121話 だから、初めからそういうのを出しなさい
勿論(もちろん)ユリアには、ドラクロワの洩(も)らした感想が、命懸けの試飲の末に吐いた、"強烈な皮肉"であることには気付かなかった。
ので、アンとビス達と一緒になって、パチパチ!ワーッ!と拍手をして、心底嬉しそうに無邪気な喝采を上げ
「ワーイ!やーりましたぁー!!
あの虚無主義者(ニヒリスト)みたいなドラクロワさんが、死ぬほど美味かった、だってー!!
ワーイ!ワーイ!!これはスッゴい!!スッゴい事ですよー!!」
胸前に広げた小さな両掌を、同じ姿勢のライカンの姉妹等の掌と打ち合わせ、サプライズ(罰ゲーム)の大成功に沸いた。
カミラーは、ドラクロワの決死の乾杯に、茫然自失(ぼうぜんじしつ)としていたが、突然、渾渾(こんこん)と溢(あふ)れ出す涙を拭いもせず、座席から飛び降りて、そこの床にて平伏し
「ドラクロワ様……。み、見事!誠、お見事にございますっ!!
その死をも恐れぬ気概に、今、私は激しく心打たれましてござりまする!!
これより改めて、ドラクロワ様に付き従う第一の者として、この一生を捧げることを誓います!!」
と、魔王崇拝の信仰心も新たに、真摯(しんし)なる宣誓を済ませたカミラーは、人目もはばからず、その場でおいおいと泣きじゃくったのである。
この余りに場違いなる渾身の大賞賛に、女勇者達とその従者二名、またカゲロウをも完全に言葉をなくし、正しく二の句が継(つ)げずにいた。
マリーナは鼻の下をだらしなく伸ばして、わざとらしいくらいに呆(ほう)けた顔を作って、激情の女バンパイアを見下ろしていた。
「ねぇねぇカミラー。アンタさ、幾らなんでも、そりゃちょーっと大げさ過ぎやしないかい?
確かにソレ、スッゴく寝かせた古い酒だって言うからさ、アタシも、カビの味がしたり、トンでもなく酸っぱくなってたらどうしよー?って心配したけどさー。
それにしたってアンタ、そーんなに泣かなくったっていいんじゃない?
アハッ!でも、あの鉄仮面のドラクロワが死ぬほど気に入ってくれて、先ずは一安心だねー!
ウンウン!メデタシ、メデタシ、とー」
先ほどの奇抜なメイド服の給仕女に、極限まで泡を切ってくれ、と指示した通り、その最上部まで擦(す)り切り一杯に泡なしで注がれた、新たなエールで満たされたジョッキを手に取り、鋼鉄のすね当てまでも深紅にカラーリングされた、ロングブーツの長い脚を組み替えた。
さて、稀酒、聖オーギュストだが
「ウム……。確かに死ぬほど美味いが、それゆえに直ぐに飽きる味だな」
と、ドラクロワが続きを辞退・遠慮したので、残りはアンとビス、シャンとマリーナ、それから、この街の自警団を指揮するカゲロウにまで振る舞われ、あっと言う間に空になった。
すると、最高級のクリスタルグラスを干してテーブルに置いたシャン、マリーナの両名は、揃って感じ入ったように、其々(それぞれ)の目を固く閉じ、深々と席に沈んだ。
そして二人は偏頭痛に堪(た)えるような険しい顔をしていたが、直ぐにその目が開き、
その双眸(そうぼう)からは明らかに反射ではない、瞳の色さえ判別できないほどの自発的な発光が見られ、その身体の表面と輪郭とは、光属性の彼女達の産まれた瞬間のごとく、清らかな白光を噴いたのである。
その奇怪でありながらも、どこか神々しき変貌に、周りの席の者達も騒然となったが、その眼光・燐光は直ぐに収束した。
席上で腰を折って、膝に肘をついたマリーナは、悪酔いしたみたいに、身体の割りに小さな頭を抱えて
「ふぁー。な、なんだコレ?コ、コレってさ……。
うー、うん!何だかスッゴくチカラが湧いてくるねぇ!!」
バッと顔を上げたマリーナは、サファイアの青い瞳の目玉をひん剥いて武者震いし、自らの左腕の先、そこの握り拳を固めては緩め、固めては緩めを繰り返す。
そうして、全身に漲(みなぎ)り渡る、まるでニトロ燃料を満タンに注ぎ込まれたがごとき、猛烈なる聖属性のエネルギー燃焼に、ただただ戦慄(わなな)いていた。
シャンも、上質なトパーズみたいな目を忙(せわ)しなくしばたかせ、そのスレンダーな身体に注ぎ込まれた、竿立ちになって跳ねる野生馬のごとき、生き生きとしたエネルギーの炸裂に打ち震えている。
ユリアは心配そうな顔で二名を見ていたが
「マリーナさん?シャンさん?あの、大丈夫ですか?
二人とも何だか純白の炎に包まれたような、とっても聖なる波動に満ちてますー!
さ、流石は神酒オーギュストですね!二人の聖属性にメッチャクチャ磨きがかかってますー!
スゴい!こ、これは私も飲んでみたいですー!
あ、もうないのか……。うぅ、残念……無念ですぅ……」
小さく薄い肩を落として、神酒オーギュストの四角い空瓶と、干されたクリスタルグラス達とを見て、ひどく長いタメ息をついた。
ドラクロワも害虫を見るような目で、マリーナ、シャンを見つめ
「ウム。これが神酒オーギュスト、か。
なるほど。確かにこれは、単なる酒の域を大きく凌駕しておるな。
ウム。そう言えば先ほどから、この俺にも聖なる波動と大いなる活力が満ちておるわ(大嘘)。
フフフ……ユリアよ。お前も飲んでおれば、同様に神聖強化をされたやも知れんな……」
と、いけしゃあしゃあと言って、ユリアの落胆と後悔とを煽(あお)り立て、余計な拍車をかけた。
だが、シャンはユリアの肩に、そっと優しく手を置き
「ユリア、そう落ち込むな。
確かに、ある程度の力の高まりを感じぬ訳でもないが、モノが酒(モノ)だけに、これも一時の刹那的なもので、酒の酔いと同じく、そのうちに朝霧のように醒(さ)めてしまうことだろう。
それよりユリア。ドラクロワに渡すモノがまだあっただろう?」
慈母のごとき穏やかな声音で、最もらしく気持ちのやり場・逃げ場とを作ってやると、萎(しお)れたユリアは、渋々といった感じでうなずきつつ、自らの足元を、ゴソゴソとやり、ある一つの物体を取り出した。
それはどこからどう見ても、ドラゴン等が潜(ひそ)む、遠大なる地下迷宮の果てにて、無数の金貨を絨毯(じゅうたん)に、そこに極めて魅惑的に据え置かれているかのような、あの頑丈そうな"宝箱"であった。
が、ユリアが取り出したのは、一般的なモノに比べ、とても小さく、この小柄な女魔法賢者の片手の掌にも乗りそうな、そんな赤い宝箱(トレジャーボックス)であった。
ドラクロワは、あれこれと比較検討した末にやっと購入した、割りと高めのシャンプー・洗濯洗剤が、帰宅してよくよく確認すると、それらが紛(まご)うことなきトリートメント・柔軟剤だったのに気付いたときのような、そんな猛烈に不快そうな顔で、その鋼鉄製らしき工芸品を見下ろし
「うん?今度はなんだ?次はどんなモノで俺を苦しめ、いや喜ばせようというのだ?」
その最高級のアメジストのような瞳には、素晴らしく巧緻(こうち)な造りのメタリックレッドの小箱が、開けたが最後、破滅的な災厄ばかりが飛び出す、あの禁断の箱のごとくに映っていた。
ユリアは、この珍物件の解説にあたるに際し、いきなり上気のアクセルをベタ踏みにし
「はいはいっ!!これはですねー!!」
と、鼻息も荒く、さも得意気に言いながら、そのミニチュア宝箱の上部を掴んで、パコッとそれを開封すると、その中には美しい水色の玉が、まるで開かれた真珠貝のごとく、ワインレッドの天鵞絨(ビロード)の座に固定され、誇らしげに一個だけ鎮座していた。
半透明のそれは、真冬の湖面のように美しい、澄んだ宝石にしか見えなかった。
「はい出ましたー!!これはですねー!
ドラクロワさんにうってつけの飴玉(キャンディ)でしてー、なんでも、この飴が口にある間は強力な魔法作用が働いてー、その人物を英雄(ヒーロー)にしてくれるらしいんですよ!
どうやらこれは、古代の上級(ハイ)エルフ族が創った至宝らしいです!!
ねねね!?ドラクロワさんにピッタリでしょー!?」
ユリアはそれを両掌で、グーっと箱ごと魔王の前に押し出した。
ドラクロワは恐ろしく怪訝な顔のまま、それを覗き込み
「ん?コイツで俺が英雄に、成れるだとぉ?
ユリアよ、待て待て。既にこの俺は伝説の光の勇者であり、間違いなくこの星の大英雄ではないか?
それに、これが俺に"うってつけ"というのも全くもって意味が分からん。
ウム。確かに、この玉から感じる魔導波は……無論、俺が扱うモノほどではないにしろ、随分と高等なる、尋常ならざる上位魔法のそれだ。
ウム。俺としては寧(むし)ろ、この物品より、これを創った者と会って話がしたい位だ」
ユリアは魔法使いとして、自らの師を越えて遥かに尊敬する、このドラクロワの所見に、危うく恍惚となるところであった。
だが、蜂蜜色の小さな頭を振って、ビチビチと三つ編みで顔を打ち、なんとか陶酔感を追っ払い、肩掛け鞄から羊皮紙を引っ張り出して、それを広げ
「いけないいけない!ブルブルブルッ!!えーと、あのですねー。これを贈ってくれたオーズさんが添えて下さった説明書きに依(よ)りますとー。
えー……。
『この粒(つぶ)を口にせし者、尋常一様(じんじょういちよう)なる時世(ときよ)を越え、より助力を求めし弱者の前に、快刀乱麻(かいとうらんま)断つ英雄となるべく顕(あらわ)れん。
斯(か)くて然(しか)る後、その者の働き如何(いかん)に依りて、死の顎門(あぎと)より拾われし弱者の捧げし賛美賞賛たるや、夢満開にして愉悦享楽なること、これ言うに及ばず』
(意訳:この飴玉を口にすると、あなたは助けを求める人の元に送られます。
そこで首尾よくその者を助けることが出来たなら、きっと身の毛もよだつほどに素晴らしい賞賛を浴びることとなるでしょう。
good luck!!)
うん!なんかそういう言い伝えが有るらしいです。
ちなみにこの飴。今ドラクロワさんが食べちゃっても、蓋を閉めて十年もすれば、また新しいモノがこの台座上に生成されて、それが二個、三個と増えたりすることはないものの、決して失われる事はないようです。
どーですか?エヘヘ、十年に一度の大チャンスですよー!?」
とユリアが言い終わらぬ内に、魔王ドラクロワは、亜光速の乙女剣士カミラーでさえもかくやという神速で動き、そのアクアマリンのごとき美しい飴玉を摘まむや、即座にその口へと放り込んだのである。
そう、彼にとって、ユリアが朗読した効能書きは、余りに魅惑的に過ぎたのである。
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