70話 なんで飲ませた?

 尖塔に白鳩の舞う、白亜の鐘楼(しょうろう)のごとき壮麗な建築物があった。

 

 それは、この聖都ワイラーの魔術師ギルドであり、伝説の勇者ドラクロワを讃える群衆のさんざめく、北区円形広場の程近くに巍然(ぎぜん)たる姿で建っていた。


 その地下深くへと続く、長い石の螺旋坂を先立って歩くのは、男女の垣根を越えた妖艶美の魔導師ロマノ=ゲンズブールであった。


 彼はその道程で時折立ち止まり、どう見ても女性のものにしか見えない、前開きにしたバイオレットのマントから、すらりと伸ばした白い手の先、その人差し指に魔法の種火を点し、煉瓦壁の要所要所に設(しつら)えられたランプに灯りを点けてゆく。


 その後ろに続くのは、暗黒色の禍々しき甲冑魔王、ドラクロワ。


 そして、その更に後方で辺りを物珍しそうに眺めているのは、鮮やかなブルーのコックコート、ちょび髭のアランであった。


 「ロマノちゃん、お噂は予々(かねがね)聞いてたけれど、こうして実際お会いするのは初めてね。

 貴方ってば、争いを好まない隠者、天才美人魔導師、麝香(じゃこう)のロマノ様と、ホント名前が多いわ。

 そんな街の噂のお方が、こーんなご近所さんだったとは夢にも思わなかった」


 緩いアーチを描きつつ、すり鉢型に地を掘るようにして続く螺旋を降りながら、ロマノは振り向かないまでも、ひょいとバイオレットカラーのハットの頭を上げ

 「いえいえ。どういたしまして。こちらこそ引きこもりの私の耳にも、革命家アラン=バリスタさんのお名前はよーく届いて来てるわよ。

 ウフフフ……確か、トラットリア白鳩の店主さんが黒鳩党の党首らしいぞ。ってね」

 悪戯っぽく笑っているが、その声はダークチョコレートのように渋く、深い味わいがあった。


 アランも負けじと、ニヤリと頼もしい笑みを見せ

 「あらあら、これはとんだお耳汚しでお恥ずかしい限りだわ。

 でもねアタシ達、革命家なんてそんな大層なモンじゃないの。

 だって、黒鳩党なんて物々しい名前を名乗ってはいるけれど、活動内容なんて、要はただ仲間と地下に集まっては、コーサ様の陰口ばかり叩いてるだけの仲良しグループなのよねー。

 今までだって、コレといってなーんにも行動出来なかった、普通の無能な商人と職人の集まりよ?

 フフフン……」

 アランの余裕のない苦笑いには、だから放っておいてくれ、という他言無用を求める響きが混じっていた。


 ドラクロワは、一癖も二癖もある、単なる"個性的"という言葉で著すには余りに度のキツイ、謎のおネエ二人の織り成す、奇妙にして妖しいサンドイッチ状態を必死で耐えているかのように見えた。


 だがそれは、仄(ほの)暗い地下に揺れる灯火が悪戯に陰影(コントラスト)を大袈裟(おおげさ)に加え、面白半分にそう見せかけただけかも知れない。


 「葡萄酒の在処(ありか)はまだか?」

 どう聴いてもその魔王の声は、果てしない苛立ちと苦渋とに満ちていたという。


 それに答える代わりに、不意に先導役のロマノが 

 「ブリューナク!ただいま!」

 と、何かを短く喚いて口笛を吹いた。

 

 次の瞬間、目的地の最下層のドア前の暗がりから飛び出した、サファイアに似た青い瞳の白い大型肉食獣、ロマノの住居の獰猛にして忠実な番人、大きな雪豹(ゆきひょう)のブリューナクに、なぜかアランが押し倒された。



 さて、扉の先のロマノの住居は空間にして二十坪ほどであったが、そこはもう、ただただ本、本、本……の間であった。


 書棚はおろか、名も知れぬ赤茶色の高級木材の柱も壁も、床以外はその全てがスライド式を採用した書庫であり、この星のあらゆる貴書、稀書、奇書、そして魔法書、禁書、珍書で正しく満ち満ちていた。


 その本好きロマノの徹底ぶりは圧巻・見事に尽きるといえた。


 今、来客二名が着いた、隣室の食糧庫のありあわせで作ったにしては出来の良すぎる、聖都ワイラー北区のナンバーワントラットリア、その店主アランの手料理の並ぶ、部屋の中央テーブルの天板までもが、鉄枠と革表紙の巨大な本をモチーフにしたモノであった。


 ロマノとブリューナクの住居は、地下、その最下層のせいか、初夏にしては些(いささ)か涼しすぎる空間だった。


 よく冷えたグラスエール酒を供した後

 「しばしお待ちあれ」

 と言ったきり、奥へと消えたロマノであったが、漸(ようや)く魔王お待ちかねの葡萄酒のグリーンの瓶と、真新しい淡い麝香の香りとを携えて戻ってきた。


 「お待たせ致しました。これなる葡萄酒、私がはるばる遠方より取り寄せました、秘蔵の酒にございます。

 フフ、果たして"光の勇者様"のお口に悦んでいただけますかしら?

 ウフフ……ささ、ドラクロワ様、ご遠慮なく」


 そう言ったロマノは、紫のレースの薄織り女性下着の上下に、同色の光沢のあるマントのみという、谷間に黒子(ほくろ)の一点、白く形のよいバストも艶かしい、均整のとれた美しい女の半裸を晒していたので、思わずその気のないアランさえもが、ギョッとして目を剥いた。


 露出狂の魔導師は、どこかそれを愉しむような微笑を浮かべつつ、魔王の前に一つ、アランの前にも一つ、栓の抜かれた大きな瓶を大きく口の開いたグラスと共に置いた。


 ドラクロワは「え?コレ何ていう銘なの?さっきも言ったけど、アタシィ葡萄酒にはちょーっとうるさいわよ?

 なーんてね、いっただきまーす!」と、数杯のエールですでに上機嫌になったアランを見ず、眼前に置かれたボトルだけを吟味するように熟視していた。


 ロマノは、その幾分不穏な空気に気付き

 「どうぞ、ご遠慮なさらず。勇者ドラクロワ様。

 フフフ……断じて妙なモノは混ぜておりません。

 ささ、どうぞご賞味下さいませ。そして是非ともご感想をいただきとうございます」

 艶然と微笑み、白い手を伸ばして、ツイッとドラクロワの前に置いたグラスの下を押した。


 ドラクロワは半眼で葡萄酒を見下ろしたまま

 「いや、そんなことは気にしておらん。この星には俺を痺れさせる毒などないからな」

 言うや、いつも通り無造作に瓶の首を掴み、忽(たちま)ち逆さまにしてあおり始めた。


 ドラクロワはそうして少し飲み、なぜか一口、二口だけで中断。

 直ぐに瓶をシャポン!と下ろした。

 

 それを、どこまでも官能的な穏やかな顔で見ながら、艶(つや)やかで、しっとりとした黒の長い睫毛(まつげ)をはためかせたロマノは、一言

 「で、しょうね」

 と、分かりきったことのように呟(つぶや)いた。



 さて、この謎のお取り寄せ葡萄酒の味に、まず声を上げたのは、肥沃(ひよく)な葡萄畑の所有者であり、かつ秀逸で芳醇な葡萄酒の生産者の立場であるアランであった。


 「わっ!?美味しい!!な、何この味!?アタシの畑で採れる葡萄は、この地方じゃちょっと自慢出来る位には良いはずだけれど、この葡萄ときたら、もう全っ然格が違うわ!!

 おっどろいたぁー!!ねねね、ロマノちゃん!?コレ一体どこのモノなの!?

 少しくらい高くてもへーきだから、ちょーっとまとめて仕入れられないかしら!?」

 人気洋食店の主は真摯な顔で、激しく淫靡(いんび)な魔導師へと、まるでつんのめるようにして迫った。


 だが、ロマノは目線をドラクロワへ向けたままで

 「アラン、ごめんなさい。それだけは教えられないの。

 そうね。この葡萄酒はワタシの"故郷"のモノ。とだけいっておくわ」 

 

 アランは、そのそっけない答えに一瞬顔を曇らせはしたが、フッと息を吐くと、分別らしく座り直し、黙って手酌で二杯目を楽しむことにした。


 一方のドラクロワは、よく磨かれた紫の爪の指を、形のよい薄い紫の唇へあて

 「故郷か。なるほど、な。この味は紛れもなく銘酒・疫病女神(カラミティクイーン)だ」

 と短く言って、即座に魔族間だけに通じる思念波を、恐ろしく妖艶な淫婦にしか見えない魔導師へと飛ばした。

 

 (これは紛れもなく魔界第一級の酒だ。どう逆立ちしても、そんじょそこらの酒屋では決して手に入らん。名前の通り、こいつは口当たりこそ極上だが、並の人間には猛毒といっても過言ではない。魔界以外では俺の城に数本があるのみだ。となれば、お前は魔族か?所属はどこの軍のどの部隊だ?)


 ロマノは、ゴロゴロと喉を鳴らす、美しい白いペットの皮の弛(ゆる)い縞頭(しまあたま)を撫でながら

 (申し遅れました。魔王ドラクロワ様、私は先代魔王リュージャン様の元に居りました、元魔導大将軍ロマノにございます)

 なんと、平然と魔族思念波を返して来たではないか。


 この突然の告白に、現魔王のアメジストの瞳は、まるで鞴(ふいご)に吹かれて赤熱・燃焼する石炭のごとく、急速に爛々(らんらん)と輝き始めた。


 ゆっくりと白い顎を上げたドラクロワは、その眼をフッと細め

 (フム、父の配下に突如として職務を無断放棄し、軍を抜け、霧のように行方をくらませた上級魔族が居たと聴いたことがある。噂では何処かへ潜伏して反旗をひるがえす算段を立てているとも、人間の冒険者に討ち取られたとも聴いたが、もしやそれがお前か?)


 ロマノは、男なら誰でも吸い付きたくなるような、邪淫の唇だけで笑い

 (フフフ……流石は魔王様。そうです、それが私です。魔王軍法によれば、敵前逃亡、及び無断で軍を抜けた者には、ただ滅びの懲罰があるのみ、でしたね。では魔王ドラクロワ様。私を今ここで裁かれますか?)


 (ウム。無論、お前の軍規違反を遥かに越えた、軍事犯罪には懲罰しかない)

 らしくなく、そう強い思念を飛ばしたドラクロワの全身からは、背後の書庫の景色が揺らぐほどに凄まじい鬼気が放たれた。


 それをまともに浴びた雪豹ブリューナクは、まるで魂を抜かれたように床へと頭を落とし、鋭い歯列の隙間からだらしなく舌を垂らして、剥製毛皮のように床へと伸びた。


 ドカッ!!


 更にドラクロワのテーブルの向かいでは、ちょんまげの逞しいコックが、背もたれに大判の本をデザインした椅子ごと、「うーん」と唸って後方へと倒れたのである。


 だが、茹でたタコのように体表を赤く染めて昏倒したアランは、ドラクロワの圧殺するような凄絶な魔気によるのではなく、単に魔界の強烈な酒に脳をやられただけのようであった。 

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