68話 普段は魔力でちょっと浮いてます

 遺伝子の自我の気まぐれな迷走か、突如、大作として実った不味(まず)い大根みたいな、白地に茶色の小さなイボの点在する、だんだらと弛(ゆる)み切った、タプタプとした腕の掌が、ドズンッ!と大地を叩いた。


 その丸っちい掌に、タパ、タタパパパ……と、脂汗のにわか雨が続く。


 「はっ!ばうばっ!!ひゅ、ひぅっー!

 ゆ、勇ふぁ(者)様ぁ!!わ、私が申し上げるのもなんですふぁ……その、少し重く……ぶばぁっ!いや、あ、余りに重くていらっしゃらないですくぁっ!?

 は、ハプゥッ!こ、これでは、ハァハァ!中神殿に辿り着く前に、わ、私の命の灯が先に消えてしまいまぶぅ……ピギーーッ!!」


 屠場に響く家畜の断末魔のような一声を上げ、堪らず大樹のごとき両腕を折って曲げ、脂で滑(ぬめ)る左側頭部と、首と一体化した両肩とをノームの地底王国に吸い込まれるようにして、勢いよく強(したた)かに打ちつけて、ドッズゥーンッ!と、派手に砂埃を舞い上げつつ、往来にうつ伏せに伸びたのは、宵月(よいづき)の照す薄闇にヌメヌメと光る脂肪塊、右神官長のラアゴウだった。


 「ゆ、勇ふぁ様……こ、これは私には無理です……。ど、どうかお許し下ふぁい……」

 美しい女を捕らえ、心ゆくまで凌辱・損壊するのが何より好きな豚魔(とんま)のラアゴウは、住宅街の地に突っ伏し、絶え絶えな鼻息でそこの砂を吹いて飛ばし、命乞いにも似た陳情(ちんじょう)を述べた。


 魔王は、その大人の二抱えはある、信じられないほど太い胴を締め上げた、戦場馬用の頑健な鞍の上で、ラアゴウの食(は)む馬銜(はみ)に繋がる手綱を握り、大通りに溢れた街の住民等ギャラリーを何気なく見下ろし

 「ん?たった一歩進んだきりで潰れたか。俺が重いだと?今更それを言っても仕方なかろうが。

 フフフ……アランよ。この者、お前も乗っておるので、余計に重いと感じておるのかも知れんな?一応詫びておけ」


 魔王の背に近接して、二メートルを越える超肥満体の右神官長の背に跨(また)がって同乗している、逞しいちょんまげのコックは

 「えっ!?そ、そうかしら?ラアゴウ様ご免なさーい……。

 今度乗るときまでには、もう少し痩せておきまーす」

 男らしい肉厚な両掌を鼻の前で、ピシャン!と合わせて、本当に心底申し訳なさそうな顔で謝った。


 ラアゴウは朦朧(もうろう)とする意識の中で、(今度って!貴様また乗る気か!!?)と喚きたかったが、ただ息をするだけで精一杯で、それどころではなかった。


 聖都の住民等が遠巻きに眺めるその様は、まるで背中に文鎮を載せられた蛙のように無様であった。



 少し前。


 夜目にも容易(たやす)く、未だ我が眼を疑いつつ、戦慄し切った神官達。

 彼等は早く、浅い呼吸を繰り返しながら、頼りの古代魔法を実に事もなげに打ち消した魔王ドラクロワを、どこか処刑人を見上げる罪人にも似た目で、ただ茫然と眺めるように見つめていた。


 その神官達、あるものは地べたに手をつき、あるものは馬上からと、いずれも病原菌か呪詛(のろい)の品を恐れるように遠巻きに立ち、黒い甲冑の貴公子を取り囲む形でその場に固まっていた。


 不意に、その畏怖と戦慄(わなな)きの輪の中心人物である、漆黒の大魔導王が静止を破って動く。


 勝手にそれに戦(おのの)き圧され、どよめきつつ「うわぁっ!」と小さく悲鳴を上げ、ザアッと輪を広げる白い僧服に革の軽装鎧の神官達であったが、その視線等の焦点たる魔王はどこ吹く風で、何気なく腰のベルト、そこの紅い蛇革のパウチを開き、傍らのアランに向き直り、パウチ内に折り畳んでしまっていた男性の掌サイズの巾着袋を、ペシペシと広げつつ

 「アランよ。コイツ等の手の黒い指輪を残らず回収しろ。

 後で魔法好きなユリアに見せてやりたい」


 眼前に伸ばされた暗黒色のガントレットの手、その先に垂れる深紅のなめし皮の袋を呆然と眺めるアランであった。

 が、何やら合点がいった顔になり、頭頂のささやかなちょんまげのピンクリボンを揺らし、左の頬の前で、パチンッ!と掌を合わせて

 「あぁそっかあ!神官様達の古代魔法の発動に不可欠な触媒を取り上げちゃって、危ない古代魔法を封じておくのね!?

 さっすがドラちゃん!分かったわ!」


 アランは巾着を受け取り、白い僧服姿の輪に迫るや、一々、一人一人に「ごめんね?」と声をかけながら、手始めに2時の方向から回収を始め、そのまま右回りに順に神官等の指輪を没収して回る。


 神官等は始めこそ、この北区の名店の洋食レストランのちょんまげ店主なんぞに、聖女より有り難く賜った、かけ換えのない魔法具をスンナリと渡してしまってよいものか困惑し、この場の最高位階のラアゴウの顔色をうかがったが、当の右神官長は焦点の定まらない右の目で地面を見つめて

 「そんなバカな……そんな……」

 を繰り返すだけであったので、驚天動地の魔封じを見せたドラクロワへの恐れもあり、素直に反抗という選択肢を取下げた。


 魔王はそれを満足そうに見ながら

 「よしよし。この珍妙な手土産で、あの黄色い馬鹿娘の、ドラクロワさんスゴいですー!!は確定したな。

 ん?魔法を封じておく?フム、そんなつもりはなかったが、フム、まぁどうでもよいか」


 魔法リングの没収・回収は淀(よど)みなく進み、いよいよちょんまげお姉は、爬虫類系の三白眼(さんぱくがん)、北区夜警神官のリーダー、ジラールへと迫った。

 

 その隣の異常に頭の大きなターバン男、以前にマリーナの肩の関節を外して辱しめた巨漢が近寄り、リーダーへと耳打ちする。


 「若っ!このまま、あの黒マントに素直に従うおつもりか?

 確かにあの者、こと魔法にかけては聖コーサ様に迫るほどの魔技を見せましたが、一般に魔法使いとは概(おおむ)ね非力にして肉弾格闘には弱いもの。

 ここは私が玉砕を覚悟で組み付き、一気に地に押し倒しての華麗な逆転劇をお見せしましょうか?」

 外灯の光にキラキラと剛毛を煌めかせる、夜風に撫でらて蠢(うごめ)くゲジゲジか毛虫のような、真ん中で繋がった黒い眉をくねらせ、かなり自信あり気に頼もしくも反撃を持ちかけた。


 ジラールは聞いてないふりなのか、小さな黒目の眼だけで天空を仰いで、口内から舌で左の頬の内壁を突いて、惚(とぼけ)けたような顔をしてたが

 「そうだな……。あの漆黒の鎧と曲刀こそ禍々しいが、よく見ればあの魔法使い、この痩せ骨の俺の更に上をいく華奢造りだな。

 というより、あの鎧の下は病弱な女のようなか細さだ。

 ううむむ。ここは、整骨術なら聖都随一と誉れ高い、熊殺しのバルコン。お前の殺人的な関節破壊術と、その剛腕に任せてみるか。

 そうとなれば、幸い俺の指輪はまだここにある。ようし決まりだ!俺は隙をみて拘束魔法で後方支援・援護してや、」


 「おい」


 今、正に一か八かの白兵戦術に出んとしていた二人は、それを見透かしたかのようなドラクロワの喚起の声に、心臓が痛むほどドキリとし、ビクッと体を反らして身構えた。


 魔王は、先ほど巾着袋を出した右腰のパウチとは反対に下げた、鎧と一揃いに見える、逆巻く炎を艶のある黒に染め、それをそのまま装飾としたような、流麗かつ、恐ろしく美麗な漆黒の片手剣をひっ掴み

 「俺は今から、この運動不足丸出しの大豚に乗るのだが、余りに荷重をかけては、中神殿とやらに着く前に乗り潰してしまうかも知れん。

 たかが剣一本でそうは変わらぬであろうが、これは剛力そうなお前に預けておく。

 よいか?くれぐれも落とすなよ?」


 そう言って、剣とベルトとの連結部の金具を鳴らして、芸術的なまでに美しい刀剣を抜き取るや、何の前触れもなく巨頭の神官に向かって、無造作に鞘ごと、ポイと放って寄越した。


 反射的にそれを受け止める巨頭の"熊殺し"バルコン。


 (こいつ、類い稀なる大バカか?よりによって俺に武器まで預けるとはな。ていっ!隙あ、)

 「り、ぬぁあー!!?」


 ドッドンッ!


 鈍い音と砂埃を立て、ドラクロワの剣が大地に落下した。 


 信じられないといった面持ちで、戦慄(わなな)き震える己の両掌を見詰めるバルコン。

 見れば、その左手の極太な中指と薬指の爪の先は割れ、白くなってささくれ、僅かに捲(めくれ)れ上がっていた。


 「こ、この反り剣、なっ、何という重さか!?

 一体なにで出来ているのだ!?精錬を繰り返した純度の高い黄金でもこうはいかんぞ!?」

 

 ドラクロワは腰を屈め、暗い街路の敷石を割って少しめり込んだ黒い剣を、まるで竹刀でも拾うように軽々と左手で持ち上げ、フッと息を吹きかけて、砂埃をはらいながら

 「あーあ、貴様。くれぐれも落とすな、と申したであろうが。ホラ」

 またもや、剛腕の二の腕がショック状態で、ピクッビグッ!と痙攣するバルコンへとそれを投げて寄越した。


 バルコンは黒髭の口角を、への字に引き締めて、咄嗟に

 「なんの!先ほどは虚をつかれただけのこと!!」

 と喚き、フシュッと息を吐き、信じられないほど短く太い両脚を開き、それに気を込めて「おうりゃっ!!」と魔刀を受け止めるべく、腰を低くし、どっしりと構えた。


 その圧縮ゴムのごとき大胸筋の盛り上がった胸元へ、さっき取り落とした美しい漆黒の150㎝が放物線を描きつつ、フワリと迫って来た。


 「うぬおっ!!」

 バルコンの体内では猛毒のアドレナリンが弾け、全身の筋肉が戦闘態勢に入って、比喩でも冗談でなく、文字通り一回り膨れ上がった。

 その姿、正に"熊殺し"


 バルコンの神官着衣である白い僧服を締めていた、茶の革鎧の肩の裏、その肩甲骨辺りの接合部が、ミギビリッ!と嫌な声で鳴いた。


 「うぬっう!!パハァッ!!!」


 二メートルを越える巨漢バルコンは、脳内でのイメージとして、胸元高めに来た黒剣を一旦トラップ、腹辺りに落ちるであろうそれを両掌で拾い掴もうとしたが、その剣の馬鹿げた重量は"熊殺し"の想像を遥かに凌駕して凄まじく、ワンクッション・トラップはおろか、バルコンの胸元をそのまま押すようにして、彼を巨大なドミノのごとく、何の抵抗も許さず、後方へと押し倒した。


 その様を例えるなら、薄い発泡スチロールの板にボーリング玉を投げたようだった。


 その巨頭の後方に立って、不測(不足)の事態にはチャージ・タックルをしてでもバルコンを支えてやろうと、固唾を飲んで身構えていたジラールの鼻先へ、瞬的に倒れるバルコンの筋骨隆々たる胴体に遅れて、太い首がエネルギーを溜め込んでしなる鞭の役割を果たし、高速で超密度の魔剣の落下に追従するバルコンの絶壁の後頭部が容赦なくめり込んだ。


 「ほがぁっ!!」

 「ぎゃぁあーー!!」 

 

 二人は漆黒の剣に薙(な)ぎ倒されて、重なってその大質量に押し潰された。

 

 背面着地と同時に、ジラールの鼻血が噴水のように湧き、白眼を剥いたバルコンのターバンへと降り注ぐ。


 「こらっ!汚すでない!」


 ドラクロワはそこへと音もなく距離を詰めており、愛刀が鮮血の雨により汚されないように、バルコンを圧殺するその片手剣を完全に粉砕された鎖骨の上から取り上げた。


 ドラクロワは美しい渋面で、悠々とそれを腰に戻し、タメ息をひとつ吐き

 「やれやれ、いつの世も神官とは、祭事や祭祀(さいし)にかまけておるせいか、ひ弱な者ばかりだな。

 仕方ない、白き豚の王よ。どうにも仕様がないので、剣はこの腰に下げたままお前に乗ることに相成(あいな)った。

 こら、呆(ほう)けておらんで早く四つん這いにならぬか。肩車ではアランが乗れんであろう」


 ラアゴウは、正しく死人のような顔でその場に固まっていた。


 だが未だ彼は、ドラクロワの漆黒の剣よりも、甲冑の方が更に重いことにまだ気付いていなかった。


 そして冒頭に帰るのである。

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