人間どうしでそうするみたいに

 南美川さんは驚くほどの速さで、眼鏡型ポインティングデバイスの使いかたを習得していった。


 と、いっても、パソコン全体の作業で使うわけではない。事前に南美川さんにも言っておいた通り、ペインティングツール限定だ。デフォルトで搭載されているもので、特別なソフト、というほどのものではない。

 僕はデザインもイラストもやらないし、……南美川さんのためだけにそれらを用意するというのは、できなくはないけど――なにか、違うと思うんだ。


 そのことを鑑みてもなお、南美川さんの習得スピードは速かった……と、思う。

 すくなくとも大学一年の実習のときの僕よりは、ずっと速かった。そのときの僕の習得速度はまあおおざっぱに言ってクラスの平均の範疇、まあ、ちょっとだけニブかったくらいだから――つまりして南美川さんはやっぱり優秀なのだよなあ、と僕は南美川さんの全身を支えるようにして抱っこしてあげながら、思った。



 南美川さんはあっというまにポイントのコツをつかみ、

 真っ白な画面をキャンバスとして、

 線を引き、色を塗り、

 描画を覚え、

 ペイティングツールを一通りこなせるようになったみたいだ。



 僕がトイレに立っても、追いかけてこない。試しに風呂にまで入ってみたけど、生返事で、僕はひさびさにゆっくりとひとりで風呂に入ることができた。戻っても、生返事だった。

 ……ゆっくりとできたけど、なんというかな、その。

 南美川さんが手のかからない夜はひさしぶりだった。と、いうか――南美川さんが僕の家にいちおうはペットとして来てから、はじめてのことだった。

 僕もまあ、それだとひさしぶりに時間も空いて、でもふだん趣味としていじっているパソコンは南美川さんが使用中だし、ということで――ただなんとなく、手もちぶさたで、ソシャゲにひさしぶりにログインしてみたりなんかして、……デイリークエストを消化しきれたのはひさびさだったから、せっかくだから放置ぎみのものも起動してみたりした、……でもなんだかひさしぶりすぎてそこまでやる気も起きなかったし、僕は、なんとなくほんとうにひさしぶりに手もちぶさただったのだった。



 僕の趣味なんていうのは、しょせんはそんなものであるのだ。

 南美川さんのほうが、きっと、……よっぽど趣味人なのだろう。

 この世のなか、いまどき、珍しいほどに。

 人というか――人犬、なんだけれども。うん。僕もそんなことくらい、いいかげん……わかっているつもりではいるんだけれども、なあ。




 時間が過ぎていった。

 南美川さんは、ずっとお絵描きをしていた。

 ネイルのデザイン、とまではいかない。ただ、ぐるりとめぐる円を描いたり、三角形や四角形をペタペタと置いて、そこに色をいろいろと鮮やかに塗りたくったり。

 ……そこまで、今夜のこの短時間でできてしまえば、とてもたいしたものだと思う。



 僕は手もちぶさただったけど。

 ただ、穏やかな夜として。

 ……僕は手もちぶさただったけど、そう、ただ、穏やかな夜として。



 零時になった。

 ……毎晩、この時間にはかならず寝るよと決めていて、

 南美川さんにもそうしてもらっている、毎日の就寝時間。




「南美川さん。寝るよ」

「んー、もうちょっとおー……」

「だーめ。僕がいるときだけって言ったでしょ」

「んー……」


 生返事をしながら、相変わらず線をピイッと伸ばしている。

 ……僕は両手を腰に当てて、わざとらしく息を吐いた。


「よっ」


 またしてもわざとらしいかけ声をかけて、僕はパソコンを取り上げるかのようにして持ち上げた。

 南美川さんがこちらを見上げて、絶望とも失望ともつかない顔をする。


 まあ、眼鏡かけてるからっていうのもあるんだろうけど。

 ……その顔が、また、人間らしくってさあ。



 僕はノートパソコンをそのまんま南美川さんのケージの前に置いた。

 そして南美川さんも抱き上げてしまって、

 ケージのなかに入れて、鍵を閉める。



 僕はケージの扉の前から、声をかけた。



「……僕は、寝るよ。続き、やってるならそれでいいけど、……檻越しになる。それと、それ以上のことは、しないでね。約束、守れるよね、……いいね?」



 南美川さんは、じんわりと、そしてぱあっと顔を輝かせる。

 ……檻越しでも、わかる。その表情の細やかな動きが、すでに、……僕には。



「えっ――いいの? シュン」

「……ほんとは、よくないんだけど。でも……南美川さんの意気込みに免じて、だ」



 じゃあ、僕は寝るよ――と声をかけたのだ。まるで、いっしょに住む、……人間どうしでそうするみたいに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る