エサの時間(8)いいこ

 シュンは、ぜったい、マズかったんだと思う。人犬用のペットフード。それは、そうだよ。そのはずだよ。だって人間の食べるモンじゃないの。文字通りに、そうなの。

 なんどもなんども喉や背中が大きくひくついて上下した。吐き戻すような嗚咽がそのたび続いた。マズいのだ。口に入って吐いてしまいたくなるほど。

 わたしはその味を知っている。わたしもね、それをけさも食べてきたのよ。マズいのは、とてもわかるわ。わたしもね、いまもソレ、口のなかにこびりついてるの。パサパサなのよね、口じゅうの水分を吸い取ってネチョネチョと口蓋こうがいにこびりつく。そうやって口じゅう支配するモノなのにまず、臭いがね、ひどいのよ。なんだろうね、この味? そう、そうやってしかめっ面して吐き出したくなる。


 ……骨とか、粉砕してつくってるのかしら。すごく、動物性の……イヤな、味。

 料理でさ、ほら、たとえばさ、料理でさ、豚――っていうのは身体が動物のほうの、ヒューマン・アニマルじゃないほうの生物学的なブタの、ことだけど、骨を料理に使うでしょう? 豚骨、って言って。ヒューマン・アニマルも食用化は目指されているけれど、まだ、……せいぜいが非ヒューマン・アニマルの家畜のエサ利用が、限界だものね――

 そんな限界は上がらなくって、いいの、人間は、……どうして人間として生まれたのにエサにならなくっちゃいけない、のよ、……やがてはヒトはおなじ生き物だったはずのヒューマン・アニマルを、日常的に、喰らいはじめるのかって、

 ……そんなの、そんなの、――そんなことって。



 ……もしかしたらこのペットフードにも、そんなふうに、……なんの生き物の骨、入ってるか、わからない、ああその意味でも吐き出したくなる食物なのよ、でも、……でも。



 マズくとも、……たとえばほんとうにかりにこれが、……ヒューマン・アニマルの、骨でできていても。

 そして、状況が、これから奈落にまっさかさまなんだとしても。

 食べるのよ、食べるしかないの、生きるためには、シュン、ねえ、そうでしょう? だってあなたが教えてくれたのよ――



 生きるためには、……食べなきゃなんだ、ってこと。

 ねえ。わたし、忘れるわけないよ。

 あなたが――根気強く、わたしに、ごはんを食べさせてくれたってことを。……ねえ、……そうでしょう……。




「……食べて……」

 わたしは、なんど、その言葉を繰り返しただろう。

「食べて、シュン、ごめんね、……マズいよね、でも、……食べて」

 真がぶちまけていった人犬用ペットフードのひとつひとつを、ひとつぶひとつぶ、口でくわえては、シュンのお口に運んでいく。前足と言葉もつかって、どうにかで、呑み込んでもらう……。

 ……どのくらい、食べさせればいいのかしら……でも、ひとつぶひとつぶはこんなにも小さいのだから、まだ足りない……まだぜんぜん足りない、はずなの、……いち、にい、さんって数えてる、ろく……ななつぶ……まだ、まだ……まだまだ……じゅう、くらいは、ううん、わたしの体感的に、もうちょっと食べれば、すこしは元気が……じゅうご、ろく、くらいかな……。

 くわえては、もってくる、……くわえては、……もってくる、




 いつのまにかわたしは――なにかをなぞるかのようにこう語りかけていたの、



「……口、閉じて、もぐもぐして、……のみこんで、そう、……いいこよ、シュン、……いいこ、次も、もってくるからね、いますぐ、……もってくるからね……」



 なんどかくわえて戻っての往復をしていて、やっと気がついた――これは、シュンが、……最初のころのほとんど犬だったわたしに繰り返し言ってくれた、言葉なんだと。……食べる、ときに。



『口閉じて、すぐに。はい。もぐもぐして。うん。いいよ。そのまま、呑み込んで。……はい』


 あの、りんごのすりおろしの――ときに。



 シュンはわたしにおいしい人間のごはんを食べさせてくれた。舌のうえでも口のなかでもひろがる感覚は、美味ってことだった。わたしは、シュンにはこんなにマズいモノしか与えることができない。犬だから。いまのわたしは――犬だから。

 それでも、ね。わたしはシュンに栄養を与える必死ななかで、なかば無意識に、人間であるシュンの、まねっこ、……してたんだ、って――思ったの。




「いいこ。シュン。……いいこよ」

 それも、なんども言った、――もしかしたらそこだけはわたしのオリジナルなのかもしれないな、って、いうのも……ちょこっとだけ、思ったわ。

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