かわいくなったね
「やだなあ、ムコどの、なにも、感じない、だなんてわけは、ないじゃないかあ」
「そうよお、ムコさん、なにも、感じない、だなんてわけは、あるわけないわあ」
にこにこにこにことして平然と――なぜか、ふたごよりもふたごらしく感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。
真と化だって、そうとうふたごらしさがあった。けどもなんというか彼らにはまだ、個性というか、ふたごとはいえ当然別人格だよねと言ってもうなずけるところがある。
だが――このふたりは、区別がつかない。
見た目はそんなに似ていないのだ。南美川父はどちらかというと濃い目でくっきりした顔立ちだし、南美川母のほうはというと眠たそうな一重とひらべったい顔つき。だから、たぶん血縁ではないと思う……すくなくともそのように見える。
なのに、なのに、――このふたりはどうしてこんなにおなじに見えて、こんなにおなじように……ふるまう?
……あと、ムコってなんだよ、ムコって……さっきから――。
僕の腕のなかで南美川さんがじたばたとする。
「ねえ! やめてよ、やめてよお、わたしはいいけどシュンのことは――」
南美川さんの言葉を無視して南美川父は僕を見据え、なにも感じないんですかという僕の問いかけに対する答えのようにして、言うのだ、
「うんうん、なにも感じないわけがないよ。はは、やだなあ、自分たちの子どもじゃないかあ。幸奈のことだったらね。かわいくなったな、って思うよ。なあ、幸奈、かわいくなったなあ。加工先が犬でよかったんじゃないかい、そんなにキュートだったらたいそう需要があるだろう」
「ええ。幸奈、とってもかわいくなったわね。さすがパパとママの娘ねえ、犬になってもかわいいんだわ。うふふ、おリボン新しいのつけてあげたいくらいだわあ、ええそうよそうだわあ、あとで新しいおリボンつけてあげるっ、ゆーきーなー!」
……僕は、信じられない気持ちだった。
ほんとうに――親なんだよな?
子どもを発生させて……自分たちの手で、育てて……ともに暮らして……。
なにかしら多少の不満はあるにしたって正真正銘それは親だし、子どもであるはずなのに、
そしてこうして会うのは、とてもひさしぶりで、……南美川さんがこうなってから彼らはおそらくはじめて自分たちの娘を、人犬すがたにされた娘を、見るわけで、
それで、最初に出てくる感想が――かわいい、だって?
南美川さんのお父さんとお母さんのことを悪く思いたくはなかったけど、
でも、率直に、僕は感じていた。
――信じられない。ああ、信じられない、信じられないな、――ほんとにどういう神経してるんだ。
劣等だとかなんとか言うなら、僕だって劣等者だった。もちろん南美川さんと比べるのさえおこがましい、もっともっとひどい、劣等者だ。
家族のなかでって話だとしても僕は、間違いなく、家族のなかで圧倒的に最底辺だった。家族内偏差値とでもいったものを割り出せば、僕の数字は目も当てられないものになっていただろう。いや、たぶん、……いまだってまだ取り返せていない。僕は社会的負債をつくった。社会に。そして、生活や感情やいろんな負債を……家族に、まだ、借りている、――社会人になってそうすぐ返せるものではない。それほど僕は……酷かったから。
とくに仲のよかった家庭ではなかったと思う。僕は家族に感謝と敬意を抱いているけど、打ち解けられることは最後までなかった、姉と妹――姉ちゃんと
僕の家庭の典型的な朝の食事風景、
職人気質の父さんはローテクな紙の新聞で顔を隠している。母さんだけがペラペラとどうでもいいことをえんえんひとりでしゃべり続ける。姉ちゃんがいちばん食べるのが速くて、まっさきにごちそうさまと言うとそのまま流れるかのような動作で玄関に向かい、バスケットボールの朝練に出かけていく。海が次に早くて、後片づけをしないで席を立とうとするからいつも母さんにとがめられていた。そして父さんがごちそうさまも言わず、席を立つ。
そして、やっと、僕。僕は食べるのがなぜだかとても遅かった――だから社会人になってからも、昼休みにはいつもミニ丼を食べる。ニブいのだ、ノロいのだ、僕は――食べる、という人間として当たり前のことさえこんなに苦手なんだ、と、それこそずっと感じていた、だから社会人になって家を出て自分のペースで朝夜食べられるようになったのは、とても楽になれたことのひとつだったんだ。
僕は家族に借りをつくるくらいに劣等だし、あの家族にけっきょく大学を出る二十四歳のときまで二十四年間お世話になって、そのなかでそうやって僕だっていろんな、呑み込み切れない気持ちがあった。
家族にはいまだに打ち解けられない。感謝と敬意はあっても、……馴染み切ることは僕はとうとう、できなかった。
でも、でも、……南美川夫妻を前にしてしまうと、南美川さんには申しわけないかもしれないけど僕はほんとに思ってしまう、
――あの家族は僕を子どもとして愛してくれていたんだな、って。
……食べるのが遅すぎる僕を、最後まで食卓で待っていてくれたのは、いつも、母さんだった。
母さんは僕が食べ終わるまで後片づけをはじめようとしなかった。座って、曖昧でちょっと困ったような笑みで僕をずっと、見ていた。
食卓を挟んで、
いちどだけ、どうしても嫌で、言ってしまったことがある。高校生のとき。……南美川さんたちに最高に最低にいじめられていた時期のことだ。
『僕が食べてるときにじろじろ見るなよ。気持ち悪いよ、正直。もっとほっといてくれよ』
母さんは、笑ったままだった。――だから泣かれるよりずっと哀しそうに見えてしまって、僕は怯んだ。
『ごめんね、母さん、監視みたいでしょ。でもさ――倫理監査なんとか局とかの、どこのだれとも知れないおえらいさんが、
あ、そっか、とぐらつくように思った、それはたしかに――僕が、連日のいじめに耐えかねて、畜肉処分にさせてほしいと言ってからしばらくした日の、きれいな朝の、ことだった。
こんな、僕。
こんな僕でさえ、家族は人間でいさせてくれた。
母さんと、……そしてなんだかんだで僕の引きこもり期間の生活や手続きをほとんどやってくれたうえで僕の生活費を無言で出してくれていたらしい、あの父さん、
ふたりは、僕の、僕たちの両親は、
父さんと母さんは、僕も含め、姉ちゃんも海のことも、とかく自分たちの子どもをヒューマン・アニマル加工になんかぜったいにしないだろう。たとえ劣等でも。たとえ期待外れでも。――子どもにそんな目に遭わせまいと、むしろきっと父さんも母さんも、闘ってくれた、社会とか、世間とかと。
……なにせあんな引きこもりを二年間、そして大学に行ってからも四年間も養ってくれたのだから。それは――闘いでしかなかったはず、なんだ。劣等者なのに。期待外れ、どころか、姉ちゃんと海に比べたってあきらかに僕は失敗作なのに。両親は、あのひとたちは――僕を責めることもせず。
……だから、いまも、僕がみずから畜肉処分になりたいと言ったとき、母さんにパチンと頬を張られて言われたことを、ごく自然に、思い出すのだ……。
『あんたがなんとかいう基準に引っかかっても、母さんが春は人間だって言い続けてあげるから、馬鹿なこと言わないで』
あのとき、母さんは、……涙目だった。
……かりに。もしも。なにかで。
姉ちゃんでも僕でも海でも、人間未満基準法に引っかかってしまって、どうしてもかばえなくって、……かりに、かりにの人犬加工になったとして、
……まあ姉ちゃんでも海でも想像するのはちょっといやかなり、嫌なので、僕をたとえとするけれど、
僕が人犬にされて、そのすがたを見たとしたら――父さんも、母さんも、……むしろあのひとたちのほうが心を病んでしまうのではないかと、僕は心配してしまうだろう。
そういうひとたちなんだよ――あのひとたちは。
いいや。ううん。たぶん違う。ほんとうは僕はきっとずっと、
親って――そういうものだと、思ってた。
……思ってたんだ。そうだ。思ってたんだよ……。
じゃあ、だったら――南美川夫妻は、なんなんだ?
親だとしたら、
どうして人犬になったわが子を前にして、かわいい、などというひとことで済ませられるのだろうか――。
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