129話 なんかそういうのが好きらしい

 しばらくして、深く大地を抉(えぐ)りし擂(す)り鉢(ばち)状のこの大酒場。

 「水蜜桃(すいみつとう)」の店主と話をつけたらしい老紳士カゲロウが、実に矍鑠(かくしゃく)たる歩みで以(もっ)て無事、勇者団の囲む宴卓へと戻ってきた。


 どうやら彼は、かなり以前から自警団の視点から診(み)て、この「水蜜桃」の建物の造りが、消防衛生上の種々の問題点を抱えており、全く以て宜(よろ)しくないと思っていたと店主に伝え、本日はその抜き打ちの調査の為に参ったと偽り、ランチタイムの終了時刻まで未だ少しあるものの、本日はそれを繰り上げて幾分早めて欲しい、とかなんとか……。


 こうして、この老猾(ろうかつ)・老獪(ろうかい)なるこの街の顔役は、口先三寸と職権濫用とを巧みに駆使し、そんな、でっち上げもいいところ。

 どう考えても不穏当な、即席の嫌疑までもを建立(こんりゅう)して織り混ぜながら、それこそ半ば脅すような事までして、商売気質に満ちた、商魂たくましい店主をも遂には打ち負かし、結局、どうにかこうにか飲み足らぬ酔い客達をひとり残らず追い出す事に成功したようだった。


 そうして、未練がましく文句を垂れながらも、放蕩(ほうとう)の昼酒を啜(すす)っていた老若男女等は、健全なる陽光の射す店外へと退散させられたのである。


 そして、その最後の一人と入れ替わるようにして現れた、黒髪を高く結った、細身の美々しいレザーアーマーを着込んだ、東洋的な美しさを放つ若い女が、陽光から逃れて洞穴へと帰る蝙蝠のごとく、深紫のスレンダーな美影となって「水蜜桃」内部へと吸い込まれた。


 この、そこそこの距離を往復走破しながらも、息ひとつ毛筋ひとつ乱さぬ女の手には、爬虫類のなめし革のケースに籠(こ)められた一基の弦楽器。

 あのブラキオの馬頭琴が握られていた。


 その頃、店内の光の勇者団のテーブルでは、絵は別にしても、殊(こと)、音楽には全く疎(うと)いカミラーが、手にした主君の葡萄酒の次弾である緑の瓶に、突然、キイッと真珠色の爪を立て、ピンクの盛り髪の前が下がる、陶器のごとき滑らかな白き額に皺(シワ)を寄せ、まるで何か異質なモノを察知したかような、そんな妙な顔付きとなり

 「うん?はてー……?この何処か懐かしいような淡い魂魄(こんぱく)の気配とは……。

 ドラクロワ様。私、なにやら店の入り口方向から、何か、何かただならぬ強者が放つような魔的なる波動を感じまする。

 それと僅かな、言葉になり切らぬ怨嗟(えんさ)のごとき呪詛(じゅそ)のような、亡者のすがるような祈念と申しますか……なんと申しますか……その、うーん……」

 そう、ブツブツと唸(うな)るように呟(つぶや)いて、自らの超感覚の面(おもて)に揺らいだ小径なる波紋。

 その寡少(かしょう)な響きに主君の同感を請うように、そこの美貌を仰ぎ見た。

 が、当のドラクロワは特に何かを察したような風はなく、ただ邪魔くさそうに、顔の横に掛かった、鉛色の雲海のごとき、アッシュ系の薄紫の長い頭髪を脇へと流しているだけであった。


 「ウム。それはだな、ブラキオを借りに駆けたシャンがそろそろ戻る頃だからであろうよ。

 お前は知らぬのかも知れんが、あのブラキオシリーズ。

 それを形成する気色の悪い"素材・資材"とはだな、そのことごとくが、」


 だが、カミラーは、この解説の続きを聴くことは出来なかった。


 「フフフ……待たせたな。さぁドラクロワ。コイツを受け取れ。

 これが、これこそが本物のブラキオだ」

 と、異様に光る眼のシャンが戻って来たのである。


 そして、細長い手を伸ばし、艶(つや)のない黒いソフトケースごと差し出してきた。


 ドラクロワは、別段これといった感慨もなく、その魔器を、ジロリと一瞥(いちべつ)し「ウム。苦しう、ない」と、実物の馬頭琴を目の当たりにして、それが一個の苦々しい刺激的な引金(トリガー)と化し、遠い過去の厳しかった楽器修行時代の記憶が、正しくまざまざと想起(フラッシュバック)させられたか、恐ろしく苦しそうな顔となり、まさに渋々といった感じで、その馬頭琴の長い首を取ったのである。


 そうして、その黒革の包みを解くと、マリーナ達の先刻周知の物体。

 あの毒々しくも禍々しき、極めて悪趣味な置物(オーナメント)のごとき、直下(そそり)立つ黒い棘(とげ)群と、黄白(きいじろ)い硬いイボとにまみれた鮮やかな紫の馬頭琴が、ヌルリともズリルともいわんばかりに出現し、そのおぞましき姿を燭台の灯火に晒(さら)したのである。


 ユリアは、この名器の姿はおろか、それが奏でる妖美なる音色でさえ既知であるはずなのに、この品をまるで初めて目にしたかのように、その愛らしいソバカスの顔に、新鮮で鮮烈なる初々しい感激を現し

 「キャーッ!出たー!!うっわぁっ……。コレ、何度見てもスッゴい迫力ですねー!

 こうしてよくよく眺めて見ると、ちょっと歪(いびつ)ながらも、なんともいえない美しさがあるようにも見えますよねー!?」

 その惚れ惚れとするような感情の色を放つ、潤んだ鳶色の瞳で、少しの遠慮・気負いもなく、超絶珍物件の超稀少なる魔導楽器を舐め回すようにして熟視した。


 マリーナも、アンとビスたちと共にそれを覗き込んで

 「うんうん。アンタの言う通り、シッカリジックリと見るとさー、コレ、見方によっちゃカッコいい、かもねぇ。

 ま、魔戦将軍のアレをアレしてるってのが気ン持ち悪(わり)いけどさー、うんうん。中々にイカツい感じで、なんかこう武器っぽくてカッコいいよねぇー」

 と、実にこの女戦士らしい感想を述べた。


 カゲロウも首を伸ばして前のめりになりつつ、その至高の魔楽器の細部に至るまで、ギョロギョロとした老いた目を必死に這(は)わせ、そして凝らし

 「うーむ。これはまた稀少なる絶品にございますなぁ。

 うむむむむ、コレこそ実に独創的であり、尚かつ、なにやらこう……鬼気迫るというか、邪気溢(あふ)れるというか……。

 はぁー……。我々、美術商の人間からいわせると、所謂(いわゆる)ひとつの"闇モノ"というヤツですなぁ。

 いやぁ!これはちょっと値もつかない程の素晴らしい逸品ですぞぉっ!?

 私、益々以て、このブラキオの放つ音色が気になって参りました!えぇえぇ!」

 そう言って、それを抱えた魔界奏者の白い渋面へと老眼を移した。


 このただならぬドス黒い気配と瘴気を放つような馬頭琴を、何気無く暗黒甲冑の膝上に乗せたドラクロワは、不本意を表す深いタメ息をつき、その艶めく馬頭琴の調律を開始することにした。


 「ウム。この気色の悪い独特の色艶(いろつや)から察するに、この者はキナワオの拠点を落とされし敗戦の将。

 元魔戦将軍ガニドレの亡骸か……。

 ウム。ガニドレよ、よく聴け。

 我の名は"ドラクロワ"。今これより、お前のげにも騒がしき惨めなる魂を鎮(ちん)してくれん。

 直ちに哭(な)くのを止め、先ずは調律を果たせ……」

 と、決して見詰める乙女達と老人にではなく、紛れもなく自らの手元。

 そこで異様に暗い気焔(きえん)と鬼気とを放つ鮮やかな紫色の器。

 その極めて強靭にして強堅なる魔導楽器へ向け、まさに命ずるようにして語りかけたのである。


 すると……その艶やかなボディの表面。

 そこに無数に点在する、各イボの先端から生えた、虎の髭(ひげ)のごとき微細なる剛毛らが逆立ち、そして蠢(うごめ)いた。


 そして、その頭(かしら)の上部。

 そこに穿(うが)たれた、二弦の音程の調律をするための"弦軸"と呼ばれる、ギターなどでいう"ペグ"にあたる杭のようなモノが、ゆっくりと、ギギ……キキキ……コココ……と、奇怪な音を立てて勝手に旋回し、弦を巻き取り、或(ある)いは弛(ゆる)め、自らを調律(チューニング)し始めたのである。


 このなんとも妖しく、不気味で奇々怪々なる超現象に、皆は揃って目を剥き、サァーッと血の気が引くのを覚え、あまつさえ淡い吐き気すら催(もよお)したという。


 しかし幸いなことに、その何処か哀しげでいて、いっそ目を背けたくなるような、観る者をなんとも、ゾーッとさせるような、誠、心胆(しんたん)を寒(さむ)からしめられるような酷く気味の悪い儀式は長くは続かず、あれよあれよと言う間に、その自動式(オートマチック)の調律は完了したようだった。


 「な、なんということだ。流石は我々光の勇者団の筆頭(リーダー)ドラクロワ。といったところか……。

 まさか、死してから経年久しい、切り刻まれ加工品にさえ堕(お)ちた、彼(か)の魔戦将軍の乾いた骸(むくろ)が、その命令に服従するとは……な。

 ドラクロワよ。お前は一体何者だ?

 お前はまさか、あの魔界を統べる絶対王者。

 悪の大凶なる冥王極星、あの七大女神様達すら不可侵なる闇の大天守に住まう、あの魔王かなにかか?」

 シャンは唸るようにしてドラクロワを詩的に表現し、目の前の暗黒甲冑の貴公子を、なにかとてつもなく恐ろしいモノでも見るかのように眺め、その大英雄的・大教祖的な闇色のカリスマ力(りょく)に戦慄した。が

 「なんてな。その、まぁなんだ、光の勇者の善なる力に、骸内に僅かに残っていた悪の残滓(ざんし)が恐れをなして、それが幾らか反応しただけ。といったところか……フフフ……」

 と、頼んでもないのに、ドラクロワにとって実に都合のよい、手前勝手な落ちをつけてくれた。


 ドラクロワは淡い紫色の唇を固く結び、渋面でそれを聞き流していた。

 だが、シャンの放った前半の件(くだり)で、途端にその冷厳なる相好を崩し

 「なに?この俺が、悪の大凶なる冥王極星、だとぉ?

 フフフ……フフフフフ……フハッ、フハハハハ!!アッーハッハッハー!!

 待て待てシャンよ、言うに事欠いて、よもや七大女神達さえ不可侵とはのう!!

 ハハハハハッ!!ムッハハハハッー!!

 これこれシャンよ、滅多なことを言うでない!!フハハハハー!!

 うんうん。うーんうんうん!この俺をその様な華美なる言葉で以て飾りたくなるその気持ち。全く分からんでもないっ!!

 フフフフフ……まぁまぁ現実の俺とは、一介の光の勇者団の頭目でしかないのだがなぁ。

 フハハハハ!!アッーハッハッハー!!

 んあー、これは久し振りに笑った笑った!!

 よーしよしよし!ではなぁ、お前達の望。驚嘆すべき真の音楽の能(ちから)とやらを、この絶対魔器なるブラキオで以て聴かせてやるとするかー?

 ウム。カミラーよ。お前も確(しか)と聴いたか?フハハハハ!この俺が大凶冥王極星だとよ。

 ムホホホホッ!!ウム。この絶妙なる語感と響き。中々に格好がよいとは思わぬか?」

 魔王は欲しかった久し振りの賞賛に酔いしれ、神妙なる顔付きの家臣へと訊いた。


 その問いかけに、忠心なるカミラーは当然、世にも美しい女児のごとき顔(かんばせ)を、キッと引き締めるや

 「はっ!これぞ正しくドラクロワ様にドン!ピシャなる表現にござりまするっ!!

 この、しんねりむっつり、じめっと地味暗のナメクジ娘にしては傑作にござりまする!

 うーむ!これは秀逸!!

 ですが、こうして木霊(こだま)し、ただただ流れ消え行く言の葉のままにしておくには余りに勿体がのうございます!!

 さすれば、私のここに、こうして筆しておきまするっ!!」

 と、先の羽ペンを手に取り、左の手の袖口。

 そこのフリルの袖を、グリグリグーッと肘まで捲(まく)り上げたかと思うと、その青い静脈の透ける、小さな白い前腕の面(おもて)に"大凶冥王極星ドラクロワ様万歳!!"と手早く書き込んだのである。


 さて、その情熱的・猛烈狂信的な崇拝行為を

 「これこれ、カミラーよ。なーにもそこまでせんでもよいわぁ。

 全く、このうつけめがぁー」

 と、満足気に見下ろした御満悦のドラクロワが、いよいよ満を持して、その手に演奏弓を取ったのである。

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