第二章 高校の同級生とはじまる、奇妙な同居。愛おしいけど、憎かったりもして、どうしようもなさが募るなか、それでも僕は――
同質な笑み
都心にある、最新型コンピュータの並べられたスマートなオフィス。
時間通りに出社すると、暑苦しい先輩が暑苦しく僕の肩を抱いてきた。いつもの、って感じ。
「おうおう来栖、おっはよーちゃーん」
「おはようございます、
僕は口もとに手をやる。
「おうおうおう、出社直後からあくびだなんてよくやるじゃねえかよテメ。なんだよ、昨晩はオンナノコとお楽しみかあー?」
「……僕には彼女はいないって、前から言ってると思いますが」
「がはは、あいっかわらず来栖は純情ボーイだなあ。オンナノコってのはなあ、かならずしも交際相手のことを指さないんだぜえ? 夜のオタノシミはいろんな楽しみかたがある。ナンパした娘に財布を抜き取られるのも一興、キャバ嬢に財布として扱われるのもまた、一興……」
杉田先輩の天然パーマの頭に、ポスン、とファイルケースが直撃した。いてっ、と杉田先輩は恨めし気に笑った。
上司の
「ねえ、すぎぴょん。朝からバカなことをうちのルーキーくんに言わないでくれる? いまどき倫理監査の査定も厳しいの、知ってるでしょう。すぎぴょんがいま言ったこと、くるちゃんが倫理監査局に訴えたら、一発でパワハラ認定よ、パワハラ認定」
「さっすが橘さん、朝から超絶真面目っすね! 不肖、
「そうね、アンタはもっと勉強が必要かもね。さあさあ、わがチームもさっさと、朝礼行くわよー」
橘さんは僕と杉田先輩の背中を両手で押していく。
橘さんのぺったりした手の感触に、……ああ、南美川さんはすでにこの手も失っているんだな、と思った。
ほかの社員たちも、チーム単位で会議室に移動しはじめている。チームはたいてい三人か四人という小規模で編成されている。
僕たち三人も、廊下を歩いていく。さすがに橘さんは途中で背中から手を離してくれた。
橘さんが僕の頬くらいのところでぽそりと息を吹きかけるようにして言う。
「ね、くるちゃん。杉田のこと、憐れなセンパイだなって思って、訴えないでやってね?」
その言葉は冗談めいていたけど、切羽詰まった真実味もあった。
倫理監査局は厳しいのだ。いまは、そういう時代なのだ。人間においては、人権、というものを最大限に尊重する。僕は人間だから、人権がある。だから、杉田先輩のいまのおふざけだって、パワハラと訴えれば――僕の人権というものは、最大限行使されるのだ。
敏感だ、ということだ。なにごとも。
……その結果、社会全体のことを考えて、ヒューマン・アニマル制度だってじっさいこうやって社会で実現しているわけだけど。
すべてのホモ・サピエンスを人間とみなすから、社会に余裕がなくなる。人間全体の幸福のために、「人間の再定義」をすべきだ――そう言って、ヒューマン・アニマル制度を提唱して、当時は激しい批判を浴びて頭がおかしいとまで言われたけれど、けっきょくそれを最終的に社会で実現させたという、あのすごい学者は、……やはりそろそろ教科書にも載るのだろうか。
「訴えませんよ、こんなことでは。杉田先輩のこれにはもう慣れました」
「そう? お願いね。ほらすぎぴょん、出来のいい後輩をもったことに感謝しなさい?」
「うっうっ……ありがとう、ありがとうな来栖よ……!」
「……そういう茶番、いいんで。あの。でも。もしも、もしもなんですけど。……僕が杉田先輩を倫理監査局にパワハラとして訴えたら、どうなるんですか?」
「ガーン! まさかのスピード裏切り!?」
「や、だいじょぶです、じっさいには、訴えないんですけど。……どうなるのかなって、思っただけで。お金とか、もらえたり。あと、……賞与ポイントとかって、ついたりします?」
「珍しいじゃない、くるちゃんがそういうこと気にするの。社会とか制度とかはなーんにも興味ありません、プログラミングだけですー、みたいな職人タイプなのに」
「……そうでもないですよ。べつに。そういうわけでは……ないです」
「うーん、そうねえ。でも、くるちゃんは、社会のことを、ほとんど知らないはず。それ、当然よね? 社会人のほとんどがそうよね、いまどき。だって社会のことは、その専門の職業――つまり私みたいなソーシャルのプロではないと、ガッチガチの規制がかかっている。くるちゃんも、すぎぴょんも、私を通さないことには社会の制度にタッチできない。それが、常識よね。そして私はガイドラインに沿って社会の情報提示をせねばならない」
僕はうなずいた。
「パワハラと認められた場合、金銭の譲渡があるか、賞与ポイントが出るか、の二点よね。その質問はとくにガイドラインに抵触しないから、手続きなしでこの場で答えてあげる。倫理監査局にパワハラを訴え出た場合、まずは人工知能を調べて、問い合わせることになる。あからさまなパワハラは、人工知能が認識しているはずだから。倫理監査局に訴え出るようなパワハラというのはつまり……真っ黒ではない、グレーということ。……でもグレーを白か黒かと判定すること、こそが倫理監査局の仕事といえるから。それと……パワハラを受けたと主張する側としたと主張される側の社会的立場なんかも調査するはず。……社会評価ポイントの差異が重要となってくるのね」
……覚えがある。
僕は、高校でいじめられたけれど。
僕をいじめてくるひとたちは、僕より優秀だったから――。
「そして、かりに人工知能から見逃されていたパワハラと認定されたとして、金銭は間接的にはともかく直接的には発生しないわね。金銭が直接的に発生するのは昔ながらの金銭で賠償をしたいと双方の合意があった場合だけだけど、それはもう現代ではレアケース。賞与ポイントにはまったく関連性がない」
「ガガーン! なんか俺がただのパワハラ野郎みたいになってるけどお!?」
「うん、ほんと気をつけなさいねアンタはね、寛大なくるちゃんに感謝よ。……でも、くるちゃん、どうして? いきなりそんなことが気になるなんて」
「……や。ちょっと、やりたいことができまして」
僕は廊下を歩きながら、言葉を選ぶ。
「その目的のためには、ちょっと、お金とか、……立場が、必要かなって」
「ふうん……そこは個人の範疇だから、私はタッチしないけど。……ヘンなことやっちゃだめよ? ただでさえ――風通しの悪い世の中なんだからね」
「俺は毎日女の子にタッチして風通しもびゅうびゅう!」
「はいはい、なーにを言ってるの」
橘さんは、もういちど杉田先輩の頭にファイルケースを喰らわせた。……そういえば、その行為はパワハラには、あたらないんだなって。
もうすぐ会議室に到着する。そうすれば、夜の六時までは、仕事だ。
「……あの。僕、ペットのワンちゃんを飼いはじめたんですよ。きのう、仕事帰りに……ちょっと、衝動的に。それできのう、ちょっと、……ばたばたで。寝るのもふだんより遅くなっちゃったんです。眠たそうだったら……ごめんなさい」
「おっ、ペットはいいよなあー! 癒されるぞお?」
「動物かあ。私はあんまり飼う気しないなあ、責任取れる気がしなくて」
ワンちゃん――その言葉だったら、犬も指すけど、人犬も指す。それらは、いわば「犬種」の違いでしかない。ポメラニアンか、ゴールデンレトリバーか、人犬か。それくらいのもんだ。
やっぱり、わざわざ、犬種までは聞かれないのだな、と――思った。
「……あの子のおかげで、人生が再スタートするかもしれないなって、思ってます」
ふたりは性格も見た目もなんもかんも違うのに、なんだかおんなじような、そんな感じの薄い笑みを、浮かべた。
……僕はその笑みをとってもよく知っている。理解できない、と――それこそ高校時代から、じゃんじゃん浴びてきた表情、ですから。
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