143話 危機管理能力に乏しい
それから数呼吸ほど後、美貌の中年バラキエルの背中からは、魔法画の超作用の終焉(しゅうえん)の証である、あの一掴みの煙塊が、ボワンとねずみ色の茸型(きのこがた)を見せた。
それは五月雨(さみだれ)のごとき、無数のガラス細工の飾りが下がる天井へと昇天しながら、みるみる薄くなってかき消え、それの根元のキャンバス。
そこに円陣を形成した神々しき千手の者等は、その画中の中空にてホバリングをしたまま、ピタリと動きを止め、その恐ろしいほどの美しさ、また慄然(りつぜん)とさせられるような、凄絶なる躍動感と存在感とはそのままに、荘厳なる一枚画となって美男の背を、何とも言えない艶(なまめ)かしさで以(もっ)て、紅く紅く神秘的に飾っていた。
この一連の邪神兵士追撃・撃滅劇に、いつの間にか部屋の奥へと退散していたドラクロワとカミラー、また渦中のバラキエル以外の者達は、その魔法画から放たれた、余りに激しい閃光炸裂に手をかざして、たじろぎ、思わず数歩後退していた。
そして、其々(それぞれ)の視力の回復につれ、皆はバラキエルの刺青から古代妖魔の絵になった姿が完全に消えたのを認め、口々に祝福と称賛の声を上げ始めた。
その歓声等に遠く、部屋の隅っこにて漆黒のマントで顔を覆っていたドラクロワは、眼前まで上げた、濡れ鴉(カラス)のごとき光沢の天鵞絨(ビロード)の下がる腕を下ろすや、パンッ!と手を打ち
「ウム。これで、この街の満月の夜毎の脅威というヤツは完全に滅した。
となれば、後は葡萄(ぶどう)薫る酒宴で決まりだ。
お前達のお見事・天晴れ・万歳などといった、平々凡々なる、どーのこーのは後でゆっくりと聴いてやるから、あーバラキエルとやら、さっさと清潔な部屋にて宴の準備をせぬか」
と、自らの画力は指導役等に決して敵わないこと、また、この妖魔退散方法を思い付いたのが、決して自分の頭脳に非(あら)ず、あの古(いにしえ)の黄金仮面、コーサ=クイーンであり、この件に関しては、何ら自身の威力を発揮できなかった為か、それはそれは、とてつもなく不機嫌な顔と声とでの指示であったという。
こうして男娼の館"フリュース・デュ・マル"は突然の閉館となり、この時分に居合わせた常客・上客等は店から締め出されることと相成ったのである。
そして邪神兵士の体液で汚れた皆は、一旦、逗留(とうりゅう)中の城郭へと戻り、手早く入浴と着替えとを済ませ、再度フリュース・デュ・マルの清潔な広間のごとき客間に通された。
すると、そこは既(すで)に近隣の美味いモノ自慢の名店等から、金に糸目をナンとやらの贅を尽くした珠玉の料理群と酒等がかき集められており、全くドラクロワの所望した通り、所謂(いわゆる)、"酒宴"然としていた。
無論、この宴のホスト役の長とは、決して四十路には見えぬ、艶(なまめ)かしき妖しい美貌のバラキエルであり、また、給仕を務める者達は、色を売るのを生業(なりわい)とする、折り紙つきのこの娼館の美男等が、ズラリ勢揃いであるのを予想出来た為か、ここに再来した女勇者団達の髪の結い方、その身だしなみとは、露骨に常より数段丁寧であり、実に手入れが行き届いていたことをここに筆しておく。
さて、特段聴きたくもない、筋違いの賞賛を浴びるドラクロワがタメ息をつき、白い手を振ってそれらを制すると、小柄なミニスカートみたいなサフラン色の影が、すっくと直立し
「えー、あの、こ、この度はー、この水と芸術の都カデンツァに跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していた古代妖魔が、ドラクロワさんの見事な推理と気転によって倒されー、あの、その、それをしゅ、祝しましての夜会というか、饗宴(きょうえん)というかー、えっと、その……。
あっ!乾杯っ!!」
というユリアによる、いつもながらの下手くそな音頭が取られ、この夜会は漸(ようや)く幕開けの乾杯となったのである。
そうして祝賀・慶事の愉快な会食の中、気取らない軽妙なる乾杯等が重ねられ、直ぐに宴は酣(たけなわ)となり、下戸(げこ)のクセに、しこたま酒を喰らった老人カゲロウが
「いやぁはやぁ、むぅふぅー。
それにつけても、ド、ドラクロワ殿のお陰で、我等の追い続けた二十年来の兇犯者、あの望月魔人が見事討ち取られ、私は、やっと肩の荷が下りる思いですわい。
これで漸(ようや)くやっと、この老いさらばえたカゲロウ=インスマウスも定年の退職を発することが出来るというものです……。
うふふふ……。そ、それもこれも、全ては伝説の光の勇者団、その筆頭であられるドラクロワ殿のお陰でありますぞぉっ!!
ふぅ、想えば数日前に、貴殿等をあの大樹の影にて一目惚れに見初(みそ)め、声を掛けました私の眼に狂いなし!で、ございましたなぁー!!?
いや、はっはっはっ!!うーん!こいつはめでたい!めでたいですなぁーー!」
と、猿のような赤ら顔で、熟柿(じゅくし)の呼気を撒き散らしながら、本日、十数度目の感謝の意を表す街の名士は、なるほど確かに、おめでたかった。
この老人の繰り返しのしつこさには、魔王であるドラクロワも些(いささ)か辟易(えきへき)うんざりとし
「ウム。カゲロウよ、分かった分かった。
それよりだな、この場は折角の酒宴である。となれば、誰ぞ何か、こう愉しげな芸など披露出来るものはないのか?
お前達とは、常より客をもてなすのが生業であろうから、人を魅了するような巧みなる話の術や、そこらにありふれたモノより一味も二味も違う、一風変わった興(きょう)の乗りそうな特技を、ひとさしふたさし持っておるであろう?
あぁ、なんでもよいが、"芸術"に類するモノは禁止とする」
そう言って、老人の額を小気味良く中指で弾いて、オウッ!と席の背もたれに退陣させ、壮麗なる礼装の美男子等に問うたのである。
すると、この場の男娼達は給仕の手を止め、一斉に金糸編みの秀麗なる純白ローブの棟梁(リーダー)を見た。
その豊かな金髪を高く結って、それを無数の翡翠の簪(かんざし)で纏(まと)め上げた、狐神の使いみたいな、何とも不思議な細面の美貌の中年とは、勿論、バラキエル=イグニスタスその人であり、彼は従業員達の視線に蒼い眼を伏せて応え
「フフフ……芸、ですか。
では、大恩ある七大女神様達の第一の使徒たるドラクロワ様のお望みとあらば、誠にお粗末極まりございませんが、ここはひとつ恥を忍んで、不肖(ふしょう)、このバラキエルめが何かやってお見せすることといたしましょう。
そうですね、この私めのお見せできるものと言えば……。
フフフ、私、趣味は統計の採集でございまして、それとカードなどを使いまして、所謂(いわゆる)、"占い"の真似事のような事が少し出来ます。
あの勇者様、先に申しておきますが、これは本当につまらない、誠に児戯(じぎ)に等しきお粗末なモノでございまして……」
と、男の割には繊細な指で、何処から出したか、果てしなく黒に近い深緑のカードを器用に繰り、それで、ザーッとテーブルに扇をつくって見せた。
これに、珍物件好きのユリアが目を円(まる)くして飛び付いたところに、その後方から
「うん?占いの真似事じゃと?
ほう、その紙切れで何をやって見せるというのじゃ?」
と、確かなる好奇に彩られたカミラーの声が飛んだ。
給仕の美男子達は揃って口角を上げ、代表者の特技の披露に喜色を浮かべたようだった。
「はい。今から、ある陣形として並べますこのカードのうちから、直感・無造作に三枚をお選びいただきます。
すると、それによって、その方の赤裸々なる本来のお姿、また、今後何をどう取り組んでゆかれれば良いか等が分かります。
実はこれ、この店を出す折りにも、その立地、外観、働く従業員達の選定など、取捨選択の岐路(きろ)に立つ度に利用して参ったモノにございます。
無論、今あるこの店の繁栄とは、その殆(ほとん)どが七大女神様達のお力と、この店を愛して下さるお客様達のお陰ではございますが……」
と、実に謙虚に述べるバラキエルだったが、確かに、近隣一帯に名の知れたこの大成功者が使ってきたと語ると、このカードの進路予知の能(ちから)の有効性というモノが、俄然、その説得力を増した。
ドラクロワは、興味をそそられた時特有の流星の視線で、テーブルに広げられた艶のある朧炎(おぼろひ)のごとき不思議な紋様の描かれたエメラルドのカードを見下ろし
「ウム。バラキエルよ。前置きはそれくらいでよい。
では早速と、ひとつやって見せろ」
と華奢な白い顎をマリーナへとしゃくって見せたのである。
すると、美貌の女剣士の形のよいブラウンの眉が愉しげに浮いた。
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