66話 ちょっと何言ってるか分かんない
ラアゴウの根城である東区の中神殿。
その地下も合わせて六階層からなる、地上二階の食堂では、ウィスプの精神崩壊魔法から無事(?)生還した女勇者達三名と、その側近役たるショートボブの双子アンとビスが、それぞれが着せられていた、ラアゴウ好みの婚礼用の華やかなドレスから、すっかり自分達の服に着替えを終え、夕飯を摂っていた。
繰り返すが、ここは体重200㎏越えの"色欲の豚王"の定宿する東の中神殿である。
ゆえに、あらゆる食材が潤沢に蓄えられており、最高級の神官の調理師も複数配備されていた。
つまり、望めばどんな美食も提供可能だった。
大きなルビーの据わった黒革の眼帯をした、ブロンドを高く結ったマリーナは、相変わらず旺盛な食欲を披露しながら
「えーと……カキアさんだっけ?あのさ、ホントにこの眼帯とか、こんな豪華な食事までご馳走になっちまって大丈夫かい?
後でここのお偉い神官様に叱られたりしないのかい?」
心配そうな声音と顔とは裏腹に、眼前の一キロはありそうな分厚いステーキは、しっかりと二枚目だった。
貴族の華やかな食堂を想わせる、長大な食卓上を埋め尽くす、贅を極めた料理群の向かいで、立ったまま口に手をやって上品に微笑むのは、美しい顔をバッテンに切り裂かれ、痛々しく縫い痕がひきつれた女神官だった。
マリーナの呼んだ通り、その名をカキアといった。
彼女は、退神聖・対光属性のカミラーの起こした奇跡、かの大魔導師ウィスプの絶対の精神崩壊魔法を、ただ触れただけで打ち破るというのを目の当たりにし、これぞ伝説の光の勇者だけがなせる技と認め、即座に信仰を持ったのである。
ラアゴウにより身も心も傷だらけにされたカキアは、今ここに堕落仕切って腐敗した聖都を正す、救いの光明を見たのである。
「ええ。服飾品、それに装具や備品等は過去にラアゴウが、この聖都の住民や訪れた巡礼者、女性冒険者達から不当に剥ぎ取った物でございますから、お気になさらず何でもご利用下さい。
それから、こちらの料理もあの豚王に喰われるよりは、皆様、光の勇者様方に召し上がっていただいた方が、それこそ万倍も億倍も有効な活用というものでございます。ええええ」
カキアは若いが、元来サッパリとした性格のかなりの女丈夫のようで、それに加えて伝説成就を信じた今は格別に厳然とし、その胆はドンと据わっていた。
マリーナはそれを確認して少し安心したようで、遠慮していた眼前のエールジョッキをもう堪らないとばかりに、グッとあおった。
カキアの立っている前の席で、小さな喉を鳴らしてタルト生地のキッシュを見つめていた、サフラン色のローブを着た、僅(わず)かにタレ目の愛らしい小柄な女魔法賢者ユリアは、待ちかねたように手近の銀のナイフフォークを手に取り
「で、では、遠慮なくご馳走になりまーす。
わっ!なんだこれ!?うわぁ美味しいー!!スッゴく美味しいですー!!
あっ、そういえばマリーナさんて、ちょっと痩せましたー?それと、そんなに傷だらけでしたっけ?
さっきから気にはなってたんですけど、その目、どうしたんですか?」
深紅の部分鎧のマリーナは、奥歯でウェルダン肉を噛みながら、露出の多い自身の身体を見下ろし
「え?あぁ、なんか精神魔法っての?アレから目が覚めたらこうなってたんだよねー。
あぁ、でもこの眼帯は、なんだか落ち着くからしてるだけだよ。目の方はホラ、この通り、なーんともないよ」
右手の人差し指で眼帯をヒョイと額へめくって、傷ひとつない澄み切った美しいサファイアカラーの瞳を見せた。
「なんかよく分かんないけど、アタシはあっちの世界で何ヵ月も一人で冒険して、色んなモンスターをやっつけて、魔王のとこの剣士とやりあってたんだよね。
で、こっちに帰って来たらさ、なんとありゃ全部夢みたいなモンだっていうじゃないか。
でもさ、おかしなのは、あっちで付けた傷は全部残ってるんだよねー。何ともふっしぎー」
分かりやい美人の女戦士は、古傷にしか見えない、左肘の腕に対して垂直に走る、三筋の引っ掻き傷を指差した。
隣の席の水しか飲まない女アサシンは、貫頭型の深紫のマスクの下で微笑み
「そうか、一人で冒険か。どうやら皆が同じ魔法をかけられた訳ではないようだな。
マリーナが送られたのは、正しく修羅の世界だったのだな。
私が投じられたのは、光も音もない、本当に闇と無の世界だった。
まぁ、そのお陰で色々と考えさせられたがな。ウフフフフ……」
シャンのトパーズにそっくりな美しい瞳は、明らかに以前とは異なり、見る者全てが魂ごと吸い込まれるような不思議な輝きを放っていた。
マリーナはソーダガラスのジョッキを、コンッ!と下ろして
「へぇ、闇と無の世界ってさ、それって何にもないってことかい?
わおっ!そりゃキツいねー!?多分アタシなら一日ももたないよ。そんなトコ暇過ぎておかしくなっちゃうね」
音もなくハーブティのカップをソーサーに置いたのは、ピンクのロリータファッションの美しい幼女にしか見えないカミラーである。
真紅の半眼で隣のタレ目のユリアを見て
「お前達が無様に引っ掛かった魔法は、それなりに高度なモノだったようじゃな。
そこまで本当の身体に影響を与えたのをみるに、その精神世界での事は全て実際に体験したように活かされておるようじゃ。
ユリアよ、お前はあっちで何かしたのかえ?」
ユリアは人差し指を唇にあてて、壮麗な裸婦像の描かれた、絵画のような天井を見上げ
「えーと。私はー、お師匠様と会ってー、何だか知らない魔法を幾つも覚えて……あっ!そうそう!戦闘を沢山しましたね。うん、そこで余りに長いローブは格闘に不向きだと気付きましたよー」
本人の知り得ない筈の新たな魔法さえ会得出来たということは、やはりウィスプの魔法は決して催眠術の類ではなく、かけられた者個人の脳内という限られた精神の世界を越え、ある程度外界との繋がりも持たせる物なのであろうか?
それはさておき、兎にも角にも、ユリアは地下の衣装箱から丈の短いローブを見繕ったようで、今テーブルの下は、その色こそいつものサフランカラーではあったが、裾は足首まで覆うような長物ではなく、膝の少し上くらいまでの短く、機動性を重視したものを採用していた。
小柄なユリアは、その裾をモジモジと下へ引っ張りながら
「でも、幾ら動きやすいからって、こーんな短いローブは何だか恥ずかしいですー。
お師匠様とかマリーナさんほどではないですけどね。これもそのうち慣れちゃいますかね?
それよりカミラーさん!助けてくれてありがとうございました!かなり痺れましたけど……」
蜂蜜色の三つ編み頭を下げた。
カミラーは「うむ」と短く唸っただけだったが、その内心では、(この娘、何やら逞しくなりおったな)と感じていた。
顔が僅かに前に伸びた、見ているとチクリと胸の痛むような、羊達が沈黙しそうな、魅惑的な美貌のライカンスロープの双子の姉、褐色の肌のビスが、遠慮しいしい話に入ってきた。
「皆さんは精神魔法を掛けられて、とても大きく成長されたようで羨ましいです。
私とアンは、なまじっか神聖魔法をかじっているもので、あの老魔導師が何かを仕掛けてくると思って、咄嗟に自分達に精神防壁魔法をかけてしまいました。
そのせいで、カミラーさんが手首を掴んでショックを与えて下さるまで、冬眠状態の熊のように、中途半端なまどろみの中で漂うだけでした。
皆さんみたいに、短期間で飛躍的に超成長出来たのなら、あの幻術には下手に抵抗するべきではなかったな、と思っています」
隣のプラチナカラーのボブヘアの妹、色白のアンもしきりにうなずく。
その乙女の深い後悔へ、飽くまでも穏やかに、真理の到達者みたいな顔をしたシャンが反論する。
「まぁ、それはそれで良かったんじゃないか?あの老人の魔法、我々にかなりの精神的負担をかけたと思うぞ。
それに、お前達双子を見ていると、なにやら年齢よりも倍ほどの経験をしてきたような、不思議な精神の熟成を感じる。
まぁ業(カルマ)としては、まずまずといったところか……ウフフ。
ま、どちらにせよ我々は、皆が無にして空、かつ無限大であり、全部がひとつの存在だ。
それさえ理解していれば、他に必要なものは何もない。そう、何も、な……ウフフフフ……」
居並ぶ女達は、シャンの言った"それ"が何なのかサッパリ分からなかった。
だが、この世に踏み込んではならない領域というものがあるのなら、その境界線を遥かに越えた先の草むらの上に、今やシャンが一人座禅で浮いているのだな、ということだけはしっかりと感じたので、(精神魔法、恐るべし!)と認識を新たにし、誰からともなく一斉にうなずいた。
さて、賊の侵入に最初に気付いたのは、やはりその最終解脱者の瞳を持つ女、アサシンのシャンであった。
「ウフフフフ……そこの者達。貴様等、只の神官ではないな?何者だ?」
不意に豪勢な料理群を越えた先へと投げられた、前後の会話には関連性も脈絡も見当たらない、唐突なシャンの発言に、(まだ続きがあったのか!?精神崩壊魔法、どこまでも恐ろしい……)と、カキアを含む皆が眉間に深いシワを寄せ、自然とシャンを見た。
だがその刹那、女達はシャンの遠い目の先を確認して揃って戦慄した。
壮麗な装飾の刻まれた鉄枠を打って付けた、厚く頑丈なドアの前に、黒いローブの影が忽然と立っていたのである。
その闖(ちん)入者は一人ではなかった。
墨のように黒いローブの影は三つで、皆、不気味な白い仮面を被っていた。
向かって右が特大という事以外は、覆面とローブで謎の風体であり、それこそ男か女かも分からない。
その真ん中、左右に枯れ枝のような角の広がった、ドライフラワーとターコイズとでゴテゴテと飾り付けた、薄気味悪い雄鹿の頭骨を被った人物が、その骨格標本のような長い顔を頭ごと向かって右に大きく捻ると、鹿角から垂れ下がった、黒く錆びた糸のような微細な鎖が、頭髪のようにサラサラと揺れた。
「皆さんこんばんは……。そこのえらいステキな顔のオナゴ。えーど、確かカキア?とかゆうたかいね?
ちょっくら前に、ワダズの所にラアゴウの使者が来て、ラアゴウがちいっとばかし出かけっから、ここば見張りに来てくれっど招かれてやって来たけんど。
せばさ、そりゃワダズの西の中神殿が空になろうと構わんちゅうことかいな?
あーひで、コラひで、まーだラアゴウのワガママが始まったすけゆーて、皆でアイタタタと頭さ抱えたさ。
だけんど、ワダズ等も号外ば見とっから、確かにおかしな奴等がうろついとったらイカン、コライカンばいと思うてよ、つい今さっき来た訳でっさ」
その声は奇妙なイントネーションの付いた若い女の声であった。
もし注意深い者が聴けば、その音声は白い骸骨を被っているにもかかわらず、くぐもった響きを一切感じさせないことを不思議に感じたかも知れない。
女勇者達が振り向いて注視する、バッテン傷の女神官カキアは、正しく顔面蒼白となり
「リ、リウゴウ様……」
ラアゴウと対をなす、聖都ワイラーの位階従一位の左神官長の名を溢(こぼ)した。
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