71話 会話はキャッチボールから

 ドラクロワの禍々しい暗黒色のガントレットの手が滑るようにして動き、ガンメタルの流麗な装飾も美しい、魔界最強の曲刀魔剣の柄(つか)へと伸びて、その先に宿り、指先がそこを撫でた。


 それに対峙する、かつての脱走兵ロマノは完全に無手であり、正しく魔法使いの相棒である魔法杖もなく、そこには純銀製の細い繊細なブレスレットが鈍く輝き、白蛇のような手首を飾っているだけだった。

 それも別段強(こわ)ばることも、握って拳にする訳でもなく、ただ力なく下げたままである。

 

 だが、彼は人に非(あら)ず、魔界の上級魔族である以上、迎撃の魔法などに詠唱は不要であり、魔導触媒も必要としないだろう。


 つまり、ロマノが素直に消滅懲罰を頂戴するつもりがないのであれば、この構えは射撃前の最もリラックスしたガンマン、もしくは居合い抜きの腰を落とした格好と何ら変わりないのである。


 今、この地底の空間は、正しく一触即発の大魔族同士の激突寸前の絶対死地となっていた。


       「フン……」


 気の抜けたような鼻息は、断罪の処刑魔王ドラクロワのものだった。


 「下らん。父はこの星の魔軍の全権を俺に委ねて久しい。

 つまり、お前が何者で、過去に何を仕出かしたかは知らんが、それを櫓櫂(ろかい)の及ぶ限り追い詰めて首を刎(は)ねるのも、その罪を全くの不問とし、放逐するも俺の自由ということだ。

 俺はどうも規律だ、軍法だ、裁判だと、そういう堅苦しいのが苦手でな。

 ロマノよ、久方振りの銘酒に免じて、お前には特別恩赦を取らすことにする。フフフ……命拾いしたな?」


 魔王はそういうと、右の人差し指を立て、中空に小さな三角形、そしてそれに重ねるようにして逆三角形を描いた。


 すると、それは淡い緑光の六芒星となり、音もなくロマノの額へと吸い込まれるようにして、そこへ貼り付いたかと思うと、パッと翠(みどり)の火の粉と閃光を散らし、そのまま頭蓋の中へと染み込んだ。

 

 ドラクロワは、さもどうでも良さそうに

 「ウム。本日付で、これよりお前はただの魔族である。

 これで父の魔戦域だろうと、魔界だろうと出入りは自由になった。

 その罷免恩赦(ひめんおんしゃ)の印を見て、尚もお前を責める者はおらん」

 そういうと、大の好物の献上品を逆さまにして、今度は遠慮なく喉を鳴らして腹へと流し込み始めた。


 芸術的なアイラインの引かれた、パープルアイをかっ広げ、妖美な一体の彫像となっていたロマノは数度瞬きをして、ユルユルと左の掌を額へ持っていき、そこを薬指の先で軽く押さえ、軟膏(なんこう)を刷り込むように擦(さす)り、フッと息を吐いた。


 「これは有り難き幸せ。私、ロマノ=ゲンズブール。ドラクロワ様の魔王に相応しき深き度量に感服いたしました。

 ふう、流石にお相手が魔王様となれば、私も消滅の吐息を頬に覚えました」

 だが、その言葉とは裏腹に、元大将軍のその扇情的な顔には、毛ほどの戦慄した跡も残滓(ざんし)なく、ただ薄い笑みを浮かべただけであった。


 そして紫の影のように動き、テーブル向こうの酔い潰れたアランに寄り、それを介抱し始めた。


 魔王は瞬く間に疫病女神(カラミティクイーン)を空にし、追加を催促するようにその瓶の底で、コッと机を打った。


 「そうだ。そんなことよりロマノよ、コーサを討ち取るのなら聴かせたい事があると言っておったな?」

 全く飲み足りぬ魔王は、漸(ようや)くここに来た趣旨へと立ち戻った。


 ロマノは魔族である為、知識の伝授は出来ても、実際には神聖魔法を使えないので、アランの血中からアルコールを取り払えず、ただ彼を椅子に仰け反らせただけであったが

 「ええ、仰せの通りです。魔王たるドラクロワ様が、なぜ光の勇者として旅をされ、そして何故(なにゆえ)に聖コーサを滅ぼすのか、この私の足りぬ頭では及びもつきませぬが、何にせよ、その前に是非ともお耳に入れておきたい事がございます」

 ここでロマノは一息置いて、蠱惑的(こわくてき)な銀紫の唇を軽く噛んだ。


 「恥ずかしながら、私は魔族にしては珍しく、ただ戦だけの生活というものにほとほとイヤ気がさし、先代魔王リュージャン様直下の軍を抜けました。

 ですが、変幻自在にして万能なる"魔法"という物だけにはどうにも興味が尽きず、身分を偽り、人間族、エルフ族の間に紛れ、あらゆる魔法を研究・探求して参りました。

 そうして流れに流れて、行き着いたのがこのワイラーにございます」

 その美しい紫の遠い目は、遠い過去へと想いを馳せる者の色をしていた。


 「そして、地ネズミのごとく、ここにこの狭苦しい住居を築き、陰鬱な根城としました。

 また、魔法の求道(ぐどう)には常に最新の解釈を研究・提唱をする魔法ギルドというものは、隠れ蓑(みの)としてもそれなりに優秀な組合でした。

 そこで私はギルドの指導役の資格と免許を取得して、隠者として地に潜り、有能な者とだけ識を共有しました。

 そうして重ねた年月、今思い起こしても、それはそれは私なりに充実して満たされた日々にございました。

 ですが、つい最近、ほんの60と少し前のことです。突然、この街に一人の薄汚い少女が現れました。

 そのボロを纏った、頼りなく痩せこけた乙女は、見たこともない魔法と女神聖典の新たな解釈を呈したといいます。

 そうです、それがドラクロワ様の御敵(おんてき)聖女コーサにございます。

 しかし、人間族としてはそれなりに美しいと人心を惹(ひ)き、ただの風変わりな若い女預言者としてもてはやされ、盲目的な七大女神等の信徒等の無害な御輿(みこし)として納まっているだけならば良かったのですが、コーサはそれらを巧みに束ね、ある日を境にこの街の悪逆非道な先制支配を開始したのです。

 そして神殿はおろか、商店の裏街道から下水道に至るまで、このワイラー中をズカズカと踏み荒らし始めたのです。

 更には、その息のかかった神官等は、有能な魔術師達をあれこれと手前勝手な理由をこさえては捕らえ、犯し、或いはその首を刎ねさえしました。

 そうなのです。ここに私の平穏寧静(へいおんねいせい)な研究・求道生活というものは徐々に蝕(むしば)まれ始めていったのです……。

 フフフ……これはこれは気が利かず申し訳ございませんでした。葡萄が足りませんね、もう何本かお持ち致します」

 ここでロマノは給仕の為、一旦奥の間へと向かった。



 そして、ロマノの話は、時を20年ほど遡(さかのぼ)る。



 渇いた熱い夜風に乗って、風取り窓から触角と複眼の赤い蛾が舞い来て、金色の壁に取り付けられた獣脂燃料ランプの灯火へと飛び込み、撃ち抜かれた特攻の零式戦闘機か、焚き火の枯れ葉のように、その身に火の衣を纏(まと)って、そして直ぐに燃え尽きた。


 この金無垢(きんむく)の室では、先程から凹凸のない、つるりとした黄金の仮面を被った、オリーブ色の袖無し僧服を纏(まと)いし、痩せた色黒で貧相な少女が、ランプの灯にもきらびやかな黄金の書斎にて、正しく一心不乱に、それこそ取り憑かれたように書き物に没頭していた。


 だが、艶のない、炭色の長い髪を無造作に後ろで束ねた少女らしき人物は、不意に黄金の顔を上げ、閂(かんぬき)の施された出入りの扉へと向けた。


 「あなたは誰です?この大神殿の者ではありませんね?

 ここが不可侵の聖所。私、聖コーサの真・聖典執筆の特秘室であることを知っての立ち入りですか?」

 その声は正しく少女の発するべき、若く透き通ったものであった。


 その澄みきった声の飛んだ先、二メートル高の眩(まばゆ)い扉の前に佇(たたず)むのは、忍としては大失点・大失格である淡い麝香の香り。

 紫の邪美身、大魔導師ロマノ=ゲンズブールその人であった。


 高く結った濡れカラスの羽根ような艶のある漆黒美髪、恐ろしく妖美な双眸(そうぼう)の下、すらりとした高い鼻までも覆う、その口元の鉄鋲と黒革とで編んだ、またもやカラスを想わせる不吉なマスクを白い繊手(せんしゅ)で押さえて

 「月並みですが、名乗るほどの者ではありません。

 ですが、それではあまりに愛想がありませんね。

 そうですね……この佳(よ)い街、ワイラーの潮騒(さわぎ)をなだめに来た、一羽の渡り烏(がらす)といったところでしょうか?

 ウフフ……これは少々気取り過ぎましたかね?」

 その漆黒のマスクの下で、幾分くぐもった美声は、賊にしておくにはあまりに勿体なかった。


 聖女は、そのキザな名乗りに少しも臆さず

 「烏(からす)……。そうですか。漸(ようや)くやっと私のやり方に異を唱え、この寝首を掻きに来る者が現れましたか。

 私は貴女の来訪を心より歓迎します。

 なぜなら、貴女のような愚かしくも、私に逆らう者を思い付く限りの残忍な仕方で屑肉にすることにより、信徒と近隣には私の恐ろしさ、いえ七大女神様達の御力を明々白々と示すことが出来るのですから!!」

 羽根筆を丁寧に筆鞘へと差しながら言ったコーサは、出し抜けに両の掌を前に押し出すように構え、なんとそこから一切の詠唱なしの火球を放ったのである。


 そのバレーボール大の紫と橙(だいだい)色のミックスされた渦巻く炎は、激しい回転運動を見せつつ、山なりに半瞬でロマノのカラスのようなマスクへと翔んだ。


 だが、その灼熱玉は、果実をかじった後に手の甲で口元を拭うような形、暗殺者ロマノの左の裏手により捕(つか)まれた。


 なんとロマノは、目も眩むような閃光だけをその半裸の身に浴び、そのまま一切のムダのない、迅速かつ典雅な動きで手を返して、平然と2,000度の死の火球をコーサへと投げ返したのである。


 それは正しく、目を見張る迅雷のごとき速技であり、懐中の猛毒を塗った短刀辺りが頼りの隠密・暗殺だけが得意のアサシン風情が、と高を括(くく)っていたコーサの値踏みを完全に裏切るものであった。

 

 だが、聖女コーサもさるもの。

 洗濯から出したばかりのジーンズが裏返っていたのに苛立って、両手でそれを大上段から叩(はた)くような動きで、返って来た火球を金色の床へと叩き落とした。


 堕した火球は一瞬で、ブワッ!と床の四方八方へと手足を伸ばし、広いとはいえ、金色の室内を瞬く間に火の海へと変えた。


 そのナパーム焼夷弾を遥かに凌駕する、超暴力的な大炎に下から照らされた金仮面の少女は、炎による急激な上昇大気により、バタバタと僧服を煽られ、その様はさながら地獄の使いのようであった。


 「あの御方より伝授されし、私の秘術を……き、貴様は一体!?」


 ロマノは、鉤十字のちょび髭独裁者への敬礼のごとく、コーサへと突き伸ばした左手の甲、そこへ右の手の人差し指と中指を揃えて乗せ置き

 「渡り烏と言ったでしょ?ウフフ……さて、カラスは獲物のどこから啄(ついば)むかご存知?」

 半裸の大魔導師は餓えた雪豹のごとく、煌めく炎色の銀紫の唇を舐めた。 

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