131話 一刀刑戮(いっとうけいりく)

 さて、場面は一転して、料理人・給仕人達はおろか、その店主までもが、一時、強制退店を余儀なくさせられた「水蜜桃(すいみつとう)」へと帰る。


 その薄暗い巨大な擂(す)り鉢(ばち)状の螺旋(らせん)酒場。

 その中腹辺りの宴卓の席上にて、今、無心で演奏弓を振るう暗黒甲冑の貴公子とは、言うまでもなく、光の勇者団、その筆頭であるドラクロワであった。


 しかし、彼が奏する超絶魔導楽器である、この醜怪にして禍々しきブラキオの馬頭琴からは、何の音も発せられてはいなかった。


 だが、彼は目を固く閉じて、その魔器の演奏にのめり込んでいるように見受けられた。


 どうやら、彼の紡(つむ)ぎ出す音とは、人間の可聴領域の外にて響いているらしく、所謂(いわゆる)、弦楽器然とした音色といったモノは少しも聴こえなかった。


 さて、この空間においての摩訶不思議なるモノとは、決してその無幻なるブラキオの音色だけに留まらず、その場に居る観客達さえもが異形と化しており、正しく底知れぬ異次元世界の様相を呈(てい)していたのである。


 その聴衆等の何がどう"異形"かと言うと、それは先ず、光の勇者団の中核をなす構成員であり、ドラクロワの演奏をあれほどまでに切望していたはずのシャン。そしてユリア、マリーナの三名の姿が忽然と消失しており、そこに残っていたのはカミラー、アンとビス。

 それから、この水と芸術の都、カデンツァの顔役であるカゲロウ=インスマウスだけだった。


 さて、ここから先の情景描写とは、何とも筆舌に尽くし難いが、今の彼等の状態を、全くひねりのない、直截簡明(ちょくせつかんめい)に表現するとすれば……それは……。


 "皆(みんな)がいっぱい居る"

 であった。


 これは一体どういうことかと言うと、正しく読んで字の如(ごと)しではあるが、例えばカミラーを例にとれば、そのピンクのゴージャスな盛り髪にフリル満載のロリータファッションという、彼女のいつもの出で立ちであり、世にも美しい女児らしき吸血姫として、この街の特色を過(あやま)たずに受け継いだ、誠、奇抜なデザインの椅子の背もたれに仰け反っており、その目は閉じられ、一見すると昏倒(こんとう)しているか、深い眠りに堕(お)ちているかに見えた。


 確かに、これだけでは、なんら異形とは呼べず、ドラクロワの奏でた超越魔界音楽の素晴らしさにあてられて、聴く者達の感動が限界を越え、遂には気を絶するまでに至ったか。

 と、いったところだが、実際に彼女達に起こった現象とは、決してそんな程度に留(とど)まってはいなかったのである……。


 では、それがどんな事態へと発展していたのかと言うと、そこのカミラーのもたれる席の周り、その付近の床には、同じ格好をした"カミラー達"が、ざっと見て、犇(ひし)めくようにして二十人は横たわっており、席上のカミラーと同じく、極めて美しい寝顔を晒していたのである。


 もしも、ここに覚醒した観察者が居るとすれば、床に折り重なるカミラー達の頭髪の形、また、その小さな身体に纏った装いなどが、席上にて力なく伸びたカミラーと寸分違わずとも、その顔、身体の端々に、微細・微妙なる差異が見受けられる事に気付くであろう。


 それは、あるものは座したカミラーより僅(わず)かにふくよかであり、あるものはほっそりを越えて不健康に窶(やつ)れており、またあるものは、確かに美貌の真魔族であるカミラーに果てしなく似通ってはいるものの、その顔が同じ領域の美しさを備えていつつも、全くの別人、とまではいかずとも、その造型と風合いが明らかに異なっていた。


 また、更に熟視を重ねるならば、その小山となったカミラー達の中に、カミラーファッションを纏った、錻(ブリキ)の人形のような堅固なる金属の皮膚を持つ者、はたまた蛙のような粘膜らしき表皮を晒す者、またカミラーをそのまま巨人化させたような者……。

 更には、フリルのロリータファッションはそのままに、潜水服のごとき大きな金魚鉢を逆さまにしたみたいな、まるでガラス製のような透き通る頭部の内部に、正体不明の液体が満たされており、その中に小さな脳髄と真紅の眼球を漂わせる者等、種々様々なカミラーが集まっていたのである……。


 この奇妙キテレツなる、眠れる"カミラーモドキ"の群は、アンとビス、カゲロウにおおても同様にあり、しかもドラクロワが音のないフレーズを奏でる度に、人型の閃光がそれら四名の脇に煌(きら)めき、その各其々(かくそれぞれ)のモドキが一名、また一名と続々と追加されてゆくではないか。


 そうして、その動かぬ群衆は果てしなく増員を繰り返してゆくのだった……。

 さて、この恐ろしい人間ミスコピーはいつまで続くのであろうか?



 だが、そんな大変事など歯牙にもかけず、それらの中心に在(あ)るドラクロワの演奏は、まだまだ終わらない。

 いや、それどころか彼の額には全身全霊・渾身の演奏を物語るかのように、深い縦皺(たてじわ)が刻まれ、この超不可思議なる、およそこの世のものとは思えない、奇々怪々なる異状現象を巻き起こしている魔界楽曲とは、いよいよ以(もっ)てその佳境(サビ)へと展開いるようであった。


 だが、突然。そのドラクロワの目が開けられ、最高級のアメジストを想わせる紫の美しい瞳がブラキオの指板を睨(にら)んだ。


 その二本の弦を張った馬頭琴の長い首の中央には、白き燐光を放つ、繊細な男の手があてがわれており、明らかにドラクロワの演奏を中止・阻止していたのである。


 流石の魔界の超越音楽の免許皆伝楽士、魔王ドラクロワも、その弦が押さえられては演奏の続行は不可能である。

 勿論、ドラクロワはその手の元を辿(たど)って、そこを睨み上げた。


 その鋭い視線の先には、座乗構えのドラクロワと対面するかのごとく、忽然と現れて屹立(きつりつ)する、二メートルほどの背丈で、白いローブの上に灼熱する鋳銅(ちゅうどう)のように眩(まばゆ)い胸鎧(ブレストプレート)を装備した、分厚く、逞(たくま)しい大きな体躯(たいく)の外側へと波打つような白光を溢れ出させた、長い金髪を真ん中分けにした、恐ろしく美しい男性が居た。


 その男の端正な顔の左半分は、そこの白い肌に、ピッタリと張り付くような、ツルリとした飾り気の全くない、まるでプラチナを想わせるような艶(つや)やかな白金色の仮面で覆われていた。

 

 また、その赤熱した銅にしか見えない鎧の鳩尾(みぞおち)辺りには、掌大の半球に盛り上がった覗き窓のようなモノがあり、その上部の顔にある瞳と同じく、そこからは燃焼するマグネシウムのごとき、乳白色の明滅しては揺らぐような光が放たれていた。


 そしてその男は、見開かれた白光の美しい容(かたち)の双眸(そうぼう)を細く、伏し目がちにして、確(しか)とドラクロワを睥睨(へいげい)していた。


 「魔性蒙昧(ましょうもうまい)なる奏者よ……。

 そなたが何者かは知らぬ。が、そなたの演奏は、今や遍(あまね)く多重世界と次元とを貫き、あまつさえ坑(あな)を開け、その尋常なる営みと運行とを崩壊させつつあり、それらの常態を根幹から狂わせておる……。

 そこに、ここより上層階の者達が零落(れいらく)しておるのがその証である。

 我々天部としては、そなたにこれ以上の厚顔無恥なる演奏の続行を許す訳にはいかぬ。

 よって、今ここに我の保有せし権限を行使し、そなたが二度とこの様な事象を軽々しく齎(もた)らすことのなきよう、この汚れた邪器と共に、そなたを葬ることとす、」

 聖なる光を纏う、自らを"天部"と名乗る神々しき偉丈夫(いじょうふ)は、死刑宣告のごとき威令(いれい)の言葉を続けることは出来なかった。


 なぜなら、対面するドラクロワが魔界伝来の至宝である、SSSクラスの暗黒魔剣"神殺し"で、カミラーを遥かに凌駕するような、正しく目にも止まらぬ神速の抜き打ちを放っており、その漆黒の刃が天部の太い首を刎(は)ね、見事、斬首を果たしていたからだ。


 そして、一呼吸ほどの後、天部の美しい頭部だけが天井を仰ぐようにして、そのまま断ち切られた頸骨(けいこつ)の断面を見せつつ真後ろへと堕(お)ちていった。


 だが、それが床を打つ前に、その半仮面の顔の頭部も、また、究めて剛健そうな首なしの身体も、バオンッ!!という大きな音を立て、白い光の巨大な水飛沫(みずしぶき)となって拡がった。


 そうして、突如噴火した火山の山頂か、水風船が破裂したような形状を見せたまま、そこの空間に固定され、まるで見えないガラスの板に張り付いたように、急速に厚みをなくし、鏡に映したような二次元の波形となった。


 次いでそれは、手品師の掌中のカードか、合わせ鏡の中の無限の群像のごとく、東西方向へと増殖したかと想うと、突如、バーーンッ!!という猛烈な破砕音を轟かせて四方八方へと散らばり、数瞬、薄暗い巨大な酒場を真昼にし、そこでまた半瞬ほど停止して、後は光の破片となって真下の石の床に降り注いだのである。


 そうして直ぐに、その天部を名乗る大男の欠片は石畳の間に吸い込まれるようにして消失した。

 また気付けば、カミラー達のミスコピー等も、元居た階層へと還(かえ)ったか、あれほどに折り重なっていたのが、まるで最初から嘘だったように、忽然と消え失せていたのである。



 「ウム。演奏の中断など、どうでもよいし、むしろ望むところであったが、たかが天部の使いっ走りの三下ごときが、この俺に指図(さしず)をするのだけは赦(ゆる)せん。

 ましてや、この魔王ドラクロワを葬るなどとはな……。

 全く、身の程知らずの戯(ざ)れ言にもほどがある。

 ウム。その由々しき大罪。消滅を以(もっ)て償うがよいわ……」

 そう掃き捨てるかのように言って、悠然と魔剣の納刀を果たしたドラクロワの顔は、光の勇者団達の誰もが見たこともないほどに恐ろしく、そして血も凍るほどに美しくかったという。

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