130話 禁断の大聖園

 その女はたった独りで、異界の庭園のごとき景観のただ中に立っていた……。


 このスマートで背の高い女は、恐ろしく美麗なる、最高品質のシルクによるがごとき純白の光沢が煌(きら)めく、壮麗華美なるドレスを弛(ゆる)く身に纏っており、その見事にくびれた、飽くまで薄く、そして細い腰には絢爛(けんらん)たる金色の帯を巻き、傷も汚れもない白い素足で草の大地を踏んでいた。


 そして、その背(せな)を覆う長い髪を振るようにして、少しの優美さもない大風(おおふう)な仕草で辺りを見回し

 「んんー?あれあれー?ここは一体どこだい?

 わわわわわっ!ナンだいアリャ!?  

 っひゃー、おっかしな空の色で目がヘンになりそーだよー。

 アハッ!んにしてもココは、トンでもなくキレーなところだねぇ……」

 女は形のよい眉の辺りに右手を翳(かざ)し、その純黒の瞳の目を白黒させて、全く見覚えのない別世界を見渡すかのように、一見、異様ではありつつも、そのあまりの絶景の素晴らしさに絶賛・感服の声を上げた。


 その昼間の明るい陽射しに輝く、生き生きとした緑の絨毯(じゅうたん)。

 そこに芽吹き、自生する、色とりどりの草花等は、半物質か精巧で緻密なガラス細工のごとき透明感を見せており、まるで夢の中の草原のようであった。


 そして、それらを見下ろす空(そら)の色とは、大地に近い下層部がくすんだ紫であり、それが上部に向かうに従って、段階的なグラデーションを構成しつつ色調を変え、終(しま)いの頂点たる天空は鮮やかな桃色となっており、それは、なるほど確かに、この女が言って溢(こぼ)した通り「おっかしな空の色」であった。


 そして、その恐ろしく風変わりなピンクの天空には、巨大で無幻なる雄壮な白い昼月が、遠大なる距離を置いて"ふたつ"架(か)かっていた。


 更に、その天穹(てんきゅう)の茫漠なる大キャンバスには、幾つかの白い尾を引く彗星の大小が流れているのも見えた。


 そして、この大地に繁茂(はんも)し、蔓延(はびこ)る大樹木群とは、その殆どが極めて色素に乏しい、限り無く白に近い色であり、それらが時折、穢(けが)れなき雪色の木の葉を、ハラハラと落とすその情景とは、まさに幽玄なる至高の大眺望(パノラマ)であり、それらがどこまでもどこまでも蕭蕭(しょうしょう)たる美しさを伴って無限に拡がっていた。


 この静寂閑雅(せいじゃくかんが)なる美しき地に忽然(こつぜん)と降り立った、前述の腰までとどく亜麻色の長い髪をなびかせる美女は、虚静恬淡(きょせいてんたん)としながらも少し歩き、繊細な色ガラスによるモザイクを想わせる、丁寧に織り組まれたかのような造りの不思議な樹木の群生する先の空間から、ふいに聴こえ届いた音の塊に振り向いて

 「ん?なんだ?誰かいるのか?」

 と独り言を洩(も)らして耳を澄まし、幾人かのうら若き少女達を想わせる楽しげなおしゃべりの声音。

 それから、同性の耳にも心地好い、無垢なる笑い声を確かに捉(とら)えて、少しだけ顔を曇らせ、それを露骨な警戒色へと移行させつつ、その優美なる身体を樹木の連なりの間へと忍び込ませた。

 そして、七色の組ガラスみたいな幹のひとつに手を置き、さんざめく声達の方を覗き見ることにした。


 そうして彼女がそこに見たのは、大きな円形の"池"と呼ぶには些(いささ)か大き過ぎる、小規模な湖のごときモノ。

 それから、それに囲まれた銀一色の磨かれた鉄塊のような岩々からなる小島であり、そこに幾人かの女影と思えるモノ達が動いる姿であった。


 女は、一旦、目線を天へと上げ、まるで困惑したような思案顔となった。

 だが、直ぐに前へと向き直り、その小島にて動く生物を熟視・観察することにした。


 その島の情景とは、見れば見るほど異質・異様なモノであり、女は息をするのも忘れ、食い入るようにして、そこの場に見入った。


 先(ま)ず、その静かなる湖だが、それは明らかに陽光反射に因(よ)るものではなく、そこを満たす正体不明なる液体そのモノが金色に燦然(さんぜん)と輝く、文字通り"黄金の湖"であった。


 そして、そこに身体を腰まで浸(ひた)し、あるいは足先を浸(つ)けるのは、"息を呑む"などといった領域を瞬時に段抜かしで駆け登り、通り越し、殆(ほとん)ど感動・戦慄をさせられるほどに、驚愕的に美しい少女達であった。

 

 さて、それらが"異質・異様"である。と言ったのは、そこの銀塊上で寛(くつろ)いでいるかのように見受けられる数名の少女達が、どれもこれも一切の例外なく、一糸纏わぬ完全な裸身であっただけでなく、その美しい身体の胸の乳房。

 それらに通常あるはずの突起がまるでなく、また、彼女達の艶めく華奢な腰の前面。

 そこの腹部に、臍(ヘソ)らしき窪(くぼ)みが全く見当たらないことだった。


 加えてまた、その可憐な肢体(したい)には、美しい頭髪と眉、そして優美なる睫毛(まつげ)以外には、なんの体毛も見受けられなかった。


 「あの裸の娘達……。一体、何者なんだろう?

 うーん。スッゴく綺麗だけど、なんだか人間族じゃないみたい……。

 ハッ!も、もしかして妖魔?それとも妖精族?

 はうぅぅ……。もーっと近くまで行って、じーっくりと観察しまくりたいなぁ……。

 けど、あの娘達……私に気付いたら怖がって何処(どこ)かへ逃げて行っちゃうかも……」

 女はそう呟(つぶや)くように言って、好奇に満ちた熱っぽい視線の先。

 そこで無邪気に戯(たわむ)れる裸身の人外美少女達を、もっとずっと至近距離にて観測(ウォッチング)したい!という衝動的渇望をなんとか抑え、恍惚とした表情のまま、その場で息を殺して眺め続けることにした。


 だがやはり、この女の偽らざる本心としては、もう数歩だけでも前に出て、愉しそうにはしゃぐ彼女達に、あとほんの少しだけ近寄り、彼女達の会話を聴いてみたい!

 であった……。


 しかし、この抑えがたいような強烈な好奇心に揺さぶられし女は、下唇をきつく噛んで思い直す。


 いやいやダメダメッ!

 

 あの、か弱そうな可愛い娘達。余所者(よそもの)の私に気付けば、「キャーッ!」とか叫んで、すっかり怯(おび)えてしまって、それこそ蜘蛛の子を散らすようにして散々になって、あっという間に何処(どこ)かへ消えちゃいそうだもん……。


 うんうん。ここはちょっと冷静になってですねー、もう少しここで様子を見るとしますかねー。


 でも……。

 ううぅー……。あふぁあー!あああぁー!か、彼女達の話している言葉が大陸の公用語かだけでも、それだけでも知りたいですー!


 あっダメだ……。

 

 エヘッ!私、こんなステキなモノに我慢なんてできませーんっ!!

 ハイハイッ!私、只今より、突!撃!いたしまーすっ!!妖精さん達、なんかゴメンねー!

 エッヘヘヘへー!!


 と、この女の"好奇心"という名の制御不可能にして猛烈なる大河の氾濫(はんらん)が、その冷静な思考というダムをいとも容易(たやす)く決壊させたその時。


 突然、岩場の美少女達は、愉しげなおしゃべりを中断し、その華やぐように賑やかだった歓談の声音達は、正しく潮が退(ひ)くようにして静まっていったのである。


 えっ!?この娘達、もしかして警戒してる!!?

 ウソ!?なんでなんで!?私、まだ何にもしてないのにー!!? 


 女がそう思った矢先。

 その美少女達の中では一番ののっぽであり、燃えるような緋色の癖毛(くせげ)の髪を腰まで伸ばした少女が、明らかにこちらに気付いたように、その幼ささえ残る美しい少女の顔を、スーッと女の隠れる大樹へと向けたのである。


 「そこの者。どうやってここに侵入したのです?

 園の門を衛(まも)る者等の眼を盗んで、この泉にまで辿(たど)り着くとは……。

 どうやら、あなたはただの妖魔などではありませんね?

 今、あなたの頭の中には、私のこの声が鳴っているはずです。

 この思念・意思が理解出来る知能があるのなら応(こた)えなさい。

 私達は、訳もなくあなたの命まで獲(と)りはしません。だから恐れず、そこの陰から出て、その姿を見せなさい」

 この背高(せいたか)の赤髪の娘は、若々しき少女の容貌に全く似つかわしくもなく、近寄り難いまでの厳然たる風格を放ちつつ、それと共に冷厳とした思念の一波を放ってきたのである。


 樹木の陰に隠れた部外の闖入(ちんにゅう)女は、大樹に置いた白い手の指先。その爪を、カリリッと幹へと立てて

 「んん?なーんだいあの娘?アタシよりズイブンと若そーだけど、オッソロしくエラソーに言ってくれるじゃない?

 アハッ!よーし!ヤッパリ、コソコソのぞくなんてーのは、このアタシの性に合わないねぇ」

 と、細い腰に両の手を置いて、力強く大地を踏みしめるや、一呼吸ほどそこで威風堂々たる佇(たたず)まいで屹立(きつりつ)したかと想うと、ズイッととも、ノッソリとともつかぬ感じで、実に無造作に樹影から歩み出たのである。


 その歴戦の武将を想わせるかのような、実に勇ましき情調(オーラ)を放つ、亜麻色の髪の女の姿を、正体不明にして凄絶に美しい少女達は、其々(それぞれ)の裸身を一切隠すこともなく、堂々と真正面から捉(とら)えて観取(かんしゅ)した。


 そして、思いきりもよく樹影から現れた、不意の侵入者であるこの女が、そのまま悠然と闊歩(かっぽ)し、ドーナツ型の湖の畔(ほとり)にまで進み出るのを、少しの揺らぎ・恐れ気もなく、その種々様々な色の美しい瞳に映した。


 そして、その中のどちらかといえば、やや筋肉質かと表現できる、金髪のベリーショートの少女が、ニヤリと口角を上げ

 「ふふん……。この生き物。中々にいい面構えをしているなぁ。

 んんんん?この者ぉ……。生意気にも魂に"虚無"を宿しているぞぉ。フフッ!なんだかとっても面白いなぁ。

 んん。この者の形状的特徴から察するに、これは、どこぞの何とかいうあれだぁ……ん、んんん……。

 そうだぁ!そうそうぅ!確か、78枚下の世界。そこの、こーんなに小さな星に棲息する、んん!そうだ!人間族とかいう生物の雌(メス)ではないかぁ?んんん!それに違いなしぃ!

 ふあっはっはっはー!!」

 自らの見立てにうなずき、二つの手と足に、ひとつの頭という、自分とさして変わらぬ構成の人間族の女の身体を、さも興味深げに、しげしげと眺めて言った。


 亜麻色の髪の部外者は、今度はゆったりと腕を組み

 「フフフ……。この私が虚無を、空(くう)を自在に降ろせることを見抜くとはな。

 中々に鋭く、面白い娘(むすめ)だ……。

 うん、お前達に少し訊きたいことがある」

 最前から、話し方と態度が、コロコロと変容するこの女は、悠然・超然としたまま、美少女達の居る銀色岩石の小島へと裸足の足で歩み寄ると、その足の先が黄金の湖の縁に触れた。

 

 それが金色の水面(みなも)に小さな波紋を描いたその瞬間。


 その若い女の足の先から、なんとも言えない爽快感らしきモノが、まさに迅雷(じんらい)の速度でその身体を駆け上り、その清々しい感覚の塊は、眉の間の額にて一旦、蟠(わだかま)ったかと想うと、亜麻色の頭部の中央をモヒカンのごときラインで通り抜け、そのまま後頭部の頚窩(けいか)。

 その盆の窪(ぼんのくぼ)辺りから一気に後方へと抜けた。

 

 「ひゃぁっ!!ななな!なにこれ!!?な、なんなんですかぁー!?」

 と、女はすっとんきょうな声を上げ、その快感的心地よさに驚嘆した。


 女は眉間を撃ち抜かれたように上を向いて、たった今、己(おの)が身体を駆け抜けていった快楽的な衝撃・波動に混乱していた。

 が、その本能が思考よりも早く身体を乗っ取り、支配し、さっきのを更に寄越せ!とばかりに女の身体を勝手に動かし、その足を更に黄金湖の浅瀬へと歩ませたのである。


 そうして、その白い足首を金色に濡らした二歩目からは、まるで恋の嵐がもたらすかのような、そんな陶然(とうぜん)となるような快感に極めて酷似した、なにか胸が、トキンッ!チクリッ!と痛むような、そういったなんとも甘ったるい、ロマンチックな感傷の数千倍は強烈なる、桜色の爆裂的悦楽感の波が押し寄せ、その女の全身を頭のてっぺんから足の指先まで荒れ狂ったのである。


 そして、その快感・多幸感の大波状攻撃は、その脳髄を甘美にして蕩(とろ)けるような愉悦へと墜(おと)しながらも、同時に冷々と冴えさせてゆくのであった。


 「うわわわわっ!!あらまぁー!コリャ頭がどーにかなりそーだよー!!

 ひょぬぅおああああーー!!アッハハハハハーー!!

 ぐうぅおぉぉおーーー!!

 いいい、今すぐ、今すぐ、スッゴい化け物と闘いてぇー!!」

 女は自らの頭を乱暴に抱えるや、それを両の手で引っ掻き回し、襲い来る超絶快楽と超絶覚醒の二激流に、ただただ打ち震え、立ち尽くして咆哮する外(ほか)なかった。


 その狂おしき反応を、極めて透明にして美しい、まるで七色水晶から削り出されたような、どう見ても戦兜(ヘルメット)にしか見えないモノを、さも愛しげに撫でつつ、愉しそうに見下ろす筋肉質の美少女であった。


 「ははは……。なんだぁ?こいつぅ。

 んんん。この泉の水とは、ヘンテコな人間族にとっては、こんなにも鮮烈・激甚(げきじん)な快感をもたらすのかぁ。

 わはははは!!コイツ、面白いし可愛いなぁ。んんん、どうだ?皆で飼うかぁ?

 んん。餌はなにがいいのかな?人間族って何を喰うんだっけぇ?」

 そう躍然(やくぜん)とした上機嫌で言ってのけ、まるで珍しい玩具を観るような、そんな無邪気で愉しげな目で女を見詰め、気に入った!と言わんばかりに、その金色の瞳の眼を潤ませて、その上の金毛の眉を、ウキウキと上げ下げさせた。


 だが、その脇にて、筋肉質な美少女の抱える戦兜と同質な素材を想わせる、究めて透明(クリア)な胴鎧に手を置く、長い碧(あお)の頭髪を一束一束、指先で丁寧に選(よ)り分け、その毛先を水平に切りまくったかのような、そんな異様な髪型をした、眼を伏(ふ)せた美少女が頭(かぶり)を横に振り

 「なりません。確かにこの生物からは、なにやら光属性めいた、究めて微弱なる聖脈を感じないこともありませんが、本来、ここより78もの低下層の世界の生き物が、この癒しの泉に触れること自体が究めて不適当です。

 この弱小なる生物が、なにをどうやってこの大聖園に侵入出来たのかは判然としませんが、今はそんなことより、この生命体を直ぐにでも、元居た在(あ)るべき階層へと還(かえ)してしまうことを推奨します」

 そう毅然(きぜん)としながらも静かに言った。


 この意見に、先の筋肉質な美少女をも含めた残りの六名の美少女達は、少しの時間差もなく、まるで共鳴するかのようにして揃ってほぼ同時に首肯した。


 そして、このやり取りを静観していた、始めの緋色の癖毛が

 「だな。人間族など、もはや誰が担当で、どういう目的で造ったのかさえも忘れたほどの、そんなとるに足らない微生物だ。

 だが、この単純型生物が、78階層を一足飛びに越えるような此度(こたび)のこの現象は、"ままある事よ"とは捨て置けまい。

 だから、この生物を元の階層へと送り還(かえ)すにしても、天部の確かなるモノを随行させて、一応は、この現象の素因・基因を査察させ、再度これが起こらぬよう然(しか)るべき措置を講じさせたいところだな。

 私としては、ラッキオスの二號(にごう)辺りが適任かと思うのだが……それでよいか?」

 そう無感情に六名の美少女達へと訊いて、仲間達の賛同の首肯を認め、依然として白眼を剥いたまま、不可思議なる桃色の天空を仰いでいる亜麻色の長い髪の女を見た。

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