177話 九分九厘
歴代最強との呼び声も高いドラクロワを含めた過去のどの魔王ですらも、ついぞ完成、解き明かすこと叶わなかったと云われる"時魔法"を実戦投入してみせたばかりか、それにて驚異の超スピードを誇るバンパイアの美姫を首尾よく絡めとり、今や揺るがぬ勝利を確信した女エルフのエヴァであった。
この優秀卓抜なる女魔導師は、ヴァイスの街長アントニオからの事前の通告どおり、眼前で完全に無力化させたカミラーの四肢をそれらの根元から切断し、辛くも今宵の三番闘技を何とかチーム超越側の勝利にて締め括(くく)ろうとしていた。
だがしかし、このエヴァ=ザンヤルマァという仮面の女エルフ。
今は亡きバンパイアの大巨人ラグナ=タイゴンや、今、四方の鉄柵にかぶり付いて熱狂した姿のままで固まった、血に飢えた狂乱の観客等とも異なり、元来、嗜虐的(サディズム)趣味とはほど遠く、自ら進んで加虐を悦ぶ質ではなかった。
だから正直、今カミラーの佳麗なピンクのドレスの左肩に載せた細剣をそこへと押し付けて、ザックとばかりに食い込ませ、その波立つ刃を容赦なく沈めながら、引いては押すを繰り返すという、そんな残虐極まりない解体の行為には人並みに二の足を踏み、露骨に躊躇をしていた訳である。
その上、その置いた刃の直ぐ横には、こちらをじいっと見上げる、淡い影の差した世にも美しい女児にしか見えぬ幼き顔である。
如何(いか)に歴戦の女闘士エヴァといえど、流石にこれから仰視されながら、その四肢を容赦なくぶった斬るというのには踏ん切りがつかずにいた。
(んもうっ……そーんな澄んだ瞳で見詰めないでよー。何だかとおーってもやり辛いじゃない……ハァ……。
でもエヴァ、どんなに可愛らしく見えたって、このチビッ娘はラグナとジハドを倒した恐ろしいバンパイアに違いはないのよ……。
ハァ……そう、そうよね!激しくメンドイし、気持ちも悪いけど、ここは心を魔王にしてー……)
と、決意も新たに口許を固く引き締めて小さくうなずき、愛剣の柄(つか)を握り直した。
そして、僅かに寝かせていた波打つ刃を、いよいよそこへと立てた刹那である。
ズドッ!……。
突然、下方より何やら鈍い音と、ギョクンと己の身体を揺らすような振動とが伝わって来たではないか。
自然、怪異なる超弩級の大魔法にて時を操り、結果、カミラーの生殺与奪の掌握磐石なりしエヴァは、その音源・震源とは何事か?と不審に思い、うつむくようにして顔を降ろした。
「………………はっ!?えっ!?」
思わず声が漏れた。
見れば、薄紫色したエヴァの布装甲の右膝の上部、そこの大腿中央から、ニョッキリと何かが生えているではないか。
更によくよく目を凝らせば、その物体とは明らかに金属の光沢を放つ、なにか棒のようなものである。
「あっ!!ううぅ……うあぁああぁーーッ!!」
エヴァは自らの右の太股から徐々に這い上がってくる強烈な違和感と、魂に直に氷を押し付けられて冷やされるがごとき、なんとも得体の知れぬ悪寒の塊ようなものとの混合物に、狂おしき吐き気にも似た烈(はげ)しい恐怖を覚え始めていた。
そしてまた、それでいて英明怜悧(えいめいれいり)なる冷めた思考で以(もっ)て、その金属の棒というモノが、今も自らが握っている筈の愛刀フランベルジュの柄であることにも気付いていたのである。
つまり、エヴァは間違いなく今しがた、大きく突き出すような格好にてカミラーの肩口に載せていた細剣を目にも留まらぬ早業で奪われ、あまつさえそれを右の太モモへと真正面から、その柄(つか)まで突入・押し込められていたのである。
無論、それを為したのは対戦者のカミラーであり、今や彼女は停止した筈の世界の直中にて、さも一仕事終えたように掌を打ち合わせ、小さな顔に掛かったピンクの巻き毛を優雅に真横へと流していた。
だが、細剣で脚を貫通させられたエヴァは、未だ信じられないといった驚愕の形相のままであり、己の足、次いでカミラーの顔とを呆然としつつも比べるように、代わる代わるに見ていた。
そうして数瞬後。やっと喘(あえ)ぐように口を半開きにして震わせ、只只、戦慄(わなな)き始めたのだった。
いや、そうする外なかった、というべきか。
これに対峙するカミラーも、その自分の顔前に向って伸びた鋼鉄の柄を眺めていたが、不意に脳髄内の海馬領域から、埃の被った一塊の記憶を引っ張り出したような、そんな追憶(ノスタルジア)の顔となってうなずいた。
「フム。そういえば、随分以前にお父様から、あらゆる魔法の内で唯(ただ)ひとつ限り、畏(おそ)れ多くもあの魔王様ですら未だ完成させること叶わぬ、時の魔法というものがある、と聞いたような気がするわ。
うんうん、なーるほどの。お前が仰々しくも触れ込んで使うてみせたコレも無論、決して出来損ないの領域を出ることはなく、まったく以(もっ)て時を止めるなどにはほど遠く、精々がその流れを極めて緩やかにする程度のモノじゃったかー。
フンッ。大体にして、あの魔王様を差し置いて、なんじょうお前のごとき白エルフ風情が時魔法などを極められようか。
この無知蒙昧の増上慢(ぞうじょうまん)魔導師めい。
であれば、この貴族の頂点なるわらわが本気で駆ければ、のんびり屋のお前などから剣の一本を奪うことなど、まさに赤子の手を捻るに同じく造作もないことじゃわい」
実につまらなさそうに言って、未だ茫然と立ち尽くすエヴァの脚から素早くフランベルジュを、ズゾリュッとばかりに引き抜くや、軽く手首を回して、ヒュンッと刃を半回転させたかと想うと、それを下方真下へと流れるように落とし、今度はエヴァの左足の甲を薄紫のブーツごと貫いて、なんとその刀身を半ばまで石畳に沈めさせたのである。
これに、大混乱に翻弄され、その荒波の渦中にあったエヴァは、この無情にして流れるような所作を、まるで他人事のように傍観していたが、突如として襲い来た形容し難き激痛に目を剥いて絶叫した。
「ッッキャアーーーーーッ!!!!」
そして、その葵色の優美なる身体は悲鳴の尾を引きながら、ゆっくりと後方へと倒れたのである。
すると、超大・膨大なる時の流れる力を抑え込んでいた大魔法にも流石に限界が来たか、カミラーの身体をあらゆる角度から包み込み、また押さえ付けていたような、硬く、粘っこい、色のない高圧力の波等はみるみる手を退くようにして減退して行ったではないか。
その急激な解放に釣られるようにして、想わず背伸びをするような格好となったカミラーは、どこかコミカルでいて、そしてまた果てしなく愛らしかったという。
すると、それらの時の防波堤決壊のごとき世界復元の現象にやや遅れ、不快な耳鳴りを伴って響いていた異音が急速に元の音程を取り戻して行き、それら奇妙な雑音は熱狂する観客等の大歓声へと戻っていった。
それらを認めたカミラーは、パカッと口を開けて耳の詰まりを追っ払うと
「やれやれ……このエルフも他の二人と同じく、大袈裟にも、やぁやぁ我こそは人外・超越にあり、とか自負しておった割りには、まーったく大したことなかったの」
至近距離の石畳上でのたうつ、葵の女大魔導師こと、エヴァ=ザンヤルマァを見下ろして、心底冷めきったように言った。
これを遠く眺める特別席のドラクロワは、隣席の街長をなんとも含みのあるような横目で見て
「フフフ……確かに、さっきのお前が申した通りに、あの女エルフが詠唱を終えた途端、闘士はたちまちにして血塗れで倒れ伏しおったな。ウム、見事見事……。
ま、もっとも、倒れたのはなぜか女"大"魔導師殿の方ではあったがな。
ウム。で、肝心の時を止めるウンヌンの方はまだなのか?ん?」
実に満足げな笑みを浮かべ、間の抜けた拍手を打っては、嫌味タップリに訊いたという。
だが、痛烈に皮肉られたアントニオは彫像のごとく固まり、急速に勢力を失って鎮まってゆく観客等と同じく、まったく予想だにもしなかった、この余りの展開・事態に完全に思考を停止させていた。
さて、闘技の場の真ん中で絶叫するエヴァだが、自らの持参した鋭利にして犀利(さいり)なる細剣で以(もっ)て、脚の大きな動脈を切断されたらしく、特に右大腿の負傷箇所から、ビュウビュウと赤黒い噴水を上げながら、その温い泥濘(ぬかるみ)の直中にて、釣り上げられたばかりの大魚のごとくもがき、そして暴れ、見るも無惨な床だだっ子となっていた。
この余りの惨状を目の当たりにした怪鳥仮面の闘技運営陣の者等は、街長の指示を待たずして、この深傷では流石に勝負あり、と判断し、自らの鮮血でベショベショになってゆくエヴァを救護すべく檻内へと雪崩れ込み、彼女を殆んど投げ込むようにして担架に載せるや、運営の治療所へと迅速に搬送を果たしたのである。
そして、葵の失せた、その身の毛がよ立つような紅の光景。
噎(む)せ返るような鉄の香りが漂う、赤い水溜まりの点在する、おぞましき血舞台に独り立つカミラーは、静寂の観客をゆっくりと見渡してから
「ヴァイスの者たちよ!よく聞けいっ!!我こそは正真正銘、魔王様麾下(きか)の魔戦将軍ラヴド=カミラーであるっ!!
今宵、表向きには魔王崇拝を標榜するお前たちに、はっきりと言うておくっ!!
これまで永くお前たちが続けてきた、単なる自堕落にして、享楽放蕩の爛(ただ)れた生きざまを、こともあろうか、徒(いたずら)に魔王様を掲げては正当化せんとする、その甚だ唾棄すべき厭悪(えんお)の所業っ!!
これ、如何様(いかよう)に勘考(かんこう)、また解釈しようとて、この星の絶対覇者なる魔王様の御意向からは果てしなくかけ離れた、度し難き痴(し)れ者の屁理屈にしか過ぎぬっ!!
よって、ぬけぬけと魔王崇拝者を騙るお前たちには、早晩、魔王様からの厳罰がくだされるであろう!!皆、覚悟しておくがよいっ!!」
と、どこかの箱入りの御令嬢を想わせるような、そんな愛らしい風貌と、その小さな身体からはまったく想像出来ぬほどの大声で一気にまくし立てたのである。
そうして、心底ウンザリとばかりにピンクの襟足を背に振って払うや、先の救護班が出て行った、開け放たれたままの鉄門扉から音もなく颯爽と退場してゆくのだった。
これに、闘技場を幾重にも取り囲んでいた観客等は、その五千歳の真魔族の放つ余りの迫力に気死せんばかりに圧倒され、直進するカミラーに原始的な恐怖を感じ、身を引いてはぶつかり合い、もつれ合い、まるで逃げるように後ずさっては道を造って、呆然自失のまま、只、その退場を見送ることしか出来なかったという。
この有り様を特別席から見下ろしていた街長は、痙攣するように両目を忙(せわ)しなく瞬きさせ
「な、なんだぁアイツは?魔王崇拝がなんだと?
あ、おいっ!どこへ行く気だ!!クソッ!あのガキを勝手に行かせるなっ!!」
人波の果てへと消え行かんとするカミラーに、ハッとなって慌てて側近へと喚いた。
そして、直ぐにドラクロワへと向き直るや
「ええぃっ!この疫病神めぇっ!!まったく貴様というヤツは、」
と、なんともやり場のない苦々しい思いをぶつけようとした。
だが、あの暗黒の貴公子は煙のごとく消え去っており、そこには只只、無数の葡萄酒の空瓶が散乱しているばかりであったという。
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