120話 感無量であります

 「はぁっ?"めいたんてい"ですと!?」


 と素っ頓狂(とんきょう)な声で聞き返す、意味不明の淵(ふち)に浸(ひた)る老人、カゲロウを捨て置き、またもやカミラーから新たな葡萄酒の瓶を受け取り、尖った爪での栓抜きを極(き)め、ラッパ飲みにて葡萄に耽溺(たんでき)するドラクロワであった。

 

 それから程なくして、ユリアの人物探知魔法によって、この「水蜜桃」を探り当てた女勇者達が同席に参列した。


 カミラーは、その歩み寄る美しい乙女達を眺めている内に、ボーッと追憶(ノスタルジア)の顔となり、その脳内で何かが、カチャーンッ!と繋がり

 「んんっ!?この無駄乳と低知能娘、雑種犬の姉妹から幽(かす)かに漂うこの臭い……。

 そうかっ!思い出したぞよ!あの時のニンニクガキ娘等は、お前達じゃったか!

 うぬれぃ!なぜ?なぜに今日の今日まで忘れておったか!?」

 と、復讐に燃える瞳を爛々(らんらん)と輝かせ、親の仇を見付けたように、憎々しげに歯噛みをした。


 半裸の美しい12頭身を惜し気もなく晒すマリーナと、ミニスカート状態のローブ姿、その愛らしいユリアとは、周りの酔客達から下品な口笛と声援とを浴びた。


 それに、何だかよく分からないが、ひどく愛想よく深紅の指ぬきグローブの手を振るマリーナであった。


 「ふーん。ココは、えらくデッカイ酒場だねぇ。

 アハッ!あの店から結構歩いたから暑くなっちまったねー!

 よーし!早速、キンッキンに冷えたエールを、ガンッガン頼んじゃおうかねー!?」

 と、伸ばした長い腕の手を振って、極彩色の斑(まだら)模様のメイド服で、顔面には前衛的過ぎる、ひどく濃いメイクを施した給仕女を呼び寄せて、皆の好みの飲み物と、何かの無念を晴らすかのように、この店の人気料理をメニューの端から端まで、まとめて山盛りに頼んだ。


 それにカミラーが、ドラクロワのお気に入りのカデンツァ銘の葡萄酒を数本、付け足そうとしたが

 「ゴメン!今の葡萄酒は無しにしてっ!」

 と、マリーナがそれをキャンセルした。


 そうなると無論、怪訝な顔で口を尖らせ、猛口撃を放たんとする、美しい女児にしか見えない女バンパイアだったが、マリーナはそれに、ニッコリと微笑み

 「わーた!わーた!カミラーちょい待ち!聞いて聞いて!!

 あのねー、ドラクロワ。この間の代理格闘ゲームでは、アンタが一番だったね!おめでとうー!!

 アハッ!だから、お祝いにコレ、貰(もら)ってきたよー!」

 と、足元の革の鞄から銀のインゴット(四角い塊)みたいな、20×30㎝位の銀箔のケースを取り出し、オレンジのテーブルクロスの中央に置いた。


 その銀の表面には、なにやら神聖語の羅列があり、それにドラクロワが僅かに首を伸ばし、魔族としては唾棄(だき)・嫌忌(けんき)すべき、独特な文字体に目を走らせると、その瞳孔はみるみる丸くなった。


 そこには「神聖酒・聖オーギュスト」と銘打たれていたのである。


 この聖(セント)オーギュストとは、少し前に死没した聖人で、ワイラーの欲にまみれた神官等とは真逆で異なり、一辺の穢(けが)れもなき、七大女神達の敬虔なる信奉者として、清貧と清廉(せいれん)、品行方正の一生とを全うし、多くの信者達から"究極にして最後の聖人"との呼び声も高い者であった。


 このオーギュストは巡回神父として働く旁(かたわら)、素晴らしき葡萄酒の醸造家・技術者としても非常に高名であり、彼の帰属する教会の所有する畑から生まれた作品とは、正しく七大女神達の祝福を受けているとしか思えないほどに、毎年が傑作(マグナム)に次ぐ傑作であった。


 それは、天井知らずに味の向上を続ける"奇跡の名酒"と呼ばれ、いつしか単なる嗜好品の枠を越え、それを飲む者達の重篤(じゅうとく)なる病や、悪霊憑(あくりょうつ)きをさえ癒した。


 だが、なにより称えられたのは、その絶妙なる味わいであり、それを飲んだ畏(おそ)れを知らぬ酒好き達に

 「ここまでの味は、彼(か)の天界の天部にも造れないだろう」

 と、挙(こぞ)っていわしめた、正しく名酒中の名酒であった。


 そうして、この聖酒オーギュストは、次第に競売にかけられるようになり、彼はそれで得た莫大な利益から、次作の醸造の為に必要な経費だけを引き、残りの全てを恵まれない、貧しき者達の為に寄付したという。


 そうした功績が、何時(いつ)しか教皇の耳にも届き、聖なる雫(しずく)オーギュストは法王庁にも公に認められ、年に七度ある王都で開催される、七大女神達の式典で捧げられる聖酒は、彼醸造の物でなければ務まらないとされ、それはそれは大いに重用された。


 だが、その神がかった葡萄酒造りの名手オーギュストも、十数年前に逝去(せいきょ)し、その清らかで絶品なる葡萄酒の製法は、生前より共に働いた弟子の者等に受け継がれた。


 だが、女神達の祝福はオーギュスト僧の魂と共に天へと還(かえ)ったか、本家本元の"オーギュスト"の味には遠く及ばないとされ、それが絶えてから当分の年月が経った現在、それは正しく"幻の神酒"とまで言われていた。


 だがそれが、ここにあるのだ。

 勿論、その出所とは「ダゴンの巣窟」であり、最愛の人と自らの半生とを救ってもらったオーズが、その恩に報いる為に謹んで進呈した品々の一つであった。


 マリーナは、その銀箔の木箱を、トントンと長い指の先で叩き

 「アハッ!葡萄酒大好きのドラクロワさん?

 どーだい?たーまんないだろ?

 アンタさ、この有名なオクトパスは飲んだことあるかい?

 まぁ、まず、ないだろうねぇー。なんたってコイツは、あの聖人の造った、マジモンのホンモノなんだよ!?ホン!モノ!アハッ!」

 そう言って、それをカミラーとドラクロワの前に、一直線に押し出した。


 二人はなんとか、ギョッ!となるのを堪(こら)え、神酒オーギュストを見下ろした。


 それというのも、この聖オーギュストとは、女神達から寵愛を授かったオーギュスト本人から聖別され、特別に清められた酒であり、一般的な僧侶の清めた聖水とは比べ物にならない程の清浄能力を持っていた。


 その強力な悪霊さえも瞬時に四散させる、超越的に秀でた退魔能力たるや凄まじく、先程まで無造作にテーブルに手を置いていた魔族の二人が、その銀のインゴットみたいなものから迸(ほとばし)る、聖なる波動に骨まで響く激痛を覚え、バッと肘を浮かせた程の代物であった。


 魔族とは強力に成れば成る程、神聖属性を帯びたモノが有効であり、その最たる者である真魔族のカミラー、魔界の王たるドラクロワにとって、この聖なる美酒とは、人間にとっての剥き出しの輝くプルトニウムであり、致命的な放射性物質にあたる危険なモノであった。


 ユリアも銀箱のオーギュストを見下ろし、その珍物件に恍惚となって、涎(ヨダレ)を拭(ぬぐ)うような仕種(しぐさ)をし

 「エヘヘー、それはですねー。なんと私達、あるお店で偶然、とーっても困ってた店主さんを助けちゃって、そのお礼にってことで頂いたんですよー。

 店主さんも一生懸命に考えてくれて、ドラクロワさんが光の勇者で、しかも大の葡萄酒好きなら、もうアレコレ言う前に、どうしても飲んでもらいたい、最高にお奨めの一本!ってことで、大きなお店にたった一本だけしか残ってなかったのを、特別に贈ってくれたんですよー!?

 あー、何て素晴らしいんでしょー!!

 こんな千載一遇のミラクルスーパーチャンス!もう本当に有り得ないですよねー!?

 ウフフ……折角だから普段お酒を飲まない私も、ちょーっとだけ、味見をさせて下さいね!?」

 

 勿論これには、マリーナ・シャンからの「ダメッ!!ゼッタイ!!」という、即座の鬼気迫るような却下が為(な)された。


 さて、カミラーとドラクロワの喉が、ゴクリッと、違う意味で鳴った脇で、その名品・銘品に片眼鏡(モノクル)を凝(こ)らすカゲロウは

 「ほうほう。これがアノ……いやいや、これは独創的に素晴らしい!!

 まさかの葡萄酒の最高峰がお出ましとは……。

 いやいやー、こうなりますと、自信たっぷりにカデンツァを振る舞った私は、何だか気恥ずかしくなって参りますわい。

 しかし、本物の聖オーギュストとは……。参りました。

 確かオーギュストとは、もはや酒というよりも、七大女神様達の祝福が、そのまま実体化・抽出されたがごとき、独創的なる特異聖物であるといわれております。

 ドラクロワ殿!これは魔王討伐に向けてのこの上なき餞(はなむけ)でございまぞ!?

 ではでは、この店の最高級のグラスを持ってこさせましょう!!

 いやはや、これは独創的に、とんでもないことになったぞぉ!」

 


 こうして、テーブルには女勇者達と従者等の飲み物群。それから最高級のクリスタルグラスとが出揃い、早速、死の試飲会となった。


 「えーとっ。あー、さっきのブラキオシリーズとの数奇なる出会いとぉー。

 あー、そっ!残念にもマリーナさんが食べ逃した、あの天上の大ご馳走の意趣返(いしゅがえ)し、えー、ならびにー、それからそれからー。

 あっ!何よりも、あの代理格闘遊戯にて、輝かしい栄冠を勝ち取ったドラクロワさんを祝しまして……えぇと、その、あの……。

 あっ!乾杯!!」

 いつもながら、ユリアによる、下手くそでたどたどしい乾杯の挨拶がとられ、皆はグラスをぶつけ合った。


 しかし、ドラクロワとカミラーはまんじりともせず、膝上の掌を握ったり開いたりとさせ、その視線を所在なく漂わせていた。


 二名の真魔族は、特に甘味を大の不得手とするドラクロワでさえもが、この店イチオシの「年代ものの酒に合う」と評判のキャンディを仲良く頬張り、それを、コロコロ、カロカロとさせるばかりで、クリスタルグラスには触れようともしない。


 当然、皆の奇異の目を惹くこととなり、その中でも強い酒を好むシャンが、乾杯の始発のブルーカクテル、その水晶玉の上部をカットしたような口広のグラスを置き

 「どうしたドラクロワ?皆、お前が喜ぶ顔を早く見たくて、小走りに駆けって来たんだぞ?

 早速、グーッとやって感想を聴かせてやれ」

 魔族の気も知らないで、その華奢な顎をドラクロワの前のクリスタルにしゃくった。


 だが、魔王は左手の甲で薄紫の唇を押さえ、恐ろしい渋面で

 「ウ、ウム。それはそうとだな、先程ユリアが言及した、ブラキオシリーズなのだがな……」

 懸命・必死に話を逸(そ)らし、処刑を先に延ばそうとした。


 が、マリーナがエール霧の混じっていそうな、大きなゲップをして

 「ん?ドラクロワ。アンタなーに言ってんだい?

 ブラジャーシリーズのことなんか、今はどーでもいいだろ?

 その葡萄酒はさ、もう大陸のドコをどー探しても二度と出てこない、最後の一瓶なんだよ?

 アンタの大好きな葡萄酒なのに、なーに遠慮してんのさ?

 取り合えずさ、グーッと飲んでみなよー!!グーッとさぁ!

 アハッ!早く早くっー!」


 黄色いアブサンで唇を湿らせたアンも

 「ドラクロワ様、どうなされました?

 まさか今日に限って、さっき下げられた数本でご満足された訳ではないですよね?

 あぁ、もしや、皆様からの唐突なる真心の籠(こも)った贈り物に、思わず胸が一杯に成られておいでですか?」

 プラチナカラーのボブの妹は、手前勝手な解釈をして、あまつさえ、そのブルーグレイの目に涙を溜(た)めてみせた。


 マリーナも、への字口で深々とうなずき

 「そっかそっかー!イワユルひとつの感極(かんきわ)まったってーヤツかい?

 アハッ!鉄仮面のアンタがそんな風にオセンチになるとはねぇ!

 コリャ、オーズさんに感謝だね!アハッ!」

 

 ここでカミラーが、意を決したような顔で手前のクリスタルを手に取り

 「ええーい!聖人などなにするものぞ!!

 で、では不肖、私カミラーが先に参ります!!

 ドラクロワ様!短い間でございましたが、誠にお世話になりました!!

 これより、この盃(さかずき)で、この私は消滅するやも知れませぬが!!これより先、出来うれば時々、時々で構いませぬ!

 このラヴド=カミラーという者が居(お)ったな。と、ふと思い出して下されば、それだけで私の一生は報われまする!!

 では、お先に!!」

 そうして、仲間の女勇者達が呆(ほう)けて鼻白(はなじろ)む中、この不死王女すら融(と)かす、ルビー色の死液を口にしようとした。が


 「待てぃ!主より先に消滅する家臣がおるか!!

 この盃、お前に先に飲ませては、この俺の名が泣くわ!!

 カミラーよ!このドラクロワの気骨気概(きこつきがい)を確(しか)と目に焼き付けいっ!!」

 なんと魔王は、手近な皿から宝石のようなキャンディを一掴みにし、それを一気に頬張り、人間にとっての濃硫酸を遥かに越える、深紅の超絶危険物を手に取り、一気に口へと運び、しめやかにクリスタルグラスを干したのである。


 魔王ドラクロワは、即座にそれを飲み込んでしまおうと目論(もくろ)んでいた。

 が、魔族の身体からの本能的拒絶反応か、喉の奥が込み上げてきて、断じてその嚥下(えんか)を許さないのだった。


 聖酒は、内部浄化・破壊を阻(はば)まれたことに抗議するがごとく、魔王の膨らんだ頬の内部を容赦なく焼き、それに赤熱した石炭を含ませたように、瞬時に肉が焼け焦げるような猛烈な熱さと激烈なる痛み、それから脳髄に直に体当たりするかのようにして炸裂する、嘔吐・嫌悪・虚脱感の塊みたいなもので、ドラクロワの全身を同時多発的に、くまなく撃ったのである。 


 「ンンッ!!」


 思わず唸(うな)ったドラクロワは、その歯を食い縛るが、それらは皆、台座である顎の骨から抜け、口内のキャンディと混じり合い、カチャカチャ、コロコロと哀しく鳴った。


 この頬を膨らませて死の痛みに堪(た)える様とは、一流のソムリエが神妙な顔つきで、ワインのテイスティングに必死になっているような姿に見えない事もなかった。


 ドラクロワは猛虎のような目付きで、空のクリスタルを睨み付け、何とかオーギュストを飲み込んだ。


 だが、溶け朽ちて蕩(とろ)けた舌と、根扱(ねこ)ぎにされた白い歯達と、きらびやかなキャンディ達との混合物は、食道、次いで胃とを焼きながら降りて行き、魔王は、ほぼ白眼になってそれに堪えてた。


 そうして、まさに死に物狂いで、何とかそれらを強靭な臓腑(ぞうふ)へと送り込んだのである。


 だが、神酒オーギュストは、ドラクロワの体内で、荒れ狂う神聖なる激流となって暴れに暴れ、禍々しき暗黒色の甲冑の中を明るく照らすほどに、その骨を真っ赤に焼いたのである。


 それらが漸(ようや)く峠を越えて斜陽(しゃよう)となり、徐々に鎮(しず)まってゆき、口中で新たな舌と歯列とが生み出されるのを感じながら、スウッと目を開いた魔王だった。


 そこに数杯のエールで、スッカリ上機嫌になったマリーナが、珠の汗をかいた白い美貌を覗き込むようにして

 「どう?どう?どうっ?

 ヤッパリ、ソレッてサイコーッ!だったかい!?」

 魔族の気も知らないで、無遠慮に感想を求めてきたので。


 ドラクロワは新鮮な空気を腹一杯に吸い込み、鼻腔、口腔から淡い煙を立ち昇らせながら


 「ウム。死ぬほど美味かった」


 と、短くコメントしたという。 

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