142話  バイ菌に消毒

 そうして、忠実なる僕カミラーより、あの数日前の魔法画合戦の折りに使用した、例の深紅の魔法インクの入った四角い瓶と、実に円(まろ)やかな温かみのある、焦げ茶色の木製の握りの高級そうな羽ペンとを受け取ったドラクロワは

 「ウーム……。こういう筋書きは幾らか予想はしていたとはいえ、またもやこの俺が、下らん''絵''などを描かされることになろうとは、な……。

 ウム。甚だ不快ではあるが、なにせこの俺は光の勇者であり、酔狂ながら、一度、望月某(ぼうげつなにがし)を討つ、と言った限りは、どうにもこうにも、これだけは為さねばなるまいな……。

 ん、是非もなし。

 となれば、こんなつまらん座興などは、さっさと手早く済ませてしまうのが一番か……」

 と、何やら強烈に遺憾の面持ちとなり、ブツクサと言いながらも、その両の手に取った二刀流の羽ペン等は、漏らした言とは裏腹に一切の躊躇(ちゅうちょ)・逡巡(しゅんじゅん)の類いを見せず、直ぐ様起動したのである。


 そして、この度も下書きや暖気運転もなく、いきなり疾風迅雷の速度を見せるや、それら二本のペンは、生けるキャンバスとなったバラキエルの背中を駆け抜け、例の独特過ぎる画法。

 ドラクロワ流とでも、魔界流とでも言おうか、それら二本がそれぞれ左右の端から別個に舞い、上下に点描を描き進めたかと思うと、それらはすかさず二本の中指の先で潰され、引き伸ばされ、何かの影の塊として至る所に配置された。


 そして、それらが一通り済むと、また左右から物凄いスピードで、さながら高速プリンターのごとく仕上げの作画が成されてゆくのであった。


 それを心底心配そうに、訝(いぶか)しげに見守るのは、この奇っ怪な創作作業を初見とする金髪の美青年リョウトウ。

 彼は、再び醜怪なる古代妖魔の帰還先と相なった主(あるじ)の事を気遣ってか

 「あの、勇者様?失礼ですが、バラキエルの背に何をなせれておいでですか?

 確かに、先ほどの妖魔はここへと逃げ込んだようですが、それにしても、そこの空いた空間に、今現在、何かを描かれたところで、それが一体何になるというのですか?」

 と、邪神兵士を捕り逃した勇者団の不甲斐なさに口惜しさを感じていたのか、語るうちに幾らか語気を荒げながら、その奇妙キテレツなる作業を睨むのだった。


 だが、恐ろしくつまらなそうな顔で魔法画を描き進めるドラクロワは、そんな狐疑(こぎ)に満ちた声など全く意に介さず、正に蛙の面になんとやらの冷たい無言放置であった。


 が、それに背を預け、託し任せたバラキエルは横顔で微笑み

 「リョウトウ。こちらは、この星の闇を永遠に払う、人類、いえ、全ての善なる者達が永らく待ちわびた、正しく待望久しき伝説の勇者様で在(あ)られるお方なのです。

 ですからドラクロワ様は、きっと我々の考えを遥かに越えた、遠く人知の及ばぬ考察の末にて、この邪を滅する為の術式・戦略を、今ここに敷かれておいでなのでしょう。

 私はそれが何であろうとも、例えそれがこの身が砕くことになろうとも、七大女神様達の第一の使徒であられる、光の勇者ドラクロワ様に全てを委ねるつもりです。

 リョウトウ。あなたもあなたなりに、この私の身を案じてくれたのですね。ありがとう。

 ならばリョウトウ。どうか貴方も祈っていて下さい。

 こちらの光の使者様により、見事、この醜い邪神の配下の滅されんことを……。

 フフフ……。いえ、決して苦痛ではありませんが、少々くすぐったくはありますね。

 しかし、これも今、一時の辛抱です。

正に、これぞ"信仰の試されるやある"ですかね……フフフ……」

 そう言って、ドラクロワの作画を邪魔せぬよう、細面の美しい顔の片目を瞑(つむ)り、その何ともむず痒(かゆ)いような、こそばゆいような、自らの白い背中を駆け巡るペン先の感触を無心・必死で耐えるのであった。


 マリーナ画伯も、その意外に逞しい肉のキャンバスに近寄って、黒革の眼帯の反対、その右の目を、ジッと凝らし

 「フーン、フンフン。おっ!?アタシャ、ピーンときたよ!コリャアレだねー!?

 コイツが、ここの絵の中に逃げちまったからにはさ、同じように絵の中で戦える魔法画の戦士かなんかを描いて、なんとかしてそれに、この変態タコヤローのトドメをささせよーってハラだね?

 でもさでもさ、あのこれってさー、この前のチョー狂暴なアンでもビスでもないよね?

 うんうん。それにドラクロワったらさ、今回は何だか、やたらイッパイ描いてるし。

 これでどーすんの?んで、どーなんの?」

 腕を組みつつ難しい顔になり、ほんの至近距離にて、徐々に形になって行く魔法の画を実に興味深げに、しげしげと観察する。


 その''興味深げ''という1点では全くひけをとらないのが

 「うぉあー!!やったぁー!!

 ドラクロワさんがあれだけ嫌がって、もうあれっきりで完全に封印したかと思ってた、あのスッゴい芸術がまた観られるなんて感激ですー!!

 うーん。相変わらずスッゴい速さで描いちゃうんですねー?

 アレ?本当だ。マリーナさんの言う通り、これって、この間の獣人深化をして暴れた、あの白い凶獣のアンさんでもビスさんでもないんですね……。

 あ、でも……私、何だかこれには見覚えがありますよー?

 えーと、確かぁ……」

 小さな唇に指先を乗せ、必死になって何かを回顧するユリアであった。


 それと同様に、浮き彫られるようにして着実に完成形へと迫る、ドラクロワの描く凄まじく緻密で複雑な肖像達を、自分達のあの狂暴にして、凶暴極まりない分身等ではないと見てとって、何やら、ホッと安堵をする灰銀色のメイド服の二人姉妹であった。

 

 そして、完全なる絶無に消えるという、超越的なる、正しく神業(かみわざ)を披露した故か、今、漸(ようや)くやっとその激しい疲労・消耗の淵(ふち)から這(は)い出たシャンも、その細い首を僅(わず)かに傾(かし)げるようにしてバラキエルの広い背(せな)を眺め

 「うん。そうだな。私もこれ''等''には見覚えがある。

 確か、我々が以前に訪れた、あの寂(さび)れたダスクとかいう町の地下酒場にて、皆で代わる代わる代理格闘遊戯に興じた際に、その小規模な四角い戦場に私が招来したモノのようだな。

 うん、この特徴的な姿形は、あの代理格闘戦士に違いない」

 と、恐ろしく立体的で艶やかな肖像群を端から数えるようにして見据える。


 それは、確かにシャンの言う通り、頭髪が無数の毛玉になるほどに激しい癖があり、それをまるで大きな黒子(ホクロ)のように、その額にも一粒、ポンと戴(いただ)いた、何とも優美で男女の判別のつかぬ、白い清らかな衣を、フワリと纏った、あの燦然(さんぜん)と黄金色に輝く、シャンの代理格闘戦士の肖像であった。


 但し、今回のそれ等は、相変わらず凄まじく神々しくはあるが、決して金色には非(あら)ず、魔法画特有のどうしようもなく深紅の一色である。


 また更に、それは一体には非ず、出前から奥へと遠近法的な拡がりを見せつつ、バラキエルの腰の辺りに平面化して、とぐろを巻く、タコ頭の骨蛇の邪神兵士を、グルリと取り囲むようにして、皆一様に右の手刀を鼻前に掲げた姿勢の立像達が、ざっと見て、二十体は描かれていたのである。


 これを観たカゲロウは、前回の魔法画合戦の時の羊皮紙上から、この度は生ける人の背中という、全く異質なキャンバスの上へと移り変わっても、相変わらず凄まじい存在感と、写実を遥かに、段抜かしで悠々と越えゆく臨場感とを放つ魔界の超芸術に、またもや驚嘆の息を飲み

 「こ、これはまた……独創的に素晴らしい作品ですな……。

 この紅い痩身の群像が、一体、どう、何に働きかけ、こちらのバラキエル殿を救う力を発揮するのかは、皆目分かりません。

 ですが……ですが、そ、それにしても、いやぁ、これはまた恐ろしい程の画力の冴えですな……。

 うぅむむ……。これらの肖像を観ておりますと、何ともいや、こう、つい拝みたくなるような、跪(ひざまず)いて、この素足にすがり付きたくなるような、そういう何とも言えない神聖・厳(おごそ)かな心持ちにさせられるような……。

 いやはや、今回も実に独創的に素晴らしい!!

 これは、お見事!としか言いようがありません、な……」

 と称賛・賛美をする老人の無数の皺(シワ)の刻まれた頬には、その溝に沿って、止めどなく涙の滴が流れ落ちていた。


 この星の主宗教である、七大女神信仰には、偶像を介しての崇拝という概念はなかった。

 だから、彼のこうした肖像を拝したいような心の動きと、その高揚・昂(たかぶ)りといったものは、この老人にして人生初の体験であったという。


 だが、そんな老人の敬虔的感銘などには全く興味がないドラクロワは

 「ウム。だめ押しにと思い、つい少し多めに描いたか。

 

 フン。まぁよい、コイツ等が以前に放った聖光は、代理格闘遊戯の盤上の単なる駒でしかない、夢幻の卑小なる戦士でありながら、少々厄介だったからな。この邪神の配下相手には、正に格好の追撃手であろうと思う。

 フフフ。なにせ、あの光ときたら、この俺すら手を、いや、眼を焼いたからな。

 よしよし。まぁここらで、そろそろ完成ということにしておくか。

 確か、このエルフの魔法のインクとやらは、その珍妙なる動きの発動に指の印が要ったな」

 と、バラキエルを除く皆が、凄絶なる美しさを放つ魔法画に茫然となるのを余所(よそ)に、四角い深紅のインク瓶の口を左の親指で撫でるドラクロワであった。


 そして拇印。


 すると、キャンバスとなる媒体の素材を一切問わぬこの魔法インクは、直ぐにその魔的なる効力を発揮したのである。


 それは例のごとく、ドラクロワの超絶的なる手腕により、極めて滑らかに動き出し、また更に、やはりそれは動作だけには留まらず、二次元の者達に発語・発音をさせたのである。


 その肖像達の織り成す円陣の中央。そこに立つ聖者然とした師団のひとりが、合わせ鏡に映る自身がごとき同胞等を薄目で見渡し

 「あぁ、これはこれは……皆様は、なにやら御同輩とお見受け致します。

 ひい、ふう、みい……おやおやこんなに。これは、なんとも奇妙な事が起こっていますね」

 と、極めて穏やかな声で、次々に動き出すそっくり達に言った。


 その声を聴く者達も揃って僅かにうなずき、この自らの複製集団とも言うべき、唐突なる不可思議な現象を目の当たりにしておきながらも、なんとそれらは、少しも狼狽(うろた)える様子はなかった。


 いや、それどころか、皆がお互いに凛とした慎(つつ)ましい会釈を交わしたかと想うと、実に品位と柔和さとがあいまった、美しいアルカイックスマイルを見せ合っていたという。


 これにバラキエルの僕であるリョウトウは腰を抜かし

 「な、なんだこれは!?バラキエル様の背中の絵が……絵が動いた!?

 しかも、この絵、ま、まさか大陸の言葉を話しているのか!?」

 邪神兵士の体液を吸って、グッショリと濡れた絨毯に、たたらを踏み、喘ぐようにして言った。


 それを自らの肩越しに見るバラキエルの横顔は、幾分不安そうではあったが、直ぐにその両の目は閉じられ、甘受の面持ちとなり、静かに前へと戻った。



 さて、その背中に降臨した真紅の優しげな肖像達は、実に幽玄なる佇(たたず)まいで、互いに何かのやり取りを見せていたが、その内に下方の白い骨の蟠(わだかま)り。

 半年後の復讐を誓い、今、全身全霊で筋骨・臓器・四肢の回復に励む邪神の兵士の姿に注目し始めた。


 そして、誰からともなく

 「おや?これは?」


 「おぉ、これは可哀想に……」


 「おお、何と酷(むご)い姿になっているのでしょう」


 「なんと痛々しい姿でしょうか。

 これは見捨ててはおけませんね?」


 「そうですね。これを救う事こそ、我等をこの場に導きし、毘紐天(びちゅうてん)のご意志なのやも知れません。

 やや?御同輩達、これなる者からは僅かに命の脈を感じますよ?」


 「なんと、確かに……。この者、この様な見るも哀れな姿になっても生きていたのですか。

 ほっ、何ともいじらしいではありませぬか……。

 ではでは、折角ですから、ここは皆で協力し、このお方を癒す事といたしませんか?」

 「あぁ、それは妙案。この方がどんな者でも、こうして弱っている生を拾わねば、我等の在る意味はありません。

 ではでは、我等の持てる法力の総(すべ)てを注ぎ、速やかにこの方を救うことといたしましょう!」

 そうして、これらの癖毛(くせげ)の集団は一斉にうなずくと、静かに両の掌を胸前で合わせた。



 すると、それを合図にするかのごとく、其々(それぞれ)の背後から放射線状に、まるで菊の花のごとくに、千にも届きそうな程の膨大な量の手指ある腕が瞬間的に生えて広がった。


 そうして、光に満ち溢(あふ)れたことの描写か、その垂直の360度に展開した腕群の更に後ろには、やはり放射線状で、炸裂した天空の祭り花火を想わせる、細身の剣のような線棒が、バッと拡がり、それは時計回りに激しく回転を始めたのである。


 そこで、四肢の強化再生に一心不乱のあまり、周囲への注意の低下が見られていた古代妖魔が、今やっと定まらない意識・思考で辺りを見回し、ふと上方を見上げた。


 すると、一切の逃げ場・隙間なく、自らをグルリと取り囲む、怪しげな者達の円陣が見えた。


 その刹那。


 まるで億万のフラッシュを同時に焚(た)いたかのような、そんな眼も眩(くら)むような、彼(か)の魔界の王でさえ焼き焦がした、熾烈(しれつ)なる、これだけは金色の浄化の聖なる光が、優しげなパンチパーマの合掌軍団から一斉に放射された。



 こうして、望月魔人の異名を持つ古代妖魔は、タコそっくりの黄色い目でそれらを見上げ

 「えっ?」

 と言ったきり、

それこそ欠片(かけら)も残さず消え去ったのである。


 合掌。

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