178話 使い魔夜語り

 十数歩ごとに点在する、滑らかな石壁の獣脂ランプに照らされた、なだらかに弧を描いて下りゆく蕭々(しょうしょう)たる地下通路。


 そのヒンヤリと冷たく、それでいて果てしなく続くような地底回廊を往(ゆ)く者が独りあった。


 その者とは、光沢のある目の覚めるようなマリンブルーのコックコートをぴっちりと着込んだ、実に恰幅のよい男性だったが、またその頭髪が変わっていた。


 それというのも、男はめっきり薄くなった三十路の頭というヤツを、頭頂の一掴みを残してサッパリと刈り上げており、その上でてっぺんでチョンマゲを結わえ、そこに実に可愛らしい真っ赤なリボンを1つ着けていた。


 そんな珍妙珍奇なるヘアスタイルの大男が、緑の葡萄酒の六本組みを片手に、ガニ股で以(もっ)てひたすら、ノッシノッシと地下通路を降り往くのであった。


 そうして、いつ終わるとも知れぬ幽玄なる地底世界への探検を続けていたのだが、今、それも完遂を迎えたようである。


 彼の視線の先には、ようやくと大きな堅牢そのものの堂々たる木戸と、そこを守護する雪の色をした獣とが見えてきたのである。


 この地獄の釜の底みたいな最深部に、忽然と現れた怪しい玄関こそは、聖なる都ワイラーの魔法使いギルドの真下に棲まう、大魔導師ロマノ=ゲンズブールの根城のそれであり、また、その愛豹のブリューナクであった。


 そして、そこに威風堂々たる風格、佇まいで以(もっ)て微睡(まどろ)んでいたブリューナクは、煌めく白地に黒の縞も美しい頭部をもたげ、油断なく侵入者へとサファイアのごとき両眼を合わせた。


 そして唐突に、まるで放たれた矢のごとく、まっしぐらにそれへと駆け出したのである。


 白い迅雷。猛然と殺到するそれを、逞しい身体で、ドッカと受け止めたチョンマゲ男だったが、この男こそ、聖都の北区でも随一の洋食の名店。トラットリア"白鳩亭"の店主、アラン=バリスタである。


 彼はじゃれつく雪豹を抱き、その背中をゴシゴシと撫で付け

 「ワッホウ!久し振り!ブリューナク!あなたったら相っ変わらずワンパクな子ねぇ!

 おー、よしよしっ!はーいはいはいっ!」

 その猫科の猛獣の熱い歓迎に破顔した。


 アランはブリューナクからしつこく顔を舐められながらも、木戸の真鍮のドアノッカーを握り、カンカンとそれを鳴らした。


 すると、少しの間があって、扉越しに閂(かんぬき)の流れる音と気配とがして、木戸は開放された。

 そして、室内から溢(あふ)れたる明るい灯火と麝香(ジャコウ)の香り。


 迎え出た人物は、まさしく目眩(めまい)のするような艶然たる毒婦を想わせる、やや丸顔の美貌の持ち主、紫の求道大魔導師ロマノであった。


 「フフフ……こんばんはアラン。さぁどうぞ」

 

 と、身を引いて来客を招くのだが、その身と装いがまた"妖艶"の一語に尽きた。


 女にしては、やや長身ではあるが、決して痩せ過ぎず、また肥り過ぎずの絶妙に程好い肉付きにして、抜けるように白く艶かしい肢体を、極めて面積の狭い、純白薄織の女性用の下着の上下のみで隠していた。


 だが、このどこまでも柔らかなる香水の薫りとも相まって、クラクラとさせられるような淫猥、また狂態といっても少しも過言ではない露出狂的な出で立ちも、客のアランにしてみれば馴れたもの。


 「こんばんは、ロマノちゃん。

 このアラン、使い魔のお招きにより、まかりこしましてございまーす!なぁんてね!

 貴方の葡萄酒には比べるべくもないけれど、一緒に飲もうと思ってホラ、ウチの新作"ドラクロワカミラー"を持ってきたわ」


 紐(ヒモ)でひとつにした六本瓶を掲げて、チョビ髭のいかつい顔でニッコリとした。


 

 それから通された広い室内は、住人の求道者振りを晒すように、四方の壁という壁を高い書棚とし、その床から天井まで、ぎっしりとおびただしい本、本、本、また書とに満たされており、この9坪ほどの部屋の中央の長テーブルの天板さえもが、鋼の枠をした本をモチーフにしたものだった。


 「で、で、どうなの?使い魔さんの定期報告!

 今、ドラちゃんたちはどこでどう活躍してるの!?」


 アランは、もう待ちきれないとばかりに、向かいのロマノ、そして、その隣の席の背もたれにとまる青い鴉(カラス)へと催促した。


 「フフフ……私もあなたと一緒に落ち着いて聴きたかったから、仔細はまだなの。

 じゃあアルゴス、話してちょうだい」


 ロマノは、欲求不満の年増女ならば、一聴で腰から崩れそうな、そんな魅惑的な甘い低音の美声で、濡れたように煌めく鴉に促した。


 さて、その使い魔の黒鳥は、幾度か瞬きをしてから、スウッと羽を広げ、キザな人間みたいに立派なお辞儀を極(き)め

 「カァー。へぇ。それでは遠慮なく報告いたしやす。


 カァー。


 あー、お師匠様のお弟子さんのユリアさんを含む勇者団の御一行様達ですがー、今現在は大陸を南、南へと突き進んでおいでです」

 なんとも人なつっこいような、妙な響きと節回しをもたせた流暢な人語で以て語り出したという。


 「へぇー、南かー。あ、そういえばドラちゃんたち、大陸の最南端のカイリに行くとかなんとか言ってたわね」


 「へぇ、アラン様の仰有るとおりで、カミラー様の真っ黒い馬車の方角からしてそのようです。


 カァー。


 それより旦那、今より少し前にドラクロワ様がおやりなすった、魔王崇拝の街ヴァイスの成敗がスゲエのなんのって、アッシも仰天びっくらこきましたよ、ええ、ええ」


 「ヴァイス?え?なーにソレ?」


 「あー、ご存知ない?へぇ、そのヴァイスってえのがまた、勝手気ままで自堕落な生活をおくってやがる、なんとも"ふてぇ"奴等の大巣窟でありましてー。


 カァカァー。


 奴等ときたら、心(しん)から魔王を崇拝するとかぬかしてやがるんですがー、その実、これといった信仰も思想もねえ、単なる虚無主義のチンピラ博徒でしかねぇときてやがるんでさ。


 カァー。


 で、これにお冠になったドラクロワ様とカミラー様の御両名は、その街の英雄とかいって持て囃(はや)されてるとこの"超越"とかいう、まぁなんとも鼻持ちのならねぇ輩(ヤカラ)共を打ち負かしー、おっと、こいつはカミラー様お一人のお手柄なんですがね。

 ま、奴等自慢の三者三様の闘士共をギッタギタに退治なすった訳でさー。


 カァー。


 そんでもって、ここで真打ちの登場!

 魔、あいやドラクロワ様が為(な)すった御裁(おさば)きってぇのがまた、スゲエのなんのってー、まぁ聞いて腰を抜かしちゃあいけませんよ、御両名!


 カァー。


 まー、アッシも回りくでぇのがまったく好かねぇな質(たち)ですから、さっさと申し上げてぇと思いやすがー。


 カァーカァー。


 えぇと、その御沙汰ってぇのは、それが名物か、はたまたお飾りなんなのか、鴉のアッシにゃちょいと分かりかねますがー、一応魔王崇拝の街ってぇことで、それこそ見上げるよーな真っ黒な魔王像ってのが、その街の真ん中に、ドーンッとばかりにおっ立ってやがりましてー。


 カァー。


 そこへ我等が親方ドラクロワ様が向かわれますってーと、やおら肩を回し始められましてー、その天を衝(つ)くような灯台みてぇな像の面(おもて)をツルリと撫でられましてー。


 カァー。


 そんでもって、ウンウンとばかりに、独りうなずかれました訳でさ。

 そして、まるでこー、弓を引くように右の拳を、グイーッと後ろにお構えなすったんでー。


 カァーカァ。


 アッシはもう、ドラクロワ様が何をどうなされるのか固唾を飲むってヤツですよ!!


 カァッ!!


 そしたらドラクロワ様、ゴツンッ!!いやさ、ガツーンッ!!だったかな?

 そんな具合で巨像の足元を丁々発止(ちょうちょうはっし)と御打ちあそばれたんでさっ!


 カカァー。


 すると、その拳骨がぶち当たったとっから、ピシピシピシピシッピシーッ!!てな具合に、像の全体に向かって黒い稲妻か蜘蛛の巣みてぇにヒビが走りましてー。


 そんで、今度はトドメとばかりに、左の手のひらで以て、ソコんとこをエイヤァッ!!とばかりに張り手為されたんですなぁー。


 ンー。そばで見てたアッシの見立てじゃー、恐らくアリャ、トンッでもねえ法力をお流しあそばされたんじゃねえかと、こう思いやす。ええ、ええ。



 カァーカァー!


 すると、なんとその真っ黒な魔王像。その芯から外側へ一気に膨れるようにして、ンー!ボッカァーン!!と破裂しやがったんでぇっ!!

 

 カァー!カァー!!


 これにゃあアッシも腰を抜かして、びっくら仰天しやした。


 まぁー、さっすがは魔、あいや光の勇者ドラクロワ様だぁっ!!カアァッ!という間に憎(にっく)き魔王の像は木っ端微塵に吹き飛んだって訳でさぁっ!


 いやぁーーー。これにゃあ驚いたのなんのってー、今の今、こうして話してるアッシでさえ、手前(テメェ)の鳥目でみた事が、未だ現実か夢かと首を捻っちまうくれぇでさー。

 

 カァーカァーカァー!!


 ですがね…………。


 いいですか?御両名様……。

 まだなんだ、まだまだドラクロワ様の真におっソロしいのはこっからなんですよっ!!」


 ゴクリ。


 アランの喉が鳴った。

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