実現条件

 ネネさんは、……南美川さんのそこを処理する手を止めた。

 そして、隣に膝立ちしている僕の顔をまじまじと見ている。


「いや、だって、春。幸奈を私に預けていっていいのか?」

「……え? どういうことですか?」

「これから幸奈の遺伝子情報をぶん取ってくるにあたって、必然幸奈を外で連れまわすということになるのに、身なりが手入れされていなかったら、かわいそうだろう」

「連れまわす? 南美川さんを、ですか……どうして?」

「どうしてもなにも」


 ネネさんはそう言いかけて、ぱかりと口を開いた。

 そのままあんぐりとした顔をしている――廊下ではじめて出会って「お化粧もさせてないのか?」と言ってきたときと、おんなじ顔だ。


「あ。そっか。……私はまた説明のプロセスを省いてしまったのだな」

「みたい、ですね……その、僕はネネさんみたいに頭がいいわけではないので、順を追って、説明してもらわないとで……」


 ひっくりかえされた格好のままの南美川さんが、頬は染めたままで、――けれども人間の顔をして、言う。


「だいじょうぶよ、シュン……ネネさんの言うことって高レベルで、私にもときどきわからないわ。でも、ネネさん、――可逆細胞って、構成するには、そもそも前提の情報として――」

「ああ。そうだ。――幸奈の遺伝子情報が必要なのだ」



 ネネさんは重々しく言う。

 南美川さんはきゅっと唇を結んで、眉をひそめた。……それがまた、なんとも言えない、表情で。



 ……なんだか、また、ふたりだけで、わかっているみたいだ。



「どういうことですか。その。――僕にもわかるように、説明してもらえませんか」

「……幸奈の、手入れ、しながらでいいか。というか、こっちもちゃんと見とけよ春」


 ネネさんはそう言いながら、ハサミから電子シェーバーに持ち替えた。

 ……ネネさんが、んっ、と言いながら手をひょいひょいと招くように動かすので、……至近距離で、見ざるをえないわけだけど。




 電子シェーバーで南美川さんの一見柔らかそうな毛が、刈られて、かたちを整えられていく。

 南美川さんはいまも恥ずかしそうだけど、その表情は人間らしさを保っていたから、……がんばってくれている。僕は南美川さんと目が合うと、励ますために、小さくうなずく、……いま僕にはそんなことしかできないから。

 帰ったら――うちに帰って、ふたりきりになったら、慰めてあげるから、だから南美川さん――もうすこしだけ、がんばって、……と。


「……最初にも言ったが、幸奈の身体を人間に戻すには、条件というのがある。三つの条件つきだ。ひとつは私の研究にかかわる条件、あとのふたつは、実際にソレを実現可能にする条件――とは、さきほども言った通りなんけど。ひとつめの条件は、幸奈が人間に戻るときの処置は私の管轄の施設で行い、リアルタイムで細胞を採取させてもらうこと」

「うん。それは、かまわないです。ね? シュン」


 僕も、うなずいた。


「あとは、実際に幸奈を人間の体に戻すのに、実現可能にする条件が必要になる」


 どうにか、満たせたらしい。


「施術をするにあたっての、まずは現実的な前提条件が、――幸奈の遺伝子情報を用意してくれ、ということだ」


 それは、専門外の僕でもまあわかる。……細胞を復元するのに、必要なんだろうから。


「そして、もうひとつは、社会的条件――幸奈を人間の身体に戻すことが成功した場合、……私が訴えられないための保身だ。私の保身とはいうが実際的にはアンタらふたりの保身でもあるんだよ。……ヒューマン・アニマル加工というのは、いちおう建前上は、倫理監査局が詳細で慎重な審査をしたうえで、決定されているだろう。……つまり、最上級権力の決定にもとづいて、崇高とかいう法がそれを実行しているわけだ。幸奈も、合法的にヒューマン・アニマル加工をされたということは、……かわいそうだが、そういうことだ。それなのに、私の一存で、倫理監査局の決定を覆し幸奈の身体を人間に戻したとなれば――どうなると思う?」


 まあ、それは、……きれいな未来は、見えないよなって。


「……私はいよいよ犯罪者。言い訳も利かないから、敵対している高柱のご本家サマにあっというまに告発されるだろうね。……死ぬよりツラい重犯罪者の地獄送りだろうよ。犯罪者となって社会評価ポイントがぐっと落ちれば、地獄行きだよ。幸奈は元通り、人犬加工をされてしまうだろうね。……なんならアンタらふたり、仲よく国奴こくど堕ちかもしれないよ、ああ、――ぞっとしないねえ。そうならないために――言い訳を構築しなければならないんだ。……なぜ、幸奈を私、高柱寧寧々の独断で、人間の身体に戻すのか、と問われて、堂々と答えられるだけの言い訳を。……私のところに来るヒューマン・アニマル加工者は、すべてではないが、意外とこの条件は満たせる場合が多い――おそらく幸奈もおなじパターンだ」


 ネネさんは、南美川さんの下半身を、凝視して、音もなく手入れしている。

 ……電気シェーバーというのは、ここまで音が鳴らないものだったのか――あるいはそのように技術が進歩しただけなのか。


「……人間、南美川幸奈の、遺伝子ファイルと社会評価ポイント履歴書。それを――用意してほしい」

「用意してほしいといったって、そんなの、わたしの家に、――南美川家に」


 南美川さんはそこで、ハッ、とした顔をした。……両前足を不自然にブンと振ったのは、人間であれば口を覆い隠す仕草であったのだろう――驚きによって。

 僕も、目を見開く、……まさか。



「……酷かもしれないが、必要だ。それが南美川家にあるというなら――南美川家に行って、取ってこなければならない。もう社会上人間ではない者の書類を、役所で取ることもできないからね。その書類がなければ――幸奈の身体を元に戻すことは、そもそも、……着手さえもできないのだ」


 ネネさんは電子シェーバーを止める。

 そして小さく、よし、と言ってうなずくと、立ち上がって腰に両手を当てて、……ソファの上の南美川さんの仰向けを見下ろした。


「うん。……キレイになったよ、幸奈。――これから戦いに向かうのであれば、ふさわしい格好になったよ」

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