だって、そうでしょう
どうしよう、ほんとにどうしよう、
おトイレ行きたいって言われたって、……連れてけないよ、いまのわたしは、
だって、わたしじゃあの柵越えられない、だからその向こうの扉のそとにも、連れてってあげられない、ここがかつてわたしの部屋だったお部屋だってことは二階のはずで、ドアを開けて左に曲がって右手にすぐ、いつもつねにママのおかげで清潔なトイレがあるはずなんだけど、
わたしじゃあの柵はどうしたって越えられないよ――
……そこで、わたしは、はっとした。
高すぎる柵と、犬小屋の犬みたいに腰で紐に杭につながれたシュンを、交互に見つめてしまう。
動悸がもっとばくばくしてくるの、
ひやっとして、心に冷たい冷たい氷、突きつけられたみたいになるの、
まさか。ううん、そんな、え、まさか、まさかね、そんなひどいことって、そんな――
……でも。きっと、そうだ。
なんて、ひどいの。
つまり、……ね、
わたしたち、ふたり、……対照的に自由を奪われているの、
……わたしは、この部屋で、どこにもつながれていない。シュンのくれた真っ赤な首輪はそのままだけど、リードもくっついてないし、手足にも拘束はなにもない、自由に動きまわれる、――ただしわたしの身の丈ではやっぱりどうしたってあの柵を越えることは、できない。
いっぽうで、
シュンは、いまは倒れるように横になってしまっているけど、立ち上がればあの柵のカギのあるところに手が届くし、きっと扉を開けることもできる。けど――そのがっちりした腰縄のようなベルトの拘束が、シュンをあの柵のところまで行かせることを許さないだろう。
つまり、わたしは、わたしで。
シュンは、シュンで。
お互いされている拘束と、されていない拘束が、違うけど、
どちらも――それこそほんとうになすすべがなくなってる……。
……パパとママ、真ちゃんと化ちゃん、……彼ららしい発想といえばほんとうにね、まさしくあのひとたちらしい発想だってところが、ほんとうに、ほんとうに、――憎いんだけど。
どうしよう、……どうしよう、シュン、でも、……もう我慢できなさそうだよ、
ベルト……そっか、ベルトを脱いだら、もしかしたら、動きまわれるだろうか……。
そうじゃなくても、まず、その、……下、脱げるようにしなきゃ、そうじゃなかったら、だって、その……
「……南美川さん?」
シュンが、いまにも泣き出しそうな幼児みたいな目でわたしを見上げてきた。
ずきり、とした、いま痛んだのはきっとわたしの、――こころというところ、だ。
だって、シュンが、こんなにもすがってくる。
わたしのほうがまるで主人みたいな、奴隷みたいな情けない顔してさ――
わたしは、……大声で泣き喚きたくなる自分を、ぐっと、抑えた。堪えた。
駄目だ。いまは、シュンのほうがずっと弱い、……だってあのときのまんまのシュンなら、そうだよ。そうだよね、ねえそうだよね、シュン、……シュン、
わたしのいじめたわたしのご主人さま。
……うん、
よし、……よし、決めたよ、ねえシュン、……えへへ、
わたし……
あなたのために、いまはほんとの犬みたいになってあげるよ。
……わたしは、ちらりと、シュンの下半身のほうに視線をやった。うん、うん、……うん。
「……気づかない? わたし、南美川幸奈じゃないよ」
「え、なに、……言ってるんですか……南美川さん、ですよ……」
「……よく見て? わたしは、犬だよ。わんこなの。……人間じゃないんだから南美川幸奈、でもないわ」
シュンは思い切り眉間にぎゅうと力を込めたみたいだった。
わたしは小さく慈しむようにして、笑って、
ぺったんとその場に伏せると、シュンの下半身のほうに、狙い、定めて、
――制服のズボンのウエスト部分を、ぱくりと、
……ふしぎと嫌じゃなかったよ、だから、ねえ、
だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、
だいじょうぶだからねシュン、そんなこと言ったって……そんなことわたしが言ったところでなんにも安心できないと、思うけど、
食むようにして、あむあむしながら、……どうにかこのひとのズボンをわたしは下ろしてあげようとしていく。ベルトは……ああ、やっぱりベルトは外れないようになってて……ベルトのかたちをしたウエストのリングみたいになっちゃってるんだね、でも、でも、ズボンだけなら、どうにか……はむっ、って……
シュンの荒い呼吸がなんだかとても近くで聞こえる、いつもわたしのすぐそばにいてくれるけど、シュンがこんなに呼吸をかき乱したことは、再会後は、……なくはないけどほとんどない、
ねえ、ね、……だいじょうぶだよ、シュン、ごめんね、……だいじょうぶじゃないのにわたしはそんなこと思って……あなたのズボンを、いじめではなくても、結果的にあっても、あなたのためと思っても、けっきょく、また……脱がそうと、してるの……。
だいじょうぶ、だいじょうぶだからって、……思ったけど、
シュンは心底絶望に突き落とされたみたいな顔でこっちを見てた。
つらそうなのに、立ち上がろうとする、やめてってわたしは口は開かずに思考のなかだけで言ったし、そういう視線、送ったよ、……やめて、つらいんだから、いいよ、そのままでいてよって、
……とりあえず脱がすだけは脱がしてあげるからって、思った、けど――
シュンは、言った。うめき声で、ほとんどもう絞り出すようにして。
「やめ、て、ください……南美川さん、やめ……て……」
わたしはぴちゃり、と口を離して、言い聞かせようと思う、
「いいの、いいのよ、いまはいいから、とりあえず……出せるように、しないと……」
「――やめ、てくださいよ!」
シュンの、――絶叫。
泣き喚く、と当時わたしたちが馬鹿にしていた、こと。
シュンは、こうやってよく、叫んだ、もうどうしようもなさそうで、顔も半分泣きべそでぐしゃぐしゃにして、でももうどうにもならないんだからって、そう、キレることと大差ない叫びかた、
でもわたしも含めてあのときの教室の仲よしだったわたしたちは、そんなのぜんぜん、怖くもなかったの、だってそうでしょう? シュンだけはあのなかで極端に劣等者だったんだから――
「お願い……やめて……南美川さん……」
ほんとうにほんとうに、十七歳どころか数歳にも満たない、……ちっちゃな男の子のように、
このひとの身体はどう見たって、とっくに、……おとなの男性のそれなのに、
「……きたな、い、から。そこ。やめて……。
あと、で、……僕に、キタナイモンって、いわ、れても、僕、どうにもできない、から、……その、
お願いです、お願いです、やめて……汚い僕のそんな汚いところまでこんどはどうするっていうんですかあ……!」
わたしの口のなかの動きは、止まった、……じんわりやるせなさがわたしの小さな人犬の身体を、包み込むようにして襲ってくるんだ、
……だってそうでしょう? って。とか、ゆって。
そうでしょうで――済まないことだって、あるの。あるのよ、わたし。わかってる、……わかってるつもり、なのに、
わたしはきっと、……いまもなんにもわかってないのよね。ねえ、そうでしょう? シュン。
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