128話 壮大な前振り

 中座をしていたユリアが、なぜだか極限まで気配を殺しつつ、ソロリソロリと化粧室を出た頃。

 光の勇者団のテーブルには、既(すで)に皆の注文した飲み物が届いており、酒宴の仕切り直しがなされているところであった。


 飲み物と料理を提供・配膳しに来た極彩色の給仕服を纏った、メタリックオレンジのアイシャドーに、鮮やかなグリーンの付け睫毛(まつげ)の女は、ドラクロワ達が囲むテーブル中央。

 そこの恐ろしげな熊の手が描かれた羊皮紙に目を落としていた。


 それに気付いたドラクロワは、遠い過去に絵の指導員達により、可能な限り、人前では描かないように、と言い渡された指示を意識してか、実に俊敏な動きでその羊皮紙へと手を伸ばし、真上から握り込むようにして、クシャッ、グシャグシャ……と、それを乱暴に丸め、給仕女の手のプラッター(ぼん)に放り「捨てておけ」と冷淡に言った。


 「お、おふぉ……」これはなんと勿体無い事を!!と続けようとしたカゲロウ老士であったが。

 (独創的に愛らしい美人画なら、私財の全てをはたいてでも買い取ろうと思ったが、流石に血塗れの猛獣の腕の画ときてはな……)

 と、思い直し、つい妙な声を出してしまったのを取り繕うような咳払いして、ばつが悪そうに座り直した。


 シャンは新たな蒼いカクテルのグラスを回しつつ

 「しかしドラクロワ。お前という男は何処(どこ)まで凄いのだ……。

 確かに私は漁師町の田舎出であり、たいへんな世間知らずではあろうが、それを差し引いたとしても、あんなに凄い絵は見たことも聴いたこともなかった。

 うん。つかぬことを訊くが、お前が言う、その徹底的に叩き込まれるようにして施された芸術・美術学というのには、絵のみならず、楽器の演奏等の"音楽"というモノも含まれていたのか?」

 そう尋ねて、限り無く黒に近い、深紫に染めたロングブーツの足元。

 そこの茶に白斑(しろぶち)の革袋へと手を伸ばした。


 その物品とは、例の「ダゴンの巣窟」で超絶的魔作用を見せた"ブラキオシリーズ"とは比べるべくもないが、非常に完成度の高い、あの弦楽器。

 2本弦仕様の馬頭琴(ばとうきん)が、柔らかな鹿革にくるまれて眠っていたのである。


 ドラクロワは苦手な芸術のお代わりを求められそうであることを機敏に察知して、口一杯に頬張った苦虫達を噛み潰したような、恐ろしい渋面となり

 「ん?ウ、ム。絵と同様、"一応"の免許皆伝である」

 と、まるで掃き捨てるように言った。


 そして、アンからの「あの、ユリア様。大丈夫ですか?」に「えっ!?な、何が!?何のことですか!?」と惚(とぼ)けるユリアの顔を眺め

 「ウム。そういえば、先程お前は乾杯の折り、"ブラキオシリーズ"との邂逅がどうのこうのと申しておったな?

 お前達が買い物をして来たという、エルフが店主を務める某(なにがし)かに、あの高名なブラキオが在(あ)ったのか?」

 流石は魔界の王。やはり、名器・魔器ブラキオの事は既知のものであるようだった。


 シャンはユリアが答えるよりも早く

 「そうだ。流石はドラクロワ。やはり知っていたか。

 うん。私はその店で彼(か)の高名なブラキオシリーズ。その馬頭琴をこの手に取り、実際に試奏した。

 そして、皆の協力もあって、人を一人、現世に蘇らせて来たのだ」

 特段、自慢する風もなく、ただの事件・事象の提示。

 それを無味乾燥かつ端的に済ませるところが、なんともこの女らしかった。


 これにドラクロワは、皆がなんとか聞き取れる程の小さな唸(うな)りを洩(も)らし

 「ウム。あのブラキオを使役出来たか。ではシャンよ。お前はそれなりに、猿のひとつ上の人間並みには楽器を演奏できるという訳か」

 そう語るドラクロワの紫水晶のごとき美しい瞳は、ほんの僅かだが、他者を認めるような色と光を放っていた。


 だが、このドラクロワの口の悪さに、ついユリアは「さ、猿のひとつ上?」と呟(つぶ)き、「ダゴンの巣窟」の地下にて自分が聴いた、シャンの腕前がどんなにか素晴らしかったかを説明し、彼女を強く擁護したい気持ちに駆られた。

 が、先のドラクロワが披露した絶大なる超画力を思い出し「うーん……」と呻(うめ)いただけであった。


 だが、そういう、翻(ひるがえ)って物事を推し測る事や、冷静に思考する、という事が全く出来ない者も居た。


 「さ、猿ー!?今さ、アンタ、シャンのこと猿っつったのかい!?

 ちょっと待ちなよー!!いっくらなんでもそりゃちょっと言い過ぎなんじゃないかい!?

 大体さー、アンタ、シャンの演奏聴いたことないだろ!?ホンットスッゴいんだからねー!?」

 と、親友の名誉のために立ち上がり、あまつさえ激昂する女戦士がここに居た。


 しかし、それを止めたのは誰あろう、シャン本人であった。


 「マリーナ。ありがとう。だが、それくらいで止めてくれ。

 ドラクロワが、あれ程の画を描けるようになるまでには、きっと我々の考えうる領域を遥かに越えた、それこそ血が滲(にじ)むどころか、血尿が出るほどの鍛練がいった筈(ハズ)だ。

 私にも一掴みの自尊心はある。だが、ドラクロワがあの画の水準で楽器演奏も"免許皆伝"を修めているとくれば、これはもう私ごときでは到底敵うまい。

 それとなマリーナ、ドラクロワが私に言ったのは、正確には"猿"ではなく、猿のひとつ上だ」

 正しくこの女らしく、一片の驕(おご)りなく、ある種冷酷とさえ言えるほどの考察力で以て、己の立ち位置を精察していた。


 その言葉にうなずくカミラーは、小さな顔の脇のピンクの巻き毛を、優雅に指先で丸めながら

 「ま、そういうことじゃ。これ無駄乳よ。ちゃんと他人(ひと)の話を細部に至るまできちんと聴かんかい。

 ドラクロワ様はシャンを確(しか)と、"人間並み"とお認め下さったのじゃぞ。

 それを全く、後先考えずバカみたいに吠えおって。あとな、猿はお前じゃ」


 「ムキーッ!!」

 と、一声喚(わめ)いて、マリーナは悔し紛れにエールジョッキに吸い付いた。


 ドラクロワはシャンの手元の鹿革の包みを眺めつつ

 「ウム。その大きさからすると、その中身は馬頭琴、辺りか。

 そうだな。俺も馬頭琴は習った。俺の馬頭琴指導員のひとりは、件(くだん)のブラキオ本人であったからな。

 無論、ブラキオの銘(めい)は知っておるとかどうとかいう、そういうレベルではないのだ。

 それでな、」

 と続けようとしたところに、ツッコミが入った。


 「えー!?何言ってるんですかー?ちょっとドラクロワさん?

 "大斧の戦士ブラキオ"は何百年も前に活躍した人ですよー!?

 そんな児童書とか教科書に出で来るような大昔の人が、ドラクロワさんが子供の頃に生きている訳ないじゃないですか!!ましてや楽器の指導をしてくれただなんてー。

 もー、真面目な顔して、そんな子供でも笑えないような、変な冗談を言うのは止めて下さいよー!」


 ドラクロワを魔界の王と知らず、ブラキオが英雄としての名誉と立場を追われ、人間を止めて魔族として転生をしたことを知らぬ者としては、この指摘は至極尤(しごくもっと)もなモノであった。


 戦慄したカミラーが凝視するドラクロワは、ピタリと二秒程固まっていたが

 「ウム。あぁ。説明が足りなんだな。

 それはな、つまり、そのブラキオとはブラキオの血を引く子孫の者であってな。先祖の始祖・開祖たる"大斧の戦士ブラキオ"を大変に誇りに思い、敬っておってな。


 自身も大ブラキオには敵わぬまでも楽器を扱う職人であり、卓越した演奏者であったのだ。


 その男の余りの先祖かぶれ振りに、当家では父をはじめこの俺も、奴のことはブラキオと呼ばわっておったのよ。


 まぁ、そんなことより話を戻そうか……。

 そのブラキオを含めた指導役達が、楽器道の入門者の俺に勝手に掲げた最初の目標が、粗悪・安価でありふれた只の馬頭琴で、ブラキオシリーズ並の魔性の音を出せ、というものだったのだ。


 お前達としては周知であろうが、ある水準以上の演奏力を持つものが、彼(か)のブラキオシリーズを奏でる時、その近くに立つ者を、遥か彼方の時空へと転送させるという、そんな摩訶不思議なる超魔導的効果を発動させる程に、超越的なる魅惑の音色を出せるという。


 だがな、本来そんな作用とは、名器ブラキオが、つい吐き出だした、自らを奏でた者に対して顕(あらわ)した、ギリギリ及第点の証しと、でもいおうか、ほんの副産物でしかないのだ。


 ではブラキオとはなんだ?となるが。

 ブラキオとは、単に恐ろしく完成度の高い至高の楽器のシリーズであり、それゆえに未熟な素人でも、ある一定以上の水準の演奏をしたとき、魔導的作用をさえ引き起こしてしまう"だけ"である。


 だから、本来の音楽の持つ能(ちから)である、ありとあらゆる時空と、幾層からもなる多重世界の全域とを貫き、そして震わせるまでに美しい音色を響かせるということ。

 それがブラキオを使えば、凡百の楽器よりも遥かに容易である。

 と、それだけでしかないのだ」


 つまり、ドラクロワの言わんとしていることとは、ブラキオを手にして、その超魔導的作用を発動させて満足している辺りでは、奏者としては初歩も初歩。

 本来、音楽の能(ちから)には、もっとずっとずっとその先が有る。というのだった。


 しかも、その超越的なる至高の音を、どんなにお粗末な、劣悪なる品質の楽器でも出せねばならない。というのが、自分の受けてきた楽器演奏修行の第一歩であったという。

 そして、"一応"免許皆伝の彼にはそれが出来る、というのだ。


 このドラクロワの超音楽論を正確に理解したのは、僅かにシャン、ユリア。

 それからカゲロウ老士だけであったという。


 「ウム。俺の本意としては馬頭琴など二度と触れたくもないのだが、ここまで話しておいて、ここで俺が"弾かん"と言えば、お前達は今宵、女部屋にてこの俺の話を、よくもあんな出鱈目の与太話を……と嘲笑(わら)うであろうから、ここはひとつ苦渋の我慢というやつをして、その馬頭琴。弾いてみせてやるか……。

 シャンよ。さっさとそれを寄越せ。それからカゲロウよ。お前はこの都の自警団を束ねる、言わば"顔役"のようなものであったな。

 では、その権限で以(もっ)て、今すぐ、この酒場の人払いをしろ。

 俺の演奏を聴きたければな……」

 

 カゲロウ=インスマウスは、急所を突かれたがごとく、目を剥き、ガクガクと痙攣するようにうなずき

 「す、直ぐに!!」

 と、言い残して、それこそ腰掛けていた椅子を蹴飛ばすようにして、脱兎のごとくキッチンと会計所のある方角へと駆け出した。


 そしてそれを見送ったシャンが、スッと席から立ち上がり、怪訝な顔の仲間達に向かい

 「うん。ドラクロワがそこまでやってくれると言うのなら、私はその音を最高の状態で聴きたい。

 となれば、私は今からダゴンの巣窟へと戻り、あの店主殿から魔器ブラキオを借りてこよう。

 直ぐに戻る……」

 と、そう言い残し、カゲロウを追うように歩み出した。 

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