夫婦の危機……恨みが深い……。

 ひとつひとつのそれ自体の意味としては間違いなく物騒なのに、――シュンのしゃべりかたも、そしてそのできごとを聞いている感じでも、……まったくそんな気しないのね、楽しそう、どこか嬉しそうでもある、なんでだろう……なんでだろう……?



 南美川家、

 わたしの家族だったここの家のひとたち、……いまはわたしがいなくなって狩理くんを含めるとするなら五人家族ってわけ、だけど、



 南美川家で、おんなじようなワードがもし飛び交うような日があれば――すくなくとも、かつてのわたしと、そしてきっといまもそうであろう真と化と狩理くんにとっては、ということだけど、


 パパとママが口論して恨みが深くなって夫婦の危機とかなんて日があったのだとしたら、それは、世界の終わりにひとしいの――おおげさだってきっと家族以外のひとなら思うだろう、

 けどもそれらの意識であれば、わたしはこんなことをされてこんな目に遭ったいまでさえ、真と化と狩理くんと共有できるような気さえも、する。



 けど、……このひとはそういったことを、楽しそうに、どこか嬉しそうにしゃべって、

 そして、……心の年齢的に考えれば、きっとおそらくシュンは実家にいたころで、

 それに、それに、……状況を見た感じだと家族と親密ってわけでもなさそう、


 そのはずなのに、……そのはずなのに、



 シュンが家族のことをいま、さわりだけでも語ったとき――

 懐かしそうに――ちょっと笑顔になってるんだ。……絶妙に。



 もちろん、高校当時、

 ……わたしはこのひとのこんなにリラックスした表情なんか、見なかったわよ、――ほかでもないわたしがこのひとを緊張させていた、から。

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