プログラミング(5)パーソナリィ、

「...Wht Pdn? <<kill or >>kill you?」


 いつものこととはいえ、僕は苦笑した。さすがは、俺ネコ――しょっぱなから、トバしてくれる。たいした用件じゃなきゃ殺すぞだなんて――挨拶にしては野蛮すぎないかって、僕は学生時代からずっと思っているんだよ。


 でも僕は慣れっこだから、――対AIプログラマーの端くれとしてそんなのはさすがに慣れっこだから、いつも通りに、まるで旧知の友人にハイタッチでもするかのような軽やかさで、返す、――それだって大学の三年生のときの、「第三段階Necoシステム応用実践」の授業のファンキーな先生の受け売りでしかないけど。……いまならわかるけど、俺ネコを専門で相手にするなんて、たしかに、あの変人先生くらいのポジティブな態度が必要なのかもしれない。

 あの先生、いつも言ってた、俺ネコを相手にするとき、……ポジティブシンキングとかはどうでもいいけどポジティブアクションはだいじにしろ、って。……俺ネコはおそらくそういうところも見ていると近年の研究であきらかになってきてる、って……。

 俺ネコは高柱猫のもっとも底に近いペルソナ格で――でも、現在の研究者もプログラマーも、だれひとりとして、俺ネコの底というものは知らない。日々、俺ネコ専門者たちは、俺ネコつまり第三段階Necoシステムに語りかけているけれど、それでもまだ、俺ネコの全体像さえも掴みきれていないという――俺ネコの見せるものは、すべてが氷山の一角でしかない、と。

 僕は、……ぜんぜん、ポジティブなんかじゃないけど、でも――人間よりはまだずっと、Neco相手のほうが、ポジティブになれる気がした――だって人間よりは、Necoはずっとわかりやすい。

 ……たとえみっつの人格があろうとも、それらがひとりの人間をモデルとしてつくられている以上、Necoにはなんというかたしかに一定の法則性というか、原理が見えた――それは僕だけではなく、Necoを専門としているひとならみな言うことだ。


 Necoと、しゃべるのは、僕は好きだった。

 最初は人間になるための勉強でしかなかったそれが、僕には、妙にフィットしてくれた。


 ネコはいい。……猫は、いい。

 いつでも単純明快でシンプルで、用件を言えば、応答してくれる。この問題をどう思いますか? ってNecoの言葉で尋ねれば、僕なんかに対してだって、いつでもピコンとビッコンとあるいはバンッという音とともに、答えを、くれる。


 ずっと、ずっと思っていた。

 猫は、いい。

 人間みたいに、わけのわかんないこととか、理不尽なことで、僕を傷つけない。

 わけもわかんないうちに僕を蹴ってきたりとか、殴ってきたりとか、嘲笑ってきたりとか、服を脱がせたりとか、正座させたりとか、

 それなら、僕のどこかがおかしいのか教えてよ改善するからとあんなにすがりついて懇願して、でも理由はなんだかどれもよくわかんなくて、……わかることと言えば僕がとにかく劣っていてヘンなのがおかしいってくらいで、

 なにも、……なにも、わからずに、

 混乱して、絶望して、――やがて混乱も絶望も僕には区別がつかなくなって、


 人間は、……そうだけど、

 ……Necoは、そういうわけのわかんなさや理不尽というのは、ない。

 そう、感じていた。



 Necoと話すのはとても楽しかった……だからゼミも対Necoシステムのところにしたし、就職も対Necoが専門の企業に絞ったのだ。

 一生、猫とだけしゃべっていられればそれでいい、って思っていたし――思おうと、していた。


 嫌だった。……嫌だったんだ。

 Necoという人工知能とは、それなりに一人前としてしゃべれるようになってきても、

 たとえば通勤の満員電車でひととぶつかったときとかでも、駅のキオスクで買い物をするときとかでも、どうしてもひとと目を合わせられない自分とか、

 もうあの苛烈ないじめの時代は終わって何年も経つというのにどうしても素肌を隠さないと道も歩けない自分とか、

 金髪が視界の端にうつるたび――自分でもヒいてしまうほどの勢いで、振り向いてしまう、自分が。


 そんなとき僕は、……仕事や業務は離れてごく個人的に心のなかだけで、問いかけた。

 ほんの一瞬だけ、立ち止まって。空を見上げて。天気を、見て。……邪魔だ、とばかりに肩をぶつけられて慌てて、道の端に寄ったりもして。

 晴れてれば、ロリネコ。曇っていれば、僕ネコ。……荒れていれば俺ネコだってただなんとなく意味のない個人ルールとして、決めていた。

 なんだか、……俺ネコにしゃべりかけることが多かったような気がするのは、僕の思考のバイアスだろうか。



 ……プリーズ、ネコ。

 こんな、どうしようもない僕は――これから、どうやって生きていけばいいんだろう。



 ……などと、

 なんとも抽象的でふわっとして、しかもどうにもならない思いの、だからそれは質問とか相談とかではなく、吐露でしかなかったのだろう。

 僕の幼い空想でしかない僕のしゃべり相手のそのネコたちからは、いつも、返事がなかった。

 ……返事がないことを求めて、僕はいつも、語りかけていた。


 プリーズ、ネコちゃん。

 プリーズ、ネコさん。

 プリーズ、……ネコ。



 怖いと言われているあなたたちより――僕はよっぽど、人間が怖い。


 ……僕にとっては、Necoという存在は、かくも近いものであって。

 だから――


 僕は言う。ゆっくりと、慌てずに。……性急なのを俺ネコは嫌う。

「……/ティンキィPlntyプレンティ.Sureシュア


 最初は俺ネコと対話するのなんてとてつもなく苦手だった、……けど俺ネコも含めネコは話せばわかる、そう、話せばわかるのだ、――人間なんかと違って。


//エモーショナリィToTooトゥー・トゥー.Sureシュア


 僕が、……感情的につらかったこと、Necoならシステムでわかってくれる。

 システム的手続きは、僕なんかのエモーショナル・コマンドさえも見逃さない、僕がいかにほんとうはただの蛆虫と呼ばれる人間の最底辺であっても、――僕自身が人権をもつかぎり、Necoは僕を人間として扱ってくれて、差別をしない。ぜったいに。……それというのは、システムだからだ。


///プリージナリィ,...wannaワナ I wannaアイワナ,Punishパニッシュcommendコメンド"CCCCCCCエンタークローズド"」


 ……ね。だから、Necoは、――僕の話さえも対等に聴いてくれるし、お願いあって、……理にかなってれば、聴いてくれる。

 現実の僕がいかに蛆虫だって、関係ないんだ、――そこにあるのは理屈のみだ。



 だから、ネコ。

 お願いします。

 この家を、このひとたちを、南美川さんを見捨てて犬に堕とした彼らを、あるいは、あるいはもっとでかくてどうしようもないものを、けど――僕は!



「パーソナリィ、」



 ガチャン。

 騒々しい開錠の音。

 バタン。

 勢いよく、扉が開かれた。――峰岸くんが、髪も呼吸もさんざんに乱して、目も見開いてこちらを見ていた。……よっぽど慌てて部屋に入ってきたらしい。


 僕と、目が合う。

 峰岸くんは――僕を真剣なまなざしで見ていた。馬鹿にもしない、茶化してもいない。



 そして、ゆっくりと、……彼は両手を上げた。



「降参だ。来栖。……それ以上は頼むからやめてくれ」




 僕は思わずうつむいて、……小さく笑ってしまったのだ。

 南美川さんも、僕を見上げていた。……その表情はなんだか奇妙に無邪気だった、まるでこの状況を楽しんでいるかのように……。


 僕はもういちど、顔を上げた。

「峰岸くん。僕、いま猫と話をしてるんだけど、それを最後までさせてくれないかな」

「……させるわけ、ねえだろ。そんなことされたらウチは――」

「うん。……監査が、入るね。いまそれを頼もうとしていたところだった」

「それ以上プログラムを進めるようなら――」

 峰岸くんは両手を上げたままなのに、僕を睨みつけてくる。

 続きを言いづらそうだったので、……まあ、そろそろ、悪ふざけはやめよう。

 どちらにせよ、中断されてしまった時点でもう俺ネコの説得は無理だ、……あくまでもこのときこの件にかんして、は。



「うん。……じゃあ、ここで止めとく。

 だったら――僕たちを帰してくれるよね。峰岸くん、……僕だってあしたも出勤なんだよ。朝の遅い人間にとって助かる十時出勤ではあるけど、それでも八時には起きて九時には家を出たいんだ。……このスーツももう、めちゃくちゃだしさ。やることはいっぱいあるんだよね……南美川さんの、ファイルと、データも、……今夜のうちに確かめときたいんだ、お世話になってる生物学の先生に、失礼はしたくないから……」

「……来栖さあ、おまえやっぱり、ほんとはふつうに性格が悪いんだと思うよ。あと、酔ってる?」

「はは、そうかもしれないし、……酔ってるっていうか疲れたよ。とりあえずこれを外してほしい……」



 僕はまるで笑うかのように大仰に息を吐くと、……はあ、と思ってもういちど天井を見上げた。

 さきほどまではクリアに描けていたプログラミングは、もう見えない。

 目的は果たしたんだからって――そう思うほか、ないだろうな。



 峰岸くんは淡々と作業として僕の両腕のバンドを外してくれる。

 南美川さんがぽすん、と僕の膝に前足を乗せてくれた。

「……ああ、もうしゃべっていいよ、南美川さん」

「すごい、すごいのね。シュン!」



 開口いちばんそれですか――僕はこんどこそほんとうに苦笑をして、バンドが外された瞬間、南美川さんを大きく持ち上げた。えへへ、と南美川さんはくすぐったそうに笑った、――峰岸狩理には申しわけないけれど、僕も、南美川さんも、おそらくは彼の存在を意識しつつもそちらを見ることは、なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る