エサの時間(3)進まなくちゃ、
リビングに続くドアを細く開けられて、その前で、……立ちすくんでいる状態で、
でも、でも、そうであっても、真にリードを引っ張られるんだから、わたしだってよたよたとついていくしかない――と、思っていたら、なぜかふわっと首のあたりが楽になった。
むしろ戸惑って見上げてみれば、リードをおそらくは伸ばせるところまで伸ばして、――化のほうがもうひとつの向こうの先端を掴んでいたの。
「……ね。おいで。こわくないよ。おいで」
そんなこと言って、チュッチュッって呼び寄せるように舌で音を鳴らして、左手でもヒラヒラ手招きしてくるの、
わたしは思い出してぞわっとしてしまう、さっきのことを、――無口でもなんだかんだでかわいい弟だと思っていたこのひとが、さっき、わたしを、わたし、の、いろんなところを、……舐めまわして、さわりまさぐりまわして……まわして……。
「こわく、ないよ。……えへへえ」
こわく、ないわけ、――ないじゃない。
けど、……進まなくちゃならない。わたしは。
呼ばれていれば……進むしかないの……犬って、そういうものだから。
そうよ、犬ってそういう存在なの……そういう生きもの、なんだから――ああそれなのにこんなに胸がつかえて惨めな気持ちになるなんて、やっぱりわたしの、こころは、――人間なのよ。
のそ、……のそって、右の前足、そして左の前足も、出したの。
リン、……リリンって鳴るのは首輪にとりつけられた鈴で、いつもの、音、そっかいま気づいたけど、首輪は、つけかえられて、ないのね、シュンが、プレゼント、してくれた、――まんまのものなの。
あのときは、首輪をプレゼントするなんて言って、わたしにひどいことすると思ったわ、思ったのよ、シュン。
最初はそう感じたあなたが――いまは、こんなにも、なつかしくて……いちばん、いちばん、そばにいてほしい……。
いてほしいのに――いっしょに、いま、いない。
わたしは――ぜったいいまから、孤立する。
残酷なまでに、孤立する、――人間と人犬とは、ひとと犬なんだよって、きっとわたしはこれからそんな事実、味わうことを強制されて、きっと、きっと、シュンがしてくれたみたいに、ならないの、
シュン。あなたはどうして、人犬のわたしを――あくまでもひとという前提で、扱ったのかしら――? いまも、わからない、……わからない、
……かつて自宅だったリビングに、犬なんて身分で、そんな目線で、入っていくとき、
背中もお尻も人間のときのまま剥き出しで、髪の毛とおなじみたいな色してる前足に後ろ足に、緊張してピンとかたく直立した耳と尻尾、
そんな、……悲惨ともいえる人犬の、犬そのものの、格好で、身体で、
それでもぐいっと顔を上げて明るい明るい朝の光のさんさんと差し込むリビングに入っていけたのは――そうよ、きっとリリンと鳴るのがシュンからもらった首輪のいつもの音だったから、なのだわ……。
のそ、のそ。……のそ。
わたしは一歩一歩進んでいく。
真も、化も。狩理くんも。そしてたぶん、パパとママも。
わたしを、見ている。
化が相変わらず舌を鳴らしながら、こっちに身体の正面を向けたままおびきよせるように後ずさっていく、わたしのリードも持っている。
わたしは、おとなしく従う。
わたしは視線を落とさない。
歩くたびに鳴る鈴の音はわたしにはもう涼やかにさえ聞こえる。
わたしの首輪はシュンがくれたものなんだ。だから。だから。
家族が食事をとる、背も高く広さもあるダイニングテーブル。その、下に、
みんなが、いまのわたしを見てる。
わたしがこの家族の人間の一員だったときには、そんなには見てくれなかったのに、いまは、いまだけは、まるでいちばんの主役みたいに、こっちに視線、向けてる、
そうよね、ある意味いまのわたしは主役なの――新しいペット、そして、……かつての不出来な家族未満として。
わたしは、どんなにうつむきたくなっても、そうしなかった。
恥ずかしかった。恥ずかしいよ。でも――
わたしは、もう、わんわんってシュンに犬のように甘えられないんだから。わたし、が、しっかりしないと、……泣きそうでも。
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