69話 妖しき両性類

 北区、円形広場。


 その周辺街区に住まう老若男女の住民達は、各々の住居の門、柱の影などから恐る恐る先の古代魔法の完全消去(デリート)と、それからの事の成り行きとを固唾を飲んで、それこそ瞬(まばた)きすらも忘れ、必死な形相で、じっとうかがっていた。


 今、彼等は一人の例外なく、正に大革命の驚天動地のただ中にあった。


 なぜなら、聖都に生きるものならば、長らく恐怖と憎悪の対象であった、あの"色欲の豚王"ラアゴウが、なんと今や位階従一位(いかいじゅういちい)の威厳も体裁もなく、ただただ無様に、うつ伏せになって大地にめり込み、そこへ弛(ゆる)みきった四肢をだらしなく伸ばし、お化けスイカのような不毛な頭をさえつっ伏して、ピクリとも動かないのだ。


 また、"熊殺し"の異名をもつ巨頭の暴虐神官バルコンさえも倒され、その傍若無人の愚連隊を率いる悪名高きリーダー、三白眼のジラールもその下敷きとなって多量の鼻血と泡を吹いており、その生死すら不明である。


 更に、八つの騎馬の古代魔法を操る夜警神官等も、もはや魔導触媒の漆黒の指輪の没収により、恐るべき力は封じられていた。


 これまで聖女コーサ麾下(きか)の悪徳神官達に徹底的に食い物にされてきた住民達は、これらの状況を目の当たりにし、お互いの泣き笑いのような、ひきつって怯えきった顔を見合わせ、急速かつ段階的に事態を把握・認識し始めた。


 そして誰からともなく手を打ち始め、まばらなそれは、瞬く間に口笛を伴った喝采となり、嬉し涙に濡れる万歳三唱となった。


 無力化された神官達も含め、未だ心底でコーサの報復を恐れる老人達も、この歓びの声を抑えられなかった。


 砂浜に打ち上げられた、腐乱ガスで歪(いびつ)に膨らんだ白鯨の骸(むくろ)を想わせる、堂々たる巨大な脂肪体の鞍上で、美しい無表情で住民等の歓喜の雄叫びを聴いていたドラクロワは、鞍に同席する真後ろのアランに白い横顔を傾け

 「ん?なんだ騒々しい。アランよ、この者等はなぜ騒いでおる?」


 「おおぅ……おおおぅー」と慟哭にも似たうめき声を放ちながら、料理人らしいマメ・タコの目立つ、表面の黄色っぽい分厚い手指の先の小さな手拭いで、意外に切れ長で綺麗な二重の目を覆う、ちょんまげおネエコックとは異なり、魔王ドラクロワは当然、この街の住人ではなく、この街の腐敗し切った専制支配等にも興味はなかった。


 加えて、ドラクロワという魔族のハイエンドは、少しでも不快なものは即刻、まるで液晶の上の埃を吹くがごとく、ただ有り余る武力をもって速やかに排除するだけ、という、生まれついての星の最強支配者として生き、君臨してきたので、この割れんばかりの拍手と歓声の意味がちっとも、サッパリ分からないのである。


 アランは男泣きの嗚咽を響かせ、左のグローブかミットみたいな掌で顔を覆って震えていた。


 「ぐぐぶう……くふぅ。ご、ごべんなさい、あ、あのね、みんなはね、う、嬉しいのよ。

 あたしもそうだけど、大金持ちでないみんなは、いつでもコーサ様を恐れて息を潜めて暮らしてきたから。

 そ、それをドラちゃんがこんなに、メチャクチャに、ホント完膚なきまでに叩きのめしてくれたから……だからね、ただただ、それが嬉しい……の」


 アランは、飽和した手拭いに続いて懐紙で顔を拭いながら、気持ちの句読点(くぎり)か、チーン!と鼻をかんで、やおら立ち上がり

 「みんな聞いてー!!この方が、この方こそが光の救世主、伝説の勇者ドラクロワ様よ!!

 あのね、もうね、なーんにも恐れなくてもいいの!これからあのコーサ様だってやっつけてくれるんだってー!!

 女の子達!貴女達は、もうドワーフちゃん達特製の鍵付きの鋼鉄パンツを履かなくていいの!!」


 アランが鮮やかなブルーのコックコートの両手を勢いよく上げて叫ぶと、それに住民達は呼応・共鳴するように、いよいよ狂ったような歓喜の叫びを上げて、一斉に鬨(とき)の声を北街区に轟かせた。

 

 騎馬の神官達は、それに狼狽(うろた)える白馬等の手綱を引きつつ、その感激の嵐に同じく圧倒されていた。

 

 そして、にわかに街の住民等の声に成らない歓喜の叫びは

 「ドラクロワ様!ばんざーい!ドラクロワ様!ばんざーい!」

 という大合唱となって、人々の上げた両手が荒波のようなうねりを形作り、殆(ほとん)ど怒声のようになってこだました。


 魔王は、いつもの斬れるような冷たい美貌の無表情で住民達を眺めていたが、ようやく合点・破顔し

 「フフフ……フハハ……フハハハハー!!そうかそうか!!そんなに俺が素晴らしいか!?

 フハハハハ!!アーハッハッハー!

 よーしよし!分かった分かった!ではそのコーサとかいう妖しげな輩(やから)も直ぐに討ち取ってくれるから、皆、酒でも飲んで待っておれ!!

 フフフフフ、フハハハハ!あーあー、全くもってうるさい奴等だな。

 しかしま、この際だ、全身全霊で思いの丈を叫ぶがよいわ!!

 フフフフフ!ハハハハハー!!アーハッハッハー!」


 魔王は思いがけない、それも呼称付きの大賛美に心底気をよくし、満面の笑みで暗黒色の禍々しい手甲を振って、オーケストラの指揮者か英雄の凱旋のごとく住民等の称賛に応えた。


 (ウム。気紛れにこの街に来て良かったな。それにしても、あの古代魔法の消失を目の当たりにしておきながら、シワのカメ婆以外は、誰もこの俺を魔王とは毛ほども疑ってはおらぬようだ。オイラーだかワイラーだか知らんが、この街の人間共も揃ってバカで助かるな)


 確かに住民らは解放の嬉しさと興奮のあまり、恐るべき古代魔法を手玉に取り、まるで嘘のようにかき消したドラクロワへの畏怖も忘れ、その輪を縮(ちぢ)めつつ近付いてきた。

 

 その人の輪から、押し出されるようにして花盛(はなざか)りの若い女達がまほろび出て、徒競走みたいにドラクロワへ向かって駆けて群がった。


 「勇者様!頑張って下さいー!」

 「伝説の勇者様がとってもお強くて、その上こーんなに美男子だなんて!もう何だかお芝居を観てるみたい!!」

 「あぁ!私、ドラクロワ様が眩(まぶ)しすぎて頭がクラクラいたします!!」

 「ゆ、勇者ドラクロワ様には愛しい方はいらっしゃいますの?」


 「初めまして、ドラクロワ様。

 私、ユリアの魔法指導をいたしましたロマノと申します」


 魔王は、輝くような生命力を迸(ほとばし)らせる、若い女達の無垢な笑顔と称賛とに、正しく夢心地であった。

 が、最後の恐ろしく渋い男の声に、貝汁の砂を噛んだように、カチリと片目を細め、露骨に不愉快そうな顔を作って、禍々しい鎧から少し首を伸ばした。


 そうして垣間見た、甘やかな美しい乙女達の垣根の先には、この空間に思い切り場違いな、その顔だけで立ちくらみしそうなほど、強烈に妖艶な女らしき者が蕭々(しょうしょう)と佇(たたず)んで居た。


 その人物は、明らかにドラクロワを囲む女達ほどには若くはなく、大きな鍔の薄紫のハットに、同色のきらびやかな光沢のマントを前で合わせて、隙間なくピッタリと綴(と)じていた。

 その裾から地に伸びたのは、色白の艶かしき細い足と、紫ビーズの鼻緒の華美なサンダル。


 そして、女にしてはギリギリ印象的なレベルで、少しだけ背が高かった。


 厚い化粧を芸術的に品よくまとめ、生来の毒婦を想わせる、扇情的と言ってもよい、やや丸い顔。

 その下部の金属的な光沢を見せる、銀紫の艶やかな唇の左下には、わざとらしいくらいに、それこそ完全なる蛇足として、小さな黒子(ほくろ)が色っぽさのトドメのピリオドとしてついていた。


 彼女、いや彼こそは少し前、あの残忍な老醜の大魔導師ウィスプがユリアにかけた、恐るべき精神魔法のもたらした、時間さえも流れぬ閉じられた魔空間に忽然と現れた、この聖都ワイラーきっての魔術師ギルドのカリスマ指導員、ロマノ=ゲンズブールその人であった。



 その美のごった煮、稀代の魔導師ロマノは魔王の視線に艶然と微笑み、恭(うやうや)しくハットの頭(こうべ)を垂れた。

 その微風に揺れるスミレのごとき優雅な動きに、ハットの下から左右に長く伸びた、カールした艶のある黒の美髪、その二束が薄い肩の後ろから前へとこぼれた。

 そのうなじからは麝香(じゃこう)の香りが淡く漂った。


 その淫靡(いんび)な香りに、街の女達も口々に「ロマノ様?」と、小波(さざなみ)のようにざわめきながら振り向いた。


 ロマノはそれらを黙殺して腰を折り

 「ドラクロワ様。コーサとの決戦をご予定ならば、事前に是非ともお耳に入れておきたき事がございます。

 もし差し支えなければ、決して大したおもてなしは出来ませんが、私の小宅にてお寛(くつろ)ぎの葡萄の滴をご賞味されつつ、お聞き流しいただければ、と存じます。

 いかがにございましょう?」


 その魔導師の声は見かけとは裏腹に、欲求不満の貴婦人を腰から崩れさせるほどに低音の利いた、飽くまで渋く、無駄に佳い声であった。

 そして、その薄紫の瞳はドラクロワの紫水晶の瞳の輝きに、不可思議なほどに酷似していた。


 魔王は頭蓋の内で、色とりどりの断り文句と言い訳を走り書きしたが

 「ん、よかろう」

 と、最強生物を自負する自分でも意外なほどに、実にスムーズかつ素直に答えてしまった。


 この両性的妖美の男ロマノ。果たして彼は一体何者であろうか……。   

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