119話 満月の鎌鼬

 ドラクロワとカミラーの両名が、この水と芸術の都、カデンツァの老いた顔役である、カゲロウ=インスマウスに先導されてやって来たのは「水蜜桃(すいみつとう)」という名の巨大な酒場だった。


 勿論(もちろん)、この大型の飲食店は豪奢(ごうしゃ)な宿泊施設付きであり、ドラクロワ達が案内された地下は、無数の客席とテーブルとが囲む、段々畑を想わせるような層をなした、大規模な擂(す)り鉢型(ばちがた)を形成しており、その一番下には芝居や舞踊、演奏を披露するためのステージがあった。


 この円形のホール然とした酒場には、昼日中というのに、自堕落と放蕩(ほうとう)、けじめのない不健康な酔酒、そしてなにより芸術を愛する、派手派手しく着飾った老若男女、それから男か女か判然としない者達とで殆(ほとん)ど満席状態であった。


 カゲロウは座席に着くや先(ま)ず、強(し)いて、それこそ手を引くようにして、ここに誘っておきながら、自らがほぼ下戸(酒が飲めない体質)であることをドラクロワに詫(わ)びた。


 そして、安からぬ気配のここカデンツァの銘がつく葡萄酒を、次から次へと矢継ぎ早にオーダーし、それを端から順に干してゆくドラクロワの酒ザル(底無しの意)振りに、目を丸くした。


 「いやぁ、ドラクロワ殿。貴殿は鬼(オーガ)も顔負けにお強いですなぁ。

 このいっぱいに頼んだ葡萄酒が、一体、その細いお体のどこに入って、どう消えてゆくのか、誠に不可思議な位です。

 うふふふ。余り酒の飲めぬ老いた私でも、見ていて気持ちが良い程の飲みっぷり!

 これはこれは独創的に、ちょっと見たことのない程の酒豪様ですなー。

 で、如何(いかが)ですかな?カデンツァの独創的な葡萄酒は?」

 既(すで)にドラクロワが空にした、十本に届きそうな瓶を惚惚(ほれぼれ)と眺めつつ、地酒の感想を訊(き)いた。


 ドラクロワは並の人間族とは出来が違うのか、短時間での大量飲酒にも関わらず、居住(いず)まいも、白い美貌も少しも崩さないで、豪華な地下殿堂・神殿のごとき、壮麗な石造りの巨大な擂り鉢の四角い底を睨んでいたが、あっさりと老紳士の方を向いた。

 

 「ウム。悪くないな。少し前にオイラーだかワイラーだかいう街で、人間、いや味の分からぬ奴等には勿体無い程の物を飲んだが、それを"正統派の味"と位置付けるならば、ここのモノは異端・邪道を極めたる味というか……。

 一種、暴れ馬のごとき独特のクセのようなモノがあるにはある。

 が、それが巧く、お前の好きな"独創的"というやつに高まり、絶妙な味に仕上がっておるな。

 ウム。悪くはない」


 そう冷淡に語る主君の声に、上部の尖った小さな耳をそばだてて、その微弱なる抑揚から、少なからぬ上機嫌なる機微(きび)を拾い、同じく嬉々とするカミラーであった。


 だが突然、頭痛持ちのような顔をして、毛細血管の透けるような白い顔、その純白の眉根を寄せ

 「んん?あの三色馬鹿団子共。なにか、とんでもない悪さをしおったな?

 僅かじゃが、なにやら世界の相が波立ち、動きよる気配がするわ……」

 と独り、囁(ささ)くように呻(うめ)いた。


 これに全く感知する訳もないカゲロウは、ドラクロワの感想に気を良くし、片眼鏡(モノクル)の奥の人の良さそうな目を細め、ニッコリと口角とバネ髭を上げ、急に少し声を潜(ひそ)め

 「それはそれは大変結構にございますなぁ。

 数ある名店の中から、独創的な此方(こちら)をご紹介し、お招きした甲斐があったというものにございます。

 先ほど拝見させて頂きましたが、大陸王の認可勲章の証す通り、ドラクロワ殿は彼(か)の有名な光の勇者様であられ、えー、魔王討伐の旅の途中でいらっしゃいましたな……」

 

 ドラクロワは、その圧(お)し殺したような、独特な他聞(たぶん)をはばかるような声音と、老人特有の臭(くさ)い呼気とに紫の目を細め

 「カゲロウとやら。くどくどとした前置きはよいから、初対面の俺を高値の酒でもてなし、露骨に機嫌を取らんとする、その意図を申せ。

 俺は光の勇者だ。そのように、持って回った言い方をされずとも、少々の仕事なら応じてやる。

 ウム。もしや、お前が先に申しておった"怪事件"というやつの解決に俺の力を欲しておるのか?」

 最下層のステージで繰り広げられたる、ドロドロ系の略奪愛がテーマらしき歌劇、その主演らしき女歌手が、血塗れの模造刀を腹に突き立てられ、細い身を捩(よじ)りながら高い声で唄うのを、キッと睨みながら言った。


 室内でもシルクハットを取らぬ老紳士は、やや芝居がかった表情で、わざとらしく仰天したように、腹前で小さな万歳をさえして見せ

 「うーん。参りました!流石は勇者殿、見事なご明察!

 これはこれは勇者殿にお気を遣わせてしまい、誠に申し訳ございません。

 では、遠慮なく……語らせて頂きます。

 えぇと、その"怪事件"申しますのは、この一見陽気で、乱痴気(らんちき)な爛(ただ)れた街、カデンツァにございますが、かなりの昔から、ある"闇"を抱えておりましてな。

 それは満月の夜だけに繰り返される、誠、怪奇なる事件にございまして、俗に言う"辻斬(つじぎ)り"という凶行に悩まされ続けております」


 赤と黒の縦縞の両肩をすくめてタメ息を洩(も)らし、さも厄介事に困惑している風を漂わせ、外して束(たば)ね置いた黒革の手袋の上に、輝石(きせき)に飾られた、白い指毛の生えた老いた手を乗せて、ワシャワシャ、イライラとさせた。


 ドラクロワ用の葡萄酒の次弾を抱えたカミラーは、それに怪訝な顔をし

 「ツジギリ?辻斬りとな?そんな犯行日時の明白なモノ等は、お前の手足である、自警団を特別配備して引捕らえるか、さもなくば、公式に王都に援助を要請すれば、難なく片付く話ではないのかえ?」

 

 自警団長の老人は(そうそう、それそれ)と人差し指を立て、美麗な彫りの入ったグラスで水を飲み

 「はい、我々もその凶漢(ホシ)を捕らえようと、早二十年にもなりましょうか……。

 それこそ血の滲(にじ)むような、懸命で徹底的な捜査・追跡を行って参りました。


 が、奴め、あぁ我々は満月の夜のみの犯行者ということで、"望月魔人(ぼうげつまじん)"と呼んでおります。


 この者。なんと申しますやら、一応、便宜上は辻斬りとは申しますが、未だかつて人殺しの類いはやっておりません。


 どういう事かと申しますと、彼奴奴(きゃつめ)、満月の夜の婦女子の一人歩きに、月夜の川に流したインクのごとく、漆黒の濃密なる影のようにして、音もなく忍び寄り、先ず足元を掬(すく)い、つんのめった所を鋭利なる刃物でもって、その胸元の真ん中をバッテンに切り裂くらしいのです。


 が、独創的な魔法か何かを使うのか、その切り口というのは、瞬時にして縫合されるように、瞬く間に完璧に接合されるらしいのです……。


 最初は夜遊び女達の狂言かとも思ったのですが、彼女達被害者曰(いわ)く、鋼の兇刃が柔らかな皮膚と鎖骨、肋骨とを断絶・切り裂く時の灼熱を思わせる激痛などというものを、まざまざと訴えてきますし、なにより現場には女達の撒き散らした胸の悪くなるような血潮が、裂かれた着衣の切れはし等と共に、赤い水溜まりとなって残っておるのです。


 つまり、その望月魔人とは、思う様に人を斬っておきながら、その刃で女体の切れ味と血とを楽しむと、婦人等をひどい貧血にはさせますが、水際立った治癒・快復の術を振るい、それらを無傷に戻してから、生かして帰すのです。


 となれば、この奇々怪々なる凶行の性質上、我々も王都正騎士団にどう報告してよいのやら当惑してしまいまして。

 それを有り体(てい)のままに伝えれば、そんな無意味で手間のかかる凶行を犯す者など居るか?と鼻であしらわれますし。


 更に陳情の訴えを繰り返しますれば、今度は、このカデンツァが、荒(すさ)んだ若者の多い芸術の都だけに、何やら如何(いかが)わしい阿片(アヘン)等の流通があるのでは?と見当違いの事を疑われ、怪しい幻覚を見るほどに中毒した者達を取り締まるよう通告されるばかりなのです。


 なんと言っても、この望月魔人とは、独創的な犯罪者にございまして、襲われた者達には外傷はなく、一人の死亡者も出しておりませんので、何とも何処(どこ)へも訴え難い案件なのでございます。


 ですが、婦女子達には被害として、失血以外にも、確実な精神的外傷(トラウマ)を残しますので、何とかして彼奴奴(きゃつめ)を捕らえたく、満月の夜は、近隣から屈強な男子等を雇い集め、特別に警備を厚くしておりますのが、私共の鋭意専念・精一杯の現状でございます。


 その成果といってはなんですが、過去には望月魔人めの犯行に居合わせることもございました。


 無論、その場の自警団員は警笛を鳴らして追走し、逃げ去るその方角を仲間に伝え、かなりのところまで追い詰めたことも、幾度か有りました。


 ですが、いつもいつも同じ通りの辺りでその姿を見失ってしまうのです。

 無論、そこの街区を取り囲んで一軒一軒、虱(しらみ)潰しに徹底的に調べさせましたが、それらしい者は見出だせませんでした。

 

 また、彼奴奴を先回りすべく、その通りにて待ち伏せすることも致しました。

 ですがそうなれば、その夜は望月魔人は、そこには戻らないのです。


 そうして二十年も追い続けておりますが、結局、被害者は満月と同数であり続け、いつでも彼奴奴は正しく霧のように、夢幻のように消え去ってしまうのです。

 そこで……」


 ここで、恐ろしい渋面で舞台を睨(ね)めつけていたドラクロワは、ツイと老人に向き直り

 「ウム。"伝説の光の勇者様"に託してみようと、そういうことか?」

 カゲロウの独演は長ったらしく、加えて何事にも基本的に無関心な魔王ではあったが、一応、ここまでは聴いていたようだ。

 

 傍らのカミラーも厳(いか)めしい顔付きであり

 「その望月魔人とやら、誠に気色の悪い奴にございますな。

 もしやその者、魔族にございましょうか?

 うん、カゲロウよ。その者はどんな風体をしておるのじゃ?

 今ここに手掛かりとなる人相書き、もしくは手配書等はあるのかえ?」

 意外とノリノリであったという。 


 だが、魔王は大あくびをして

 「そうか分かった。そこまで色々と解っておるのなら、最早(もはや)捕らえたも同然だ。

 なにせ、マリーナの革鞄には、第一級の名探偵が眠っておるからな」


 こうして再び、あの、あらゆる分野の膨大な知識と悪魔的頭脳とを誇る、無限思考の疑似生命体である黄金のマスク。

 "コーサ・クイーン"が目を覚ますこととなったのである。

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