わたしのこころは、
……かつてわたしの部屋だったこの部屋のベージュ色のカーペットが、……わたしの、おしっこのシミで、まあるく黒く、……そこだけ塗りつぶされたかのようだった。
……きゃらきゃら、声あげて。真ちゃんが、笑ってる。
狩理くんも、しょうがないなあみたいに苦笑してる、――それむかしにはわたしに向けてた表情だったよね、狩理くん……。
「はああああい。幸奈ちゃあーん、いい子でちーちーできまちたねえー。でもお、やっぱりい、わんこのおもらしの粗相でちたよ、ねええー」
「……だって、だって、真ちゃんが、だって、だってえ、」
「ええ? なあにいいい?」
真ちゃんはとぼけると、わたしを、なぜか、――前後に大きく揺らしはじめた。
まるで人間の小さな子どもとそうやって遊んでやるみたいに――けどもわたしはもちろん、小さな子どもではない。
ぜんぜん、それ未満だ……小さな子どもだって、人間とされるかぎりは、基本的人権は、もってる。
なん、で、そうやって揺らすのよ、こわ、い、……怖いわ、後ろ足がプラプラしちゃって尻尾もダランと揺れ続けるの……やめ、て、
「やめ、て、よお、怖いよお、怖いの、怖いのお、」
わたしにとってはこんな高さでも、もうとっても、怖いのに、
「なんで、なんで揺らすのお、やだ、やだよお、こわ、こわい、おろしてえ、やだあ、真ちゃんおろしてよお――!」
「そんなにワンワン鳴かなくったって、うふふう、……おろしたげるよお、――そおーれっ!」
そう言うと、真ちゃんは、わたしを、……ぶん、と、投げた。小さな、身体の、……わたしを。
ふわっ、と、浮いた。
頭で考えるよりも先に、きっと生物の本能で、わたしは、悲鳴をあげる――
……べちゃん、と背中から着地した。
ぴちゃん、ってしてるの、なまぬるい……あ、そっか、……わたしの粗相の恥ずかしい液体か、あはっ、これ……やだなあ、恥ずかしいなあ、
わたしは、力なく、……見上げた。
柵の外にいる狩理くん。そして、流れるような動作で柵の外に出て、わざとらしいくらいに大きく音を立て、ガチャリとカギをかけた、真ちゃん。……そこから先は人間の世界なのよね。
わたしはもちろん柵のなかで囲われていて、
そのなかに、わたしは、……自分の排泄物にまみれるように投げ飛ばされたんだ、それも、妹に。とっても、楽しそうに……。
それも、……かつての婚約者も小さく鋭く声を上げて、笑って……見ている……。
「――あーは、あははあ、あははははあ! いい格好だわね姉さん。
でもそんな寒くないでしょう? ――アンタのおしっこホカホカだったよ。ふふ、……うふふっ、あはは! あははははは!
……ねえ、狩理くうーん、わんこはもういいやー、きょうは飽きたー、でもペットって悪くないかもねええ、やっぱ心なごむってゆーかさあああ。また気ぃ向いたらかまおーっと。ねええっ?
ねえねえ今宵もまだまだフィーバーだよおお、あたしの部屋いこうよー、きょうも人間発生ナチュラル方式のお勉強と研究しようよーっ、ねえどんな角度で受精したらより優秀な人間になるのかなあ……」
「真ちゃん、おいおい、……あしたは月曜だぞ、あしたっていうか日付的にはもうきょうで――」
「えー、えええええ、……あたしこんなに狩理くんのことを必要としてるのにいいいい、狩理くんはああ、……もうあたしにつきあってくれないわけ?」
「……や。そんなつもりじゃないよ。じゃあ、やろうか、すこし。受精の角度だよな。……射精までの流れを考えると、まあ時間的にいつもみたいな感じになるかな、……悪いけど真ちゃんそのあとは俺は帰って寝るよ……朝から仕事なんだ」
「えええ、やあだあー、そういう働いてますよアピールううう、あたしが学生だからってさっ……」
……だんだん、もう、わたしなんか関係ないみたいに、
わたしとは関係のないおはなしのその内容は、ふたりの話し声とともに、……遠ざかっていく。
自然な感じで言っていたけども、
そっか。……そうだよね。狩理くん、社会人なんだもんね、いま……。
そのことは……わたしに、時の流れというものを、呆然とさせた……。
……静かに、なった。
柵は施錠されているし、扉はかたくなに沈黙したかのように閉まっている。
わたしはというと、犬が四つ足投げだして横になる体勢で、自分の、いましたばかりのおしっこに、……まみれて、ただ、ただ、なすすべもなく――倒れ伏している。
……におい……そして、だんだん、温度がさめていく……。
……きたないのね……。……サイアク……。
「……う、うう」
涙腺はふたたび、壊れてしまった。
ただただ涙が流れてきてやまない。
「……うう。ううううう」
妹と、元婚約者に、馬鹿にされて笑われながら、……あんな恥ずかしい格好で、おもらし、させられたこと。
「……ううう」
その勢いは、我慢していただけあって、……とても勢いがよかったこと。
「うううう……うう……」
『アンタのおしっこホカホカだったよ』
そうよ、そうよわたしそうやって。
顔、赤くして。やめて見ないでって言いながら。
真ちゃんと。狩理くんの。前で。……無理やり。
犬のようにおしっこしたのよ――。
わたしは自分の汚い排泄物にまみれて、
泣くしか……できなかった。
それくらいしか。いまのわたしに。できることは。……嗚咽のたびに背中は痙攣するかのようにびくつき、吐いてから吸う息のときにはにおいもいっしょに吸い込んじゃったりしちゃうから、いやだ……。
……施設のときを思い出す、なんだか、ひさしぶりな感じで、
施設ほど肉体的につらいお仕置きとかをいまされたわけじゃない、けど、……こころは……
わたしの、こころは……。
……そうやってひたすら、ひっく、ひっくと泣いていると、
……もぞりとそこにいるひとが動いた気配がして、咳も、していて、
「……なみ、かわ、さん?」
シュン――わたしは人間らしくそう呼ぶかわりに、この格好のまま視線だけ上げた。まるで――犬らしく。
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