176話 世界を支配する能力

 高い鼻の先までもを覆う、薄紫色の角ばったクロースヘルメット(型付け加工をした布製の兜)を引っ被ったエルフの女闘士エヴァは、その仮面の内にてエメラルド色の瞳の目を丸くしていた。


 「ヤダ、ウッソ、えぇー……。このチビッ娘ったら、私の幻惑アロマから自力で覚醒したー?

 えぇー……も本ッ当メンド臭いわねぇー。ハァ……」

 と、心底ウンザリしたように溢(こぼ)して、エルフ族特有の優美なる長身、その細い腰にぶら下げた、透かし彫りの美しい四角い銀の小箱のような''香炉(こうろ)''を恐ろしく怨めしそうな目で見下ろした。


 これに、対峙するカミラーも怪訝な顔で、その甘い香りを吐き切った怪しい薫香(くんこう)の器具を睨んだ。


 「フム。なにやら珍妙な香りを纏(まと)って現れよったかと想えば、それなる品とは幻惑誘引を後押しする"芥子(けし)"の香じゃったか。

 ギャハハ!このエルフ、中々に風変わりなシロモノを引っ張り出してきおったものよ。

 じゃが、そんな児戯に等しき小細工など、尊い魔王崇拝を冒涜されたことに憤怒する、このわらわのにはちーっとも効かぬわっ!(一寸効いた)

 さぁて。どうやら今宵の三人目の闘士となるお前を倒せば、この下らぬ一連の闘技も終いのようじゃな。

 ん、命までは取る気はないが、それなりに確(しか)と覚悟をせい……」

 小さな右手を頬の前まで掲げ、メギギ……と、そこにて五つの兇爪を伸長させた。


 これらのやり取りを固唾を飲んで見詰めていた観客等だったが、滅多に見られぬ稀有なるエヴァの艷姿。また、それが使用する必殺の幻惑秘術から、今やカミラーが完全に覚醒して立ち返ったのにようやく気付き、一様に潮のうねりを想わせるようなどよめきを響かせ始めていた。


 「はっ!?な、なんだと!?あの偽カミラーめ、まさかエヴァの幻惑術を破り、独力で自我を取り戻したのかぁっ!?」

 街長のアントニオは喫驚(きっきょう)仕切って、闘技場の真中に気高く屹立(きつりつ)するカミラーの強靭なる意思・精神力に泡を食って立ち尽くしていた。


 「フフフ……至極当然のことよ。まぁほんの数瞬とはいえ、真魔族たるバンパイアの精神を虜にしたヤツの幻術は、ある程度の評価には値すると思うがな……。

 さぁて、早くもあのように攻め手を失い、手詰まりとなった女魔導師、いや幻術師だが、ここから神速のカミラーを相手取ってどう闘うつもりだ?」

 ドラクロワは、憤然・猛然と襲いかかるカミラーにより、四方八方から硬い布の鎧ごと容易く全身を掻き裂かれ、それによって立ち込める無惨な血煙の直中で絶叫の尾を引きつつ、倒れる寸前の独楽(コマ)のように力なく舞い踊るエルフの女の陰惨極まりない末路というモノを脳裏に描き、実につまらなさそうにため息をついた。



 だが隣席のアントニオは、ゲジゲジとした太い眉を歪ませ

 「はぁっ?テヅマリ!?手詰まりだとぉ!?フンッ!なぁにを抜かすかっ!!

 確かに、あの幻惑術が破られたのには驚いた。が、あの術というモノは''怠け者エヴァ''の小手先であって、雑な''甘噛み''の技にしか過ぎん。

 見ていろ、あのエルフの真の恐ろしさはここからなのだぁ。

 グエッヘヘヘ……あのバンパイアの娘め。下手に覚醒などしてみせおってからにぃ、これで完全にエヴァは本気になったわい。

 おぉ怖い怖い……グヘヘへへェ……」

 言下に反駁(はんばく)して、葵の女大魔導師の真の能力(ちから)の解放を歓待・招来するように言った。


 「ウム。あのエルフの女、まだまだ本領発揮という訳ではなかったか。

 フフフ……そいつは重畳なによりだ。

 で、その肝心の奥の手とはなんだ?」


 「ん?フン、なぁに、あのエヴァの行使する絶対の必殺奥義とはだなぁ、古来より禁断魔法の大筆頭であり続ける、あの''時魔法''なのだぁ!

 どうだぁ若造っ!恐れ入ったかぁ!?グエッヘッヘッヘェー!!」


 「なに?時魔法だと?確か、この人間界では研究する事はおろか、その名を口にすることさえ禁じられた、あの幻の時魔法を使うだと?

 フフフ……世迷い言を。時魔法とは読んで字のごとく、時の流れる途轍(とてつ)もなく強大な力を''自在''に操るという、数ある魔術の中でも最高位に属する、超越的難度を誇る大魔法。

 天部の上層部、七大女神達はおろか、無限の魔力を有する彼(か)の魔界の王すらも未だ完全掌握には程遠いという、あの秘法中の秘法を行使するなどとはな。

 あにはからんや、お前という奴は何を言い出すか。

 まったく与太話もいいとこだ」

 魔王は呆れかえって両肩をすくめた。


 「グエッヘヘヘ……若造のクセに妙に物識りだなぁ。まぁ好きに抜かしてろ。

 あそこに立っている痩せっぽちの非力な女エルフのエヴァが、なーぜラグナとジハドをおさえて、チーム超越の揺るがぬ頂点と呼ばれるのか、直ぐにでも解ることだろうよ。

 グヘヘ……精々、目を皿にしてよーく観ているがいい。なにせ、あのエヴァが短い禁呪の詠唱を終わらせたが最期、たちまち敵は血塗れで倒れ伏し、闘技は一瞬で終わるのだからなぁ」


 街長は、波打つ刃が炎の舞を想わせる、一般的にフランベルジュと呼ばれる細剣を、さも億劫そうに鞘へと納める葵の女大魔導師に向け、黒髭の繁茂する顎をしゃくって言った。


 さて、今や様々な怪異なる力に翻弄・蹂躙され、醜く歪(いびつ)にされた20メートル四方の鋼鉄の檻の中央では、極端に短い仕様のまるで擂(す)り粉木棒(こぎぼう)のごとき魔法杖を左に握り締め、胸前で奇妙に腕を舞わせるエヴァが居た。


 そして、その一連の妖しげな所作を漫然と眺めるカミラー。


 「ん?これエルフの女よ、先の子供騙しの幻惑術の次は、一体何を披露しようというのじゃ?

 どうせまたお粗末な、愚にもつかぬ技じゃろうが、いかなる魔法もこのわらわには、」


 「ハァ……この魔法は死ぬほど疲れるし、精神そのものを、ゴリッゴリ消耗するから極力使いたくなかったのよねー。

 あぁコレ間違いなく、まーた三日は寝込むわぁ……ハァ……。

 まったく!ラグナとジハドのドジ!マヌケ!能無し!スカタンッ!

 ハァ……本当にメンド臭いなぁー……もう終わったけど。

 えーとあなた、確かバンパイアだったわね?

 いつまでもそんな小生意気な事を言ってないで、さっさと自慢の超速度とか馬鹿力とかで私を引き裂いてみたら?

 フフン、フフ……。まぁ出来たら、の話だけどぉ。

 ハァ、それにしてもメンド臭かったぁ……」

 小声で唱えていた、まるで吐息のように幽(かす)かな魔法詠唱を切り結んで、終いはあくび混じりに、のんべんだらりと言ってのけ、ここはやむ無しとばかりに、再度腰の細剣を抜刀した。


 「フム。では、このまったく歯応えのない、温(ぬる)き決闘ゴッコにもいい加減飽いてきたとこじゃし、ちゃっちゃと片付けてやるかの」


 (はて?こ奴が平凡な白エルフの魔法使いとなれば、概(おおむ)ねその得意な分野は精霊魔法が定番であろう……。

 なればこの女、まさかこのわらわには、神聖魔法と一部の精神魔法の類いを除けば、如何(いか)なる攻撃魔法も萎(しお)れて果てるのを知らんという訳でもあるまい……。

 ウーン……その上で見せる、この堂々たる自信と余裕振りとは一体なんなのじゃ?単なる馬鹿なのかえ?


 フム、まぁなんでもよいわ。こヤツの放つモノがなんであれ、それが氷の槍でも、炎の追尾矢でも、まとめて軽ーく叩き落としてやるわい)


 自らの強力な魔法耐性に慢心し切ったカミラーが、恐ろしく無防備かつ、どこまでも気だるそうな女エルフを軽侮した刹那。

 突如として奇妙な違和感に襲われた。


 それは先(ま)ず聴覚に来たという。


 カミラーは不意に不吉で微(かす)かな耳鳴りのようなモノを覚えたので、瞬時にして緊急戦闘態勢に移行するや、真紅の瞳を左右に転がして油断なく辺りを見舞わした。


 すると、闘技の巨大テントを内から震わせる怒号・喧騒そのものである観客等の狂おしき大歓声が、ゴオオオォ……モグォオオオ……ゴンオンオーン……と、どこか地に墜ちるような響きに変じつつ、低く、また不気味にうねり始め、それらは直ぐに途切れ途切れの雑音となって、ブブ……ブブブ……ブブブ……という僅かな異音になっていった。


 「うん?なにやら、か、身体が、お、重いぞぇえ……。

 おぉ前ぇ、わらわぁに何をしぃ、たぁ?」


 生来、夢を見ないバンパイアのカミラーは、人間族が悪夢の中で恐ろしげな何者かに追われる時のような、そんななんともいえないもどかしさにも似た、ねとつくような不自由極まりない感覚に襲われていた。


 そんな、水よりも数段に粘(ネバ)く、そして固いゼリーの中に投じられたかのような、何とも例え難い奇妙な感覚に全身を包まれ、また圧されながら、ノロノロと顔を上げて正面のエヴァを睨み上げた。


 すると、そこの葵(あおい)一色で身を包んだノッポの女エルフが、その薄紫の仮面の下で微笑しているのが垣間(かいま)見えた。


 「ハァ……コレ、本当は説明するのも激しくメンドーなんだけど、これから付き合いが長くなりそうなあなたには、たった一度きり教えておいて上げるわね。

 フフフン。実は私の十八番はね、さっきの幻惑術なんかじゃなくって、この時魔法なの、うんうん。

 まぁこの街の無知でお馬鹿なお客さん達は、みーんな

 「出た!エヴァの神速剣!!」

 とか言って、とおーっても暑苦しく騒いでくれちゃったりするんだけどね……ハイ、ソレみーんな見当違いでーす、ってね。ハァ……。

 でー、自分でいうのもナンだけど、私ってば元々はナインサークルズ魔法大学の超絶優秀な研究員だったのよー。

 で、空前絶後の大天才の私ったらねー、ある日、仲間に秘密で研究を進めていた、この星の永遠の謎とまでいわれた''時魔法''の仕組みを見事に解(と)いちゃって、なんとそれを完成させちゃったのよー。

 まーた、それの完成度の凄いことっ!

 ま、その後すぐに時魔法の備忘録が教授の一人に見つかっちゃって、私は大学を追い出されちゃうんだけどねー。

 でー、それからの私はあてもなく方々を放浪してゆくうちに、なんでも自由なことでその名の知れた、この魔王崇拝の本場ヴァイスに流れ着いたって訳!」


 最早、ほぼ揺れるのを止めた篝火の灯りに、波打つ刃も美しい細剣を光らせ、死刑執行のムッシュ・ド・パリよろしく、明鏡止水に悠然とカミラーへと歩んで行くエヴァがあり、

それをなにか目映(まばゆ)いものでも見るかのように、実にねっとりとした、ゆっくりな瞬きを以(もっ)て真紅の瞳に映すカミラーだった。


 (と、時魔法じゃと?バ、バカなッ!!

 では、こ奴、じ、時間を止めおったとでもいうのかえ!?)


 これぞ正しく、時、既に"遅し''。


 只只、驚愕するカミラーの小さな顔に、一切の淀(よど)みなく迫るエヴァ本体の動きに、緩慢のんびりに遅れた影が追い付き、そして舞い降りて来た。


 「ふぁあぁ……もうっ本当メンド臭ぁいなぁー。

 あのね?アントニオが今日のところはまーだあなたを殺しちゃダメって言ってたから、私、今からあなたの手足を斬ってバラバラにしないといけないのよー。

 あー、ヤダヤダ……」

 

 まさに憤懣遣(ふんまんや)る方無しとばかりに言い終えると、口をへの字にして、煌めくフランベルジュの刃を天へと掲げ、その鋭い切先を、ノロノロとカミラーの左の肩口に乗せた。

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