158話 銀と銀

 シャンの放った「人の限界など越えろ」とは、無論、銀狼のライカンスロープの獣人深化を発動させることであり、この指揮要請に盤上の小さなシャンは、一度だけ深く首肯し、直ちに大地を蹴って、再度、黒砂へと飛びかかったのである。


 そして、ボッ!と空気を千切りながら、恐るべき速度でそれとすれ違ったかと想うと、またもや激しい剣と剣の打ち合う音が鳴り渡った。


 その猛突撃は凄まじいインパクトで、宝刀の四刀流を胸前に集結させた青い戦士を怯(ひる)ませ、あまつさえ、その猫背を終わらせ、その場で二、三歩のたたらを踏ませたのである。


 だが、この目の覚めるような一撃にも、黒砂の青い肌は無傷そのものであり、この三度目となった剛の剣に、やや圧(お)されはしたものの、その超反応の防御とは依然として鉄壁そのものであった。


 そして、その勢いのまま跳んで、敵の遥か後方に音もなく降り立ったシャンは、すでに皆が見慣れた人の姿から変貌を遂げており、黒砂に背を向けたまま、すっくと立ち上がった。


 その姿とは、高く結った髪が、それを束ねていた紫の編み紐の戒めから解放され、野生馬の黒い鬣(たてがみ)のごとく、後方に流れており、その頭部は銀毛の美しい雌狼のそれであった。


 だが、このシャンの獣人深化とは、所謂(いわゆる)、狼男とか獣(ケダモノ)人間といった、獣性凶猛なる風からはかけ離れ、乱暴野蛮に、モリモリと増強・肥大させられた筋肉によって、深紫のプロテクターじみた、恐ろしくスタイリッシュなレザーアーマーを脹(ふく)らませることもなかった。


 つまり、いかに獣人深化を遂げたとはいえ、シャンは飽くまでスレンダーな美しいシャンのままであり、貫頭型のマスクを下げたその狼の顔も、骨格は小さく、極めて繊細優美な造りであって、むしろ人狼というよりは、聡慧(そうけい)なる叡智(えいち)に充ちた''神獣''然としていた。


 この神々しいまでの佇まいに、ユリアとマリーナ達は「待ってましたっ!」とばかりに手を打って、この滅多に観られぬ仲間の獣人深化に湧いた。


 だが、平伏したままのアンとビスらは、その内に流れる狼犬のライカンの血という血が、盤上の眷属(けんぞく)。その最上位種の銀狼の威光に狂おしくざわめき、少しでも気を抜けば、強制的に同調の獣人深化をさせられそうになるのを、額に珠の汗を浮かべ、歯を食い縛って何とか抑え込んでいた。


 ユリアは陶然としたような顔で、まさにうっとりして

 「はぁ……伝説の銀のウルフマン……。

 あのリンドーの神前組み手大会の決勝戦以来ですね。

 このシャンさんの獣人深化って、とってもキレイなだけじゃなくって、人を遥かに凌駕する身体能力の覚醒に加えて、殆(ほとん)ど不死身といってもいい、驚異の自己修復機能(ヒーリングファクター)付きという……。

 うーん!スッゴい!やっぱりシャンさんはスッゴいですー!!

 エヘヘ、もうこうなったら、この遊戯は勝ったも同然ですよね!?」


 マリーナも、それに間違いなし!とばかりに鷹揚にうなずいて

 「そーだよそーだよ!だってさ、あのお祭り試合でのシャンもスゴかったけど、あれから更にメチャクチャ強くなった今のシャンなら、コリャもう訳分かんないくらいに強いんだろうねぇ!!?

 じゃ、これでめでたく勝ち越しってことで、やっとこさ、あのキレイなドレスが手に入んだね。

 アハッ!早くあれを着て喜ぶカミラーの顔が見たいよー」

 と、息を飲むほど美麗なる純白のドレスと、世にも美しいカミラーとが合体した姿に想いを馳せた。


 これに対戦者席のシャンは油断なく黒砂を見据え

 「だといいがな……」

 と、低く言って、直ぐに黙った。


 無論、この展開にドラコニアンの三姉弟達は驚愕して、太古の昔に滅び絶えた筈の純粋な狼のライカンの存在に、揃って思考を停止させ、後はもう我が目を疑うばかりで、しきりに目を擦っては、美しくお色直しを果たしたミニチュアシャンを凝視するばかりであった。


 「ちょっと……ホンマ……。あんたら、ええ加減にしんさいよー?

 なんねー?次から次に、ホンマ好き勝手人間の枠からはみ出しよってから……」


 「こ、コイツ。やっぱまともな人間じゃなかったか……。

 て、えっ!?おいおい!ちょっと待てよ!!狼のライカンって、それバンパイア達との闘いで滅びたんじゃなかったのかよ!?

 あー!クッソー!!バカみてーに空飛んだり、変身したり、テメーら本当やりたい放題の化け物パーティじゃねーかっ!!」


 「ふーん。ま、まぁちょっとだけびっくりしたよね。

 だ、だけど何が出てきても、結局ボクの黒砂には絶対に、ゼーッタイに敵わないんだからねー」


 確かに獣人深化に度肝を抜かれた、この三名の反応とは、至極当然のモノといえた。


 だが、当の盤上の青い四臂(よんひ)の戦士は、この未曾有(みぞう)の事態にも眉ひとつ動かすことなく、ただ静かに腕を開き、奇妙に湾曲した四刀を構え直しただけであった。


 そこへ突如、ミニチュアシャンが電光の速度で殺到し、悠然と構える青い剣士に凄絶なる抜き打ちを浴びせたのを皮切りに、その一刀ごとに黒砂が仰け反るような、そんな怪力無双の乱れ撃ちを開始したのである。


 だが、その突く、撫で斬る、打ち下ろす、また打ち上げるという、まさしく嵐のごとき怒濤の毒剣乱舞にも、この黒砂は四刀流の変幻自在の妙技で以(もっ)て、見事、それら総ての刃を捌(さば)き切り、遂には反撃の一刀を返すほどに剣の冴えを増して、ミニチュアシャンを仰け反らせたのである。


 その一刀は横殴りにシャンの顔面を撫でたかと想われたが、ミニチュアシャンは頭部を後方に逃がして、見事それを交わした。

 ように見えたその刹那。


 黒砂の下段の両腕の振るう二刀が、ミニチュアシャンの黒革の膝ふたつを薙ぎ払ったのである。

 

 これに骨まで断たれた銀狼の姫は、ドッと荒野に両膝をつき、そこの膝上の横一文字の刀傷から赤黒い鮮血を迸(ほとばし)らせたのである。


 「あらっ!?なんだか逆に斬られちまったよ!?

 うわっ!!結構深くやられたみたいだね……」


 「で、でも大丈夫です!!なんといってもウルフマンには驚異の自己修復機能がありますから!!」

 博識なユリアが、この程度は決定打にならないことを指摘した。


 アンとビスも、シャンとは比べるべくもないほど、遥か下位の劣等種ではあるが、ある程度の自己修復能力を有しており、ミニチュアシャンの膝に刻まれた裂傷からも、直ぐに白い蒸気みたいなのが昇り、皮一枚を残して、殆ど切断に近いこの重傷が嘘のように快復するのを待った。


 果たして、ウルフマンの驚異の修復機能が働き、確かに、ふたつの裂傷からは、ブスブスと蒸気みたいなものが噴出し始めている。


 だが、そこの傷の内部からは、白い湯気みたいなモノと、フツフツ、プチプチと煮え立ったような血の泡が踊っているばかりで、一向に体組織の再形成は成されていないようだった。


 これを見下ろす黒砂は、感情・機微に乏しい彫りの深い美しい顔を僅かに傾け、その修復の工程を観察しているように見えた。



 「えっ!?傷が、な、治らない!?そんな!ウルフマンは心臓を破壊されるか、首をはねられない限りは……。

 ハッ!?もしかして!!?」

 ユリアは165センチのシャンを振り仰いだ。


 そのシャンは上質なトパーズみたいな瞳の目を伏せ

 「うん。あの黒砂とやらの曲刀の材質とは、恐らく銀。

 如何(いか)にウルフマンといえど、銀の剣で斬られてはな」 

 

 「ヒャッハハハハー!!危ねぇ!危ねぇ!

 本物のクソウルフマンと聴いて、こりゃちっと手こずるか?と思ったが、黒砂の剣は硬度はイマイチだが、確かに銀の剣だったな!

 ホラホラ!どーしたどーした!?いつまでも膝ついてねぇで、とっとと立って見せろよ!!あー!?このクソ狼女がよぉ!!」

 メッカワは痙攣する膝を押さえるミニチュアシャンに喚(わめ)いた。


 確かにウルフマンは、しかもそのハイエンドたる銀狼ともなれば、最高水準の神聖治療魔法をさえ凌駕する、凄まじい自己修復能力を誇り、それはなんと、失われた四肢をさえ完全に復元させるほどであった。


 だが、月の力を秘めるとされる鉱物の銀。その高純度なモノとは折り合いが悪く、その刃で傷付けば、その肉は黒く腐食させられてしまうのだった。


 盤上の黒砂は、見下ろした先、そこのミニチュアシャンの血肉が銀毒と熾烈に争い、その傷の修復が遅々として進まないのを認め、やおら荒野に刺していた四刀を抜き、その負傷者にトドメを刺すべく構えた。


 「おのれ!!銀の剣とは!!口惜しや!!」

 「シャン様!!お、お逃げ下さい!!」

 

 このアンとビスの発した声に応えるように、ミニチュアシャンは、ブルブルと小刻みに震える脚に鞭打って、なんと立ち上がったのである。


 その膝の裂傷から未だ、ビュッ!ビュッ!と穢(けが)れた黒血が廃棄されるのを観察する対戦者席のシャンは

 「フフフ……。銀の剣で斬られると、ああまで治りが悪くなるものなのか。

 うん、こいつは思わぬ収穫だ。以後、私自身も気を付けよう」

 たかが遊戯と割り切っているのか、実に泰然自若としたものであった。


 シャンの見立て通り、銀狼にとり、まさしく天敵ともいえる高純度の銀の一撃であったが、それにより自己修復は''遅れる''だけであり、その驚異の復元作用が失われる訳ではなかったのだ。


 こうして、黒砂の気まぐれな騎士道精神か、はたまた好奇心かは全く判然としないが、ともかくそれによって修復の時間を得たミニチュアシャンは、荒野を蹴って後方へと跳びつつ、素早く戦闘長靴の裾(すそ)から引き抜いた鋼鉄の鏢(ひょう)、所謂(いわゆる)棒手裏剣を放った。


 だが、黒砂は左の一刀を額の前に立てた格好でミニチュアシャンに追いすがり、その宝剣で、見事に三本の高速飛来する鏢を弾きつつ、顔同士がぶつかるほどに肉迫したかと想うと、まさしく銀光一閃。

 跳ね上げた右の曲刀で、ミニチュアシャンの左の顔面を縦一文字に切り裂き、その下顎から左の眼球までもを深く斬って割ったのである。  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る