欲情についての簡単な答え合わせ

 南美川さんを家に迎えたときにも思った。

 恋ではなかった。愛とも、すこし違うだろう。


 そしていまも、恋ではないし、愛とも、……すこし違うだろう。

 そういうんじゃなくて。……そういうんじゃなくて。


 ……僕、杉田先輩みたいな性欲強すぎるひととは、きっと、なんというか人種が違うんだ、って、自分のことをずっとそう思ってたんだけど。


 恋ではないし、愛ともすこし違う。

 じゃあ、……僕のコレはなんなんだろうって。

 僕はいつも南美川さんが眠っているときに、とある特定の行為をしてるとき、……というか、

 そのあと、一気にティッシュペーパーを重ねて拭き取って、荒く乱れてしまう呼吸を嫌に思いながら汚物としてすぐにまとめて捨てて、

 いちばん思うことだけど。

 ほら、ね、……オトコノコにはそーゆーの、ありますから。

 わかんない。女の子にもそういうのは、あるのだろうか。


 僕は童貞だから、わかんないんです。

 ……いままで、自分のパーソナルスペースに、だれかがいたってこともなかったし。


 でも、まあ、僕もさすがに歳も歳だしさ。

 とくに社会人になってからは正直、忙しさと疲労感のほうがよっぽど、勝ったし。

 べつにまあ、やらないならやらないでさ、……身体構造的に朝起きたらそうなってくれたりするし。ああなんか身体って便利にできてるんだなあ、とか、思ったし。

 ……そういうわけで落ち着いてはいたんだけどさ。


 南美川さんが来てから、なんというかどうしようもない夜が増えた。

 南美川さんに知られたくはないから、南美川さんが就寝してくれないと、どうしようもない。

 だって、南美川さんは起きているときはいつも、その短すぎる四肢でトテトテと僕を追ってくるのだ。……台所までついてくる。トイレと風呂以外は、ぜんぶ、ついてくる。

 というかトイレと風呂のときにも、その前でチョコンとおすわりして待っている。……だから、その、ほんとのほんとに南美川さんが寝ているときくらいなのだ、機会は――さすがに僕も目の前で待たれているってわかってできるほどではないし、

 ……そもそも、南美川さん、あんまり僕が長く待たせると、いまだにじんわり涙を浮かべて、やがてはらはら涙を流して、涙腺が壊れたように泣きはじめてしまう。そうだね、五分ってとこだ――南美川さんの我慢がもつのは、五分だ。

 赤ちゃんみたいだ。でも。……いまの南美川さんは、心を犬にされかけたのだ。まるで赤ちゃんみたいであっても――たとえぎりぎりであっても、その心をたもてたことは、……褒めてあげたいくらいのことなのだ。



 そもそも、その。

 高校時代。

 林間学校を皮切りに――僕はそのあたりも、無理やり、晒されることになった。

 まあ、裸にされる時点である程度そうなるし、……だからあとは僕の人権がだだ崩れて、僕は自分のそんな行為まで隠すことを許されなくなった。


 だから南美川さんも僕のそういうの、知ってるはずなんだけど、

 ……僕が生まれついて男だし、そういうどうしようもなさを見て、……むしろケラケラ笑っていて残酷だったけど、

 で、僕、すごくそれがつらくて、つらくて、つらすぎて……


 ……心を壊した引きこもり時代。

 ずっと、ずっと、そのことを思い浮かべては――繰り返していた。



 ……ペットショップで、あのおじいちゃん店員とチエちゃんという店員さんに、話したこと。

 高校のときに自分を苛めた女の子を思い浮かべないと、どうにも機能しない、ということ。


 ……あれは、じつは、冗談めかして言ったけれども冗談ではなくほんとうのことだったりするし、

 ――しかも人犬の南美川さんが来てからは、思い浮かべるモノはいまのその犬みたいで赤ちゃんみたいな南美川さんに、更新された、

 いろいろね、ぶれるんですよね、僕のなかではそういうとき、南美川さんは人間だったり人犬だったりで忙しいんだ。



 僕は南美川さんに苛められたからもうその防衛本能で南美川さんのことを思い浮かべちゃうんだと思っていた。

 けども――人犬の南美川さんに再会したら、再会したで、……僕の欲望はこんなにもきたない。



 ヒューマン・アニマルは動物だ。人間では、ない。

 僕だってそんなことは当たり前の事実として受け入れてきた。街中で散歩をしている人犬の背中を見ても、ああ人犬だなあって思うだけで、それだけで、まさか欲望を覚えるはずもなかった。


 ……なんどもね、なんどか、南美川さんに対して狂おしい夜をこの三週間で繰り返して、

 僕はやっとわかってきたことがある。


 僕は、人間であっても人犬であっても、

 ――南美川さんをこんなにも求めているんだ、と。


 ……そのことが、ちょっとおかしい、ことくらいは、わかる。さすがに、僕だって。

 僕だって戸惑ったよ。


 だって南美川さんは犬になってもかわいかった。


 橘さんが言っていた。倒錯的とみなされないように、と。

 ああ、みなされないようにどころじゃ、ないよね、

 僕――がこんなにも南美川さんに対して倒錯的なんだってことを、そう、そうだよ、……南美川さん本人にだって、これからもずっと、隠し続けなくちゃね。


 犯さない、……犯さないって、約束したんだから。

 ああ。――約束しておいて、よかったね。よかったよ。

 そうでなかったらもしやってとき、あったもんな、いままで。

 ……おかしいな、もう僕も、二十五歳のはずなんだけど。どうしてこんなに――元気になってしまったのか、なんて、なにも面白くないとてもサムい言い回しを、自分のなかでだけ、繰り返して。


 ……僕は、どうして、南美川さんをここまで求めているのだろうか。


 その、問いを。

 きのうも、きょうも、あすも、

 きょうも、きょうもきょうもずっと繰り返して、

 僕は自分に問いかける――そんな形式を取って、確認をするんだ。


 さあ。僕。きょうも、問いと答えから、はじめよう。

 簡単な答え合わせだよ。


 僕は、どうして、

 ……南美川さんをここまで求めているのだろうか。



 ……うん。

 それは、きっと――。

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